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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
55/287

 それから十日後、タザリアは今回の戦いで犠牲(ぎせい)となったすべての兵や騎士、それに屍体(したい)の上がらなかった王子タスティンを(とむら)う葬礼の儀式が国を()げて行われた。さすがにその頃には、リネアも少し回復していたが、やはり彼女の顔色は悪く、横柄(おうへい)な態度もすっかり鳴りをひそめてしまっていた。

 アプロン峠の(ぶな)の森で殺されたジューヌの躰は、兵士によって発見されていた。もちろん、それはジグリットの屍体として扱われた。

 ジューヌの躰は(きよ)められ、ジグリットが(あこが)れていた炎帝騎士団の正装を着せられた。王がそうするよう(はか)らったのだとジグリットは聞いていた。しかし本来なら、彼はこの国の皇太子としての葬衣を身に(まと)うはずだったが、誰もそう思わなかった。ジグリット以外は・・・・・・。いま彼はタザリア王家の黒い礼装を着ていた。そして胸には金の花を(かたど)った勲章が燦然(さんぜん)と輝いていた。

 アイギオン城の大広間では、バスカニオン教の司祭によって長い神歌が(うた)われ、順に死者への最期の弔いのための時間が与えられた。司祭は一番に朗々と響き渡る声で、「ジューヌ・タザリア皇太子」と喚呼した。ジグリットはその場に座ったまま、静かな低い声で返事をした。

 そしてゆっくりと立ち上がると、背後に座る多くの騎士や兵士、そして真横に座るリネアの視線を感じた。ジグリットは悲しくもなかったが、その表情にはいつ涙が溢れ出してもおかしくないほどの苦悩と焦燥が張り付いていた。ジグリットの貌は完全にその場の雰囲気に溶け込んでいた。

 目の前の数段しかない階段の前で白い花を手に取り、ジグリットが奥まで並んだ(ひつぎ)の前に昇って行くと、柩はどれも上部の(ふた)が閉じられていた。しかし、どの柩に誰が入っているかはすぐにわかった。柩の上には生前の愛用物と、名前の彫られた板金の札(プレート)が載っていた。

[ジグリット]と彫られた札は、一番手前の左側にあった。ジグリットはそこへ行き、柩の蓋にある小さな窓を開いた。そこには、彼のもう一つの貌が綺麗に泥を落とされ、化粧をされた姿で眠っていた。不思議な気分でジグリットはそれを見つめた。そして気づいた。死んだのは、自分だったのだと。ここに横たわっているのは、(まぎ)れもない自分自身だと。初めてジグリットは泣きたい気分になった。この可哀相(かわいそう)な少年のために、泣いてやりたいと思った。ジューヌ・タザリアとして。しかし、ジグリットがしたことは、窓を閉じ、白い花を柩の上に置いただけだった。本当のジューヌが、ジグリットのために泣くことはないことを彼は知っていた。

 次に呼ばれたリネアはジューヌの柩に近づき、あの冷め切った眸で数分見下ろしていた。彼女が近寄ったのは、後にも先にもその柩ただ一つだけだった。彼女が自分に対し、非道(ひど)い言葉や(あざけ)りの様子を見せることを想像していたジグリットは、リネアが無表情にきびすを返し、席に戻るのを不思議な気持ちで眺めていた。だが、それはマシな方だった。王妃に関しては、その柩を覗くこともしなかった。

 王は柩の中に横たわるジグリットの貌をさせられたジューヌに、何度も()びの言葉を告げた。王の目に涙が浮かんでいるのを、ジグリットは与えられた席に座って一心に見つめた。ジグリットにとって、王を(だま)すことが何よりも辛いことだった。

「すまない、ジグリット。そのような若年で死すことになろうとは、さぞ無念だろう。すまない。すまなかったなぁ」

 涙ながらのその言葉はジューヌにではなく、ジグリットへ向けられていた。彼はそれを見るに()えず、席に座っていることができなくなり、静かに退席した。しかし、そのことを責める者は誰一人いなかった。彼らは皆、哀しみに暮れていた上、ジューヌという少年が、いつでも、どんな場所であろうと、神経的な発作(ほっさ)によって逃げ出すことを知っていたからだった。

 他にも連れ帰られた死者は幾人も幾十人も並べられていた。ジューヌはその中のたった一人に過ぎなかった。そしてその扱いも同様だった。

 庭園へ逃げたジグリットは、もう一人の自分(ジューヌ)のために少し泣いた。彼の弱かったところも(ずる)さも、いま思い出すと王子という人生を体現していたに過ぎないと思えた。もし二人が本当に逆の立場に生まれていたら、そうなっていたのは自分だったかもしれなかった。いま初めて、ジグリットはジューヌを自分の分身のように感じていた。彼らは共にお互いの影であり光であった。

 ジグリットは庭園の露台(テラス)から、王宮の北西にある(けやき)並木を長く、そして静かな葬列が粛々(しゅくしゅく)と川に沿って歩いていくのを見た。彼らは礼拝堂へと向かっていた。先頭を歩く司祭の真後ろをタザリア王が、そして次を王妃が大きな黒の日傘(パラソル)を侍従に持たせ、気だるげに歩いていた。ジグリットは炎帝騎士団のグーヴァーの横を、近衛隊長のフツが距離をわざと離して歩いているのを見た。だらだらと歩き、列を乱しているのは彼だけだった。

 そしてその列の後ろを、柩を担いだ人々が過ぎて行った。長い時間、それは途切れなかった。ジグリットは片時も眸を離さず、その白い柩が流れ去るのを見ていた。戦死者はほとんどがその場に置き去りにされた。だから、あの柩に収まった人達は運が良かったか、もしくは放ってはおけない要人かのどちらかだった。ジューヌがあの場に置き去りにならなくてよかったとジグリットは思った。

 儀礼的な葬送が終わると、最初の頃は人が訪れることも多かった墓地も、日が経つにつれ、次第に人々の関心から消え去るだろう。自分の名が刻まれる墓を思うと、不思議な気分だった。


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