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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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 その夜、ジグリットは隣りの部屋でジューヌが泣き(わめ)く声のせいで、なかなか眠れなかった。彼はそっと自室を抜け出し、月明かりすらない暗い寒空の下、ソレシ城から外へ出た。吹雪(ふぶき)はすでに止み、雪は地面に吸い込まれ跡形(あとかた)もなかった。そろそろ白帝月(はくていづき)が近い。そうなれば、あっという間に、この辺りは雪で覆われるだろう。

 戦場の様子をマネスラーが教えた話や、書物で読んだ中からジグリットは想像していた。しかし、そのどれも真実味に欠けていた。

 ――タスティンは本当に死んだのだろうか。

 (がけ)の下に倒れていた彼を助けたことを思い出し、ジグリットはやる瀬ない気持ちになった。タスティンはこのチョザへ来てからの一番の友人だった。北で守りを固めていた間も、彼との手紙のやり取りはずっと続けられていたし、今にも彼の(はやぶさ)がまた手紙を持って羽ばたいて来るのを見つけそうな気がした。

 しかし今夜の月もない暗闇には、何一つ見つけられそうになかった。

 ――彼のためにできることは、戦果を上げることだけだ。

 ジグリットは溜め息をついた。タスティンにできなかったことが、自分にできるとは思えなかったからだ。しかもジグリットはジューヌの指揮で動かなければならない。

 頭を振り、戦場の様子を思い描こうとしたが、ジグリットは死に対する恐怖が自分に押し寄せてくるのを感じていた。

 ――死ぬかもしれない。

 自分の剣の腕に自信はあったが、それと本当の生死を賭けた戦いはまったく別のものだとジグリットは考えていた。

 しかしそこでジグリットは、自分にその剣を教えた人物のことを思い出した。

 ――そうだ、向こうにはグーヴァーがいる。

 アプロン峠で善戦しているだろう騎士長の伝説的とさえ言われる戦いぶりを見られるんだぞ、とジグリットは自分に言い聞かせた。恐れや不安を(ぬぐ)えるほどではなかったが、そう考えると僅かな望みが()くのをジグリットは感じた。

 彼は衛兵しか歩いていない中庭を通り、誰にも見咎(みとが)められることのないままマウー城へ足を踏み入れていた。ジグリットはあのおかしな老婆に出会ってから、しょっちゅうそこへ訪れていたせいで、自然と足が向いたのだ。外の暗さのおかげで眸が慣れ、松明(たいまつ)の明かりがない地下通路を彼は(おく)することなく進んだ。濡れて滑る石畳に気をつけながら、ジグリットが行き止まりの広い円形の空間に到達すると、やはり今日もすべての松明の明かりがその広間にだけ(とも)されていた。

 ――いつ来ても火が灯っているけど、一体誰がつけているんだ?

 柱の一本一本に刻まれた(つた)のような装飾彫(そうしょくぼ)りにジグリットは指を()わせた。すると、その柱の裏から(しわが)れた声が聴こえてきた。

「おまえは王子? 王子がおまえ?」

 あの老婆だ。ジグリットは急いで柱の裏を覗き込んだ。しかしそこには誰の姿もない。代わりにその隣りの柱からまた声がした。

「王子がおまえ? おまえが王子?」

「・・・・・・違う。ぼくは王子じゃない。前にも言ったろう」ジグリットは声を出した。

 静かな地下空間に、彼のはっきりとした声は大きく反響した。声のした柱を見ていたが、老婆は姿を現さない。

「あなたは一体、誰なんです?」

 今度は背後の柱から声がした。「王子じゃないなら、おまえこそ誰だ」老婆の声は奇妙に間延びして聴こえる。

 ジグリットは振り返り、柱の陰からこちらを覗く顔を見つけた。

「・・・・・・ぼくは」そう言った瞬間、ジグリットは老婆の眸の異様な光に(ひる)んだ。心の奥底まで見通しそうな、ぽっかりと穴が開いたようなその闇に染まった眸は、ジグリットの何もかもを知っているようにさえ思えた。ジグリットは震える声で告げた。「ぼくは・・・・・・ぼくは単なるヤツの身代わりだ」

 それに対する老婆の返事はまた意味のわからないものだった。「王子が二人。二人は王子」

 しかしジグリットは勝手に話した。「ぼくはジューヌの代わりに死ぬためだけに生きてる」

「王子はジューヌ。ジューヌはおまえ」

「ヤツのために死ぬなんて、本当は嫌なんだ。守ってやりたいとさえ思えない」

 そのとき、老婆は柱から顔だけでなく、躰も現した。そして厳しい声と鋭い眸で言った。「嘘だね」

「えっ!?」

「おまえは王子の身代わりであることで、自らの価値を見出している。王子の(かお)を持たない自分を望みながら、そうなることを恐れている。王子に似ていかないことに恐怖を抱いている」

 ジグリットは首を振った。「そんなことはない」

「いいや、そうだよ。そうなんだよ。だからこそおまえは王子」老婆は見透かしたように口元に笑みを浮かべた。老婆が正気なのかそうじゃないのか、はっきりしない状態にジグリットは嫌気が差した。これ以上話しても無駄だと感じたのだ。ジグリットが苦い顔で去って行こうとすると、老婆はその背に話しかけた。「おや、帰るのかい? だったら最後にいいことを教えてあげよう。王子は死ぬよ、もうすぐ死ぬよ」

 ジグリットが振り返るには充分な内容だった。「何を知ってる? 答えろ」

占術(せんじゅつ)は月の変わりに死の兆候(ちょうこう)を見せた。玉座(ぎょくざ)にヒビが入るよ。ヒッヒッヒッ――」老婆が笑う。

「詳しく教えろ」ジグリットは問い詰めた。

「信じるのかい、王子様」

「おまえのことなど信じていない。でも・・・・・・」

「気になるんだね。そうだろう。おまえは好奇心が強い子だ。猜疑心(さいぎしん)も強いがね」

 まるで自分を知り尽くしたような言い方にジグリットは苛立ちを抑えきれず怒鳴った。「さっさと答えろ。その気がないなら、もう戻る」

「せっかちだね。仕方ない子だ。事が起きる瞬間に、おまえは必ず気づくだろうよ。だがその選択は間違っちゃいない。隠れておいで、でなきゃおまえも死ぬからね」

 松明の炎が揺らぎ、老婆の顔半分だけを照らしていた。深い(しわ)凹凸(おうとつ)が黒い影となって、不気味な彫り物(タトゥー)のようだ。

「おいっ、どういう意味だ!?」

 老婆が柱の裏に完全に隠れると、声だけが彼に答えた。「双子の月はいつまでも定位置にはない。やがてはぶつかり片方が(くだ)けるのさ。ヒッヒッヒッ――――」長い(あざけ)りの笑いは、徐々に小さく(しぼ)んでいき、やがて聴こえなくなった。

 柱の陰を探ったが、やはりそこには通路も何も存在しなかった。もう聴こえるのは、天井から落ちる水滴が石畳を打つ音と、松脂(まつやに)()ぜる音だけ。彼は何度も老婆の言葉を反芻(はんすう)していた。

 ――ジューヌが死ぬ!?

 不気味な予言は、ジグリットを困惑させたが、信じさせはしなかった。彼は来たとき同様、しっかりとした足取りでマウー城を後にした。


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