第九章 泡影の屍櫃を抱いて 1
第九章 泡影の屍櫃を抱いて
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チョザの街は王子の凱旋を多大なる喜びをもって迎えた。白帝月の身を切るような厳寒と大雪の中、ジグリットは栗毛の馬の背に跨って、その白い街に住む民衆から労いの言葉をかけられた。その夜、ジグリットと炎帝騎士団の騎士数名、それに無事帰還したすべての兵がアイギオン城の大広間に集まり、タザリア王や王妃エスナと共に、一晩中、夜宴を楽しんだ。彼らは渇きを癒すように呑み、踊り明かした。ジグリットは豪華な金糸の天鵝絨張りの椅子に掛け、王子ジューヌとして王と話し、王妃から祝福を受けた。ジグリットは幸せだった。だが、心のどこかでそれが紛い物の幸せであるという考えは、やはり拭い去れなかった。
珍しく王女リネアは出席していなかった。彼女の話を王妃から聞いたジグリットは耳を疑った。彼女は長く居室に引き篭もっているということだった。
「お願いよ、ジューヌ」王妃は眦を下げ、優しく言った。「あの子を見舞ってあげてちょうだい。おまえなら、あの子も閉ざした扉を開けるでしょう。わたしも心配で毎日看に行っているのだけど、会ってもくれないのよ」
ジグリットはにこりと微笑んだ。「わかりました。ぼく、会ってみます」しかし外見とは裏腹に、ジグリットは彼女がこのまま、部屋から出てこなければいいのにと思っていた。ここまで王子として振る舞っても、誰にもバレてはいなかったが、リネアは利口でジューヌとジグリットの両方を誰よりもよく知っている。彼女を欺くのが難しいことをジグリットは知っていた。
明け方まで続いた長い夜宴が終わった翌朝、ジグリットは渋々リネアを訪ねた。ソレシ城の彼女の部屋の前には、銀の食膳に載ったスープと麺麭、それに乾酪が置かれていた。ジグリットはそれを横目に、扉を叩いた。
数秒待ったが、返事はなかった。ジグリットは立ち去りたいと思ったが、自分は王子なのだから、姉を心配する素振りは見せなければならない。そう思い直し、再び扉を叩いた。
「誰?」と扉の奥からか細い声がした。
「ぼく、ジューヌです。あの・・・・・・大丈夫? みんな心配してるよ?」
リネアが部屋の中で動く気配がした。カタン、と扉のすぐ向こうで音が鳴った。
「お帰りなさい」リネアが扉を開いた。
ジグリットはその幽霊のような彼女の青白い貌にぎょっとした。眸の周りは黒ずみ、彼女の長い綺麗な髪は縺れ合ってくしゃくしゃになっていた。そして病的なほど虚ろな眸に、ジグリットは息を呑んだ。
「ほ、本当に大丈夫?」ジグリットは眉を寄せ、彼女の全身をくまなく見つめた。
「・・・・・・ええ、大丈夫よ。心配いらないわ」しかしその声にも以前のような張りはない。
「一度、お医者様に診てもらった方がいいんじゃないかな?」
リネアは溜め息をついた。「いいえ、いいのよ。病気じゃないの。本当に平気なのよ」
ジグリットは彼女にしばらく安静にして睡眠と食事を摂るように薦めたが、リネアはその返事もまた曖昧な様子だった。
彼女に一体何があったのだろうと、ジグリットは色々考えてみたが、侍女のアウラでさえわかり得ないことが彼にわかろうはずもなかった。




