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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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 チョザの王宮のどの場所から眺めても、もちろんアプロン(とうげ)は見えない。リネアはそう知っていたが、ジューヌとジグリットが()ってから、毎日のように彼女はアンバー湖側の城壁から南の山々を眺めていた。

 前線から伝令が届く時間を彼女は把握していた。戦報は毎日届くのだ。しかし、その(しら)せはもちろん数日遅れのものだった。さらに酷い雨の日や強風の日にはもっと遅れたりする。山の天気は変わりやすく、それもまた災いした。

 リネアは巡視路の長い通路で胸壁(きょうへき)に腰かけて、空中に細い脚を投げ出していた。数ヤール真下にはひたひたとアンバー湖の水が迫っている。そこに侍女のアウラが息を切らして駆けて来た。リネアは無作法な彼女を(とが)めるように眸を(すが)めた。

「そんなに慌てて、何か面白い話?」そうでなければ赦さないといった感じのリネアに、アウラは呼吸を整える間もなく切り出した。

「リネア様、先ほど本日の急使がアプロンより参りました」

「知っているわ」彼女は南に広がるアンバー湖とそこに映るさかさまのテュランノスの切り立った(みね)に向いていた。

 アウラは屹立(きつりつ)したまま、複雑な表情をしていた。だが、やがて口を開いた。「その者が言うには・・・・・・・・・・・・戦死されたそうです。その、ジグリットが」

 リネアの(さび)色の眸に映るアンバー湖の冷たい表面が一瞬、揺らいだ。彼女は自分が聞き違えたのか、侍女が勘違いしているのか、どちらにしても面白くないと思った。

「もう一度、最初から話してちょうだい。誰が、どこで、どうやって死んだのかを」リネアは冷徹に問いかけた。

「ですから、ジグリットがアプロン峠でウァッリスの騎士にやられて亡くなったと。もちろんジューヌ様は御無事です。あんなヤツでも王子を御守りする使命だけはきちんと果たしたようですね」

 リネアは胸壁から立ち上がろうとした。しかし、頭がぐらぐらと覚束(おぼつか)ないばかりか、躰も言うことを聞かなかった。彼女は腕を胸壁の両脇にある突端にかけ体重を持ち上げようとしたが、うまくいかずに前のめりに倒れそうになった。

「リネア様っ!!」アウラが慌てて王女を支えた。リネアはもう少しでアンバー湖に落ちるところだった。「大丈夫ですか、リネア様?」

「・・・・・・平気よ。少し疲れたみたい」

 侍女に手伝ってもらってリネアは立ち上がった。彼女が見たテュランノスの向こうの空は、暗く低い雲に覆われていた。ウァッリスの兵など皆、雷に打たれて死んでしまえばいいとリネアは思った。



 リネアの居室は夜になっても明かりが灯ることはなかった。侍女のアウラでさえ彼女は部屋に入れなかった。気分が悪かった。とぐろを巻いた蛇を呑み込んだような気分だ。彼女は何度も同じことを呟いていた。

「・・・・・・ジグリットが・・・・・・死ん・・・・・・だ?」

 まったく想像もできなかった。彼の剣は炎帝騎士団に入れるほどの腕前だ。どこの馬の骨かわからないような、ウァッリスの騎士なんかに負けるはずがない。

 寝台(ベッド)の上で彼女は何度も寝返りを打った。そしてまた呟いた。

「・・・・・・・・・・・・ジグリットが、まさか・・・・・・」

 きっと誰か別の兵士と間違えて報告されたのだろう。リネアはそう思おうと何度も(こころ)みたが、一度放たれた小石はなかなか波紋を治めてはくれなかった。

「・・・・・・嘘よ、あいつが死ぬわけ・・・・・・・・・・・・死んだりするもんですか」

 白絹の敷布(シーツ)に顔を押し付け、リネアは同じことを何度も何度も繰り返した。夜が明けても、彼女が眠ることは一切なかった。ただ無為に時間だけが過ぎて行った。

 数日後、アウラはリネアの部屋の扉を叩いていた。しかし王女の姿はおろか、返事すらなかった。扉の前でアウラは叫んだ。「リネア様、もう四日になります。せめてスープだけでもお飲みになられませんか?」

 しつこいアウラの声が耳障りで、リネアは数十回目にようやく返答した。「放っておいてって言ってるでしょう!」

 扉の前でそれを聞いたアウラは、その返事に俄然(がぜん)闘志を燃やした。「ですが、お躰に(さわ)ります。もうずっと水しか口にしてらっしゃいません」

「食べたくないのよ! 向こうへ行って!」

 それから後は、どれだけアウラがうるさくしても、リネアは反応しなかった。アウラは何が彼女の機嫌をそこまで損ねたのか、まったくわからなかった。わかるのは一つ、このままでは王女の躰が危ぶまれるという事だけだった。もしそんなことになれば、侍女として責任を取らされることもあり得た。しかし、アウラはどうすれば良いのか、原因も掴めず困惑するだけだった。


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