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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
56/287

 ジグリットと同じように、ソレシ城の城壁の上部巡視路からリネアも流れ去る葬列を眺めていた。彼女の場所からは、ジグリットのいる露台(テラス)もよく見えた。しかし、憔悴(しょうすい)しきった王女は、弟に眸を向けなかった。チョザの民衆が礼拝堂まで歩いて行く葬列に白い花弁を撒き散らす。それが彼女には(ゴミ)のようにしか思えなかった。

 ――どんな死も、結局は(みじ)めなものだわ。それは弱者を表すのだから。

 リネアは彼らに対し、悲哀を感じることすら嫌悪した。その最たる者の顔を彼女は想った。弟に(うり)二つの少年が、もうどこにもいないのだと思うと、リネアの胸はきりきりと(きし)んだ。しかし彼女はその事に気付かないふりをして、きびすを返す。

 ――(いや)しい生まれの者は死ぬのも早くてつまらないわ。

 そうして巡視路から去ろうとした時だった。彼女はようやく露台にいるジグリットの姿を(とら)えた。

 ――あの子、あんな所で何をしているのかしら。

 ジューヌが外に出ていることも珍しい。しかも一人でぼんやりと(たたず)んでいる。その目線の先に(けやき)並木があるのを彼女は見た。葬列はもう最後尾が少し見えるだけだった。ジューヌの位置からはすでに見えないだろう。

 リネアは弟の黒い礼服と(さび)色の髪を眺めていた。するとジューヌが突如、辺りを見回したかと思うと、すっと両手を重ねるようにして前に突き出した。そのまま華麗な動きで横へ()ぐ。彼の右足が流れるように前へ踏み出すと、今度はその身が腕の振りと共に回転した。

 ――剣戟(けんげき)の型!?

 ――それにしては、(うま)い。

 リネアは眸を瞠って、巡視路から身を乗り出した。

 ――あの子、ずっと稽古(けいこ)していないのに・・・・・・。

 ジューヌはまだ幾つかの型を丁寧とも言える速さで続けている。そのときリネアの脳裏(のうり)に恐ろしい考えが浮かんだ。彼女は自分の直感に躰が震えた。

 ――いいえ、いいえ・・・・・・。

 否定しようと彼女は首を振った。錆色の髪が頬を擦る。

 ――あり得ない。だってそんな・・・・・・そんな事って。

 彼女の青白い頬は、驚愕と興奮で(あか)く染まった。すぐに巡視路を出ると、リネアはソレシ城の階段を駆け下りた。通りすがりの侍女が眸を丸くしている。しかしそんな物に構っている余裕はなかった。

 中庭にある庭園の露台に、ジューヌはまだいた。しかし彼はもう剣戟の練習はしていなかった。息を切らして駆けて来た姉の姿にただ驚いたように、顔を上げただけだった。

「どうかしたの?」王子のように少し舌足らずに、ジグリットは口を開いた。

 リネアはじっと眸の前にいる少年を見つめた。錆色の髪と眸、白い鼻梁(びりょう)、すらりとした躰。彼女は無言で少年に近寄り、その腕を掴んだ。ぎゅっと強く。絞るように。

「・・・・・・い、痛いよ。何するのさ」ジューヌのようにべそをかいた顔。

 しかし、もうリネアは確信していた。

 ――この子は、ジグリットだわ。

 どれだけ少年が王子のように真似ようとも、その細い腕についた筋肉までは誤魔化せなかった。運動嫌いのジューヌには、筋肉などどこにも付いていなかった。リネアはジグリットから眸を離さず、ゆっくり手の力を抜いた。

「リネア?」ジグリットはジューヌのように、彼女を呼んだ。

 その瞬間、リネアの心が息を吹き返した。彼女は紅潮した顔を隠すため、ジグリットに背を向けた。今までにないほど胸が(はげ)しく打っていた。

「本当にどうしたの?」心配そうなジグリットの声。

 ――そうだ、ジグリットの声だ。

 彼女はジューヌより少し低いその声に、唇が震えた。しかしなんとか口を開いた。「何でもないわ」そしてさっさと彼を置いて歩き出す。

 ――口が()けたんだわ。

 ――ジグリットが生きていた。

 ――死んでなかった・・・・・・。

 頭がくらくらして、彼女は今にも倒れそうだった。ソレシ城へ戻ると、侍女のアウラが待っていた。

「リネア様、どこへ行ってらしたんですか?」

 リネアは答えず、居室へと歩いて行く。アウラは王女の背を見ながら、そのしっかりした足取りに気付いた。

 居室に入り、扉を閉めるとリネアは笑い出した。一緒に部屋へ入ったアウラがぎょっとしているのにも構わず、彼女はこんなに可笑(おか)しいことはないといった様子で、(しま)いにはお腹を抱えて大声で笑った。

「リ、リネア様? 一体どうなされたのです?」いよいよ精神に異常をきたしたのかとアウラは面食らって言った。

 それに対するリネアの答えは、さらに驚くべきものだった。

「あれはジューヌではないわ。ジグリットよ。私が見紛(みまが)うはずがない」彼女はまだ笑い声を噛み殺していた。

 アウラは眸を(まばた)かせた。(しばら)くその言葉の意味に声も出なかったが、ようやく首を傾げて言った。

「ですがジグリットは口が利けなかったはずです」

「そうよ、そうなのよ。私たちを騙していたんだわ」リネアが顔を輝かせて笑う。

「まさかそんな――」

「どうしてそうでないと言えるの」

 侍女は葬送の儀式で見かけた王子の姿を思い出そうとした。しかし、彼に対して無関心だったアウラには、王子が本当にジグリットだったかどうかなどわかるはずもなかった。

「王女様、もしそれが本当だとしたら」本当にそんなことが可能だったとしたらですが、とアウラは心の中で呟いた。「彼はどんな舞台でもこなせる立役者(たてやくしゃ)といえるでしょう」

「そうよ、あいつはいつだって私たちを騙して嘲笑を浮かべているのよ」リネアが刺々(とげとげ)しい皮肉混じりの笑みで言う。

「・・・・・・しかし王女様、だとしたらなぜジグリットは長い間、口を利かなかったのです? まったく理由がわかりません」

 侍女の疑問をリネアは一笑(いっしょう)()した。

「そんなことどうでもいい。あれはジグリットよ。ジューヌが死に、死ぬはずだったジグリットが生きている。あの子がジューヌを殺したのよ」

 アウラは即座に扉に向かおうとした。

「王に告発しましょう」

 しかしリネアが赦さなかった。彼女は真剣な顔つきで彼女を止めた。

「いいえ、お父様には黙っていなさい。もちろん、この事は他言無用です」

「どうなさるおつもりなのです?」

 王子と卑しい身分の少年が入れ替わっているなど、言語道断(ごんごどうだん)。あってはならない事だ。アウラは幾ら王女の頼みでもそれは聞けないと、彼女と向き合った。

 しかし、リネアは自分の赤黒い栴檀(マホガニー)の机から小刀(ペンナイフ)を取り上げると、彼女に向かって先を突きつけた。二人の間には距離があったが、アウラは王女がそれを投げるのではないかと思って、身を(すく)めた。

 リネアは不気味な笑みを(たた)えていた。

「私は今、あの子の首に手をかけている」彼女は言った。「いつでも喉を刺し貫くことができるのよ。ならもう少し遊んでからでもいいじゃない」

 アウラは王女の生半可(なまはんか)ではない美貌に浮かぶ狂気に恐れをなした。最早(もはや)、彼女が正気なのかそうではないのか、侍女には判別できなかった。

「ふふふ、退屈していたところよ。楽しくなってきたわ」リネアの笑いは広い居室に異様な雰囲気を(ともな)って響いた。

 アウラは眸を伏せ、恐ろしいことになるだろうと思ったが、静かにこう答えた。彼女にはそうするしかなかった。

「わかりました。ではここだけの話ということで」

 一礼し、侍女は部屋を出た。しかし彼女の扉を閉めるその指は、ぶるぶると震えて止まらなかった。


[1巻完]

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