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冷えた夜気の中、先発隊と合流したジグリットは炎帝騎士団の騎士長であり、今度はすべての部隊の総指揮官となったグーヴァーの天幕に幾人かの騎士と共に入っていた。お互いに手厚い歓迎など皆無だった。それほど状況は緊迫していたのだ。
しかし、その場にいたジューヌだけは恐怖と戦うのが忙しいのか、しきりに天幕の外を気にしていた。「ここは本当に安全なのか」「敵はどこまで迫っている」「もっと状況を報告しろ」さすがの騎士達もこの臆病な指揮官には苦笑いを浮かべるばかりだった。ジグリットは侍女のように彼を慰め、励まさなければならなかった。
「今、我々の軍は先発隊の五部隊の他に、今日到着した援軍千二百を六つに分けた十一の部隊で、グイサラー陥落を目指そうと思う」
グーヴァーが話を切り出すと、炎帝騎士団の騎士七人が頷いた。彼らはそれぞれの部隊の指揮官だ。ジグリットはジューヌの隣りで話には混ぜてもらえず、ただ聞き役に徹していた。
「敵は少なくとも千六百、グイサラーに常駐している兵は四百。道が狭いから、グイサラーの門を一度に潜れる数は限られている。そのせいで我々は一気に攻め込むことができず、足踏みしているわけだが」グーヴァーが机に広げた地図の一点を指差した。「グイサラーは岩肌に覆われた断崖絶壁の要塞でもある。兵士を幾ら殺しても、蟻の子を潰すのと同じ。次々に出てくる。だが、一気に攻め込めないのは、向こうとて同じだ。ここが正念場だ。ヤツらをグイサラーから叩き落し、ヴァジッシュに押し戻すぞ」
騎士達は猛々しい咆哮を上げ、意気を高めた。しかし、ジグリットだけは、静かに厳しい眸で彼らを見つめていた。もしかしたら、この戦いは負けるかもしれないと彼は考えていた。
翌朝、分けられた部隊の一つにジグリットも加わっていた。ジューヌがその部隊の指揮を取ることになったからだ。ジューヌの部隊は最後から三番目に出発する騎兵隊だった。グーヴァーはまたしても最前線の部隊を自ら志願して指揮していた。彼らは弩兵を加えた、槍騎兵の多い混成隊だった。
グーヴァーが進軍した後、ジグリットは見つけた木の枝で地面に、グイサラーの街を示す円を一つ描くと、その左右に細く繋がるウァッリス側とタザリア側の二つの隘路を描いた。グイサラーへ至る道はその二本しかなく、現在、グイサラーを支配しているのはウァッリス軍だ。元々ウァッリス領内であるその街には、いまやウァッリスの兵が犇いている。しかし、彼らはまた狭い道のせいでそこに留まるしかない状況だ。お互いに詰まった水路のようだとジグリットは思った。
そのとき、彼の頭に一つの案が浮かんだ。お互いに詰まった水路なら、兵の数が多い方が結局勝利を収めることになるだろう。つまりウァッリスがだ。だがジグリット達が目指しているのは敵をヴァジッシュへ押し戻すことだ。もっと簡単に言えば、彼らをこちらへ通さないことが最大目的だ。
――こちら側の狭い道を通れないようにしてしまえば、ウァッリスが攻めてくることはないんじゃないか。
ウァッリスとタザリアを繋いでいる線はたった一本の山道でしかない。
――塞いでしまえばいいんだ。
むろん、山頂のグイサラーにタザリア兵を残したまま、塞ぐわけにはいかないが、それは退却するフリをして全員がタザリア側に退くことは可能だ。土砂や岩で道を塞げば、またそこを通れるようにするまで、ウァッリス兵はタザリアに侵攻できない。
テュランノスの白帝月は厳しい。本格的な大吹雪がやってくれば、彼らはグイサラーに留まることさえできないだろう。少しの時間稼ぎでも、ウァッリスの今の士気を確実に落とすことができるなら、十分な効果だ。
もうちょっと早く考えていればよかったと、ジグリットは後悔した。すでにグーヴァーはグイサラーに向け、進攻してしまっている。彼にこの案を伝えるためには、ジューヌを一緒に連れて追いかける必要があった。タザリア王には、絶対に王子から離れてはいけないと言われている。一人でグーヴァーを追っていけば、ジューヌは怒って帰還後、王に言い付けるに違いない。
ジューヌを捜すと、彼は自分の天幕の中で毛布に包まっていた。ジグリットが近づくと、彼は猫に襲われた子鼠のように飛び上がった。ジグリットは皮肉った笑みを浮かべ、黒板を近づける。ジューヌは相手がジグリットだとわかると、愚鈍な動作でそれを見た。
[グイサラーからヤツらを撤退させる良い案を思いつきました]
「撤退させる・・・・・・良い案? 何それ?」
麻の敷布の上にジグリットは膝をつき黒板を消して図を描いた。ジューヌはじっとそれを見ていたが、やがて何が言いたいのかを理解して、眸を瞬かせた。
「ああ、なるほどね。うん、いいんじゃない。やってみようよ」
[ですが、すでに騎士長は先行してしまっています。彼を追いかけてこの案を打診してみる必要があるかと思いますが]
ジューヌは瞬時に、顔を曇らせた。「ちょっと待ってよ、ジグ。追いかけてって、ぼくらが行くの? ぼくも?」
[わたしが一人で行けば、ジューヌ様を御守りするという王との誓いを破ることになります]
「だったら、他の兵に説明に行かせればいいよ」
[兵士にはこの案を遂行するにあたり、総動員で働いてもらわなければなりません]
道を塞ぐには多量の土砂が必要だった。それを知り、ジューヌは眉をひそめた。
「・・・・・・手が空いてるのはぼくらだけってこと?」
ジューヌを説得するのが如何に大変かわかっていたので、ジグリットは嘘をついた。
[むしろ子供の伝令の方が、敵には狙われ難いでしょう]
「・・・・・・本当に?」
疑い深いジューヌだったが、やがて渋々承知した。ジューヌは別部隊の騎士を呼び、ジグリットが考えついた案をあたかも自分が思いついたかのように説明した。しかしジグリットは少しも気にかけなかった。




