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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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          5


 数日後、星供の城のタイル張りの廊下を歩きながら、リネアは騎士長のグーヴァーと重要な話をしていた。彼女は相次ぐ要人との折衝(せっしょう)に、疲れ切っていた。

「くだらない話をあそこまで延ばせるのは、ある意味才能ね」

 グーヴァーは苦笑いで彼女に言い返した。

「リネア様ほど、お若く美しい方との面談なら、誰でも時間を延ばそうと画策するのではありませんか」

 しかし彼女の機嫌は直らなかった。

「わたくしに()びを売る気なら、最初から最後まで首を縦に振っていればいいのよ。それなのに、あの業突張(ごうつくば)り共ときたら」

 グーヴァーは肩を竦めた。

「他国との面談は、後は二カ国のみですよ。ここが正念場(しょうねんば)です。それさえ済めば、残るは協議会だけですから」

「わかっているわ」リネアはそう言ったものの、残り二カ国の相手を考えると頭痛がした。「ナフタバンナの官僚は適当にあしらえたけど、後はウァッリスとゲルシュタイン。どちらも一筋縄ではいかないわね」

 タザリアの近隣諸国である三カ国のうち、タザリア王国は現在ナフタバンナ王国と(きわ)どい関係にあった。しかし、同等かそれより下の兵力しかないナフタバンナよりも、タザリアの脅威になっているのは、南東のウァッリス公国と西方のゲルシュタイン帝国だった。特にウァッリス公国は兵士よりもさらに厄介(やっかい)な魔道具を武器として使うことに()けていた。さらに西方のゲルシュタイン帝国においては、ここ一年の間に物騒な話が出回っていた。

 ゲルシュタイン帝国の皇帝ウィンガロス三世の嫡子(ちゃくし)が、次々と殺されているというのである。七人の嫡男(ちゃくなん)を持っていた皇帝は、現在は二人の皇子と一人の皇女を有するに留まっていた。しかもその事件で暗躍しているとされるのが、七人の皇子の下から二番目、アリッキーノ皇子だと誰もが公言していた。最初は誰も信じなかった噂は、皇子が一人消え、二人消えるうちに、その動機と現場の状況から、その弱冠(じゃっかん)十六歳のアリッキーノ皇子に絞られていったのだ。ただ、皇子が直接、手をくだしたわけでもない上、一切の証拠が掴めなかったため、すべての事件が事故や追い剥ぎ、他国の暗殺者に()るものとして処理されていた。

 繁栄の儀(プロスフェストゥム)には、そのアリッキーノ皇子が特使として出向いていた。リネアは彼が苦手だった。白金(プラチナ)の髪に、薄墨色の切れ長の眸、相手を威圧するような雰囲気、すべてが気に(さわ)った。アリッキーノはゲルシュタイン王家の掲げる家紋、鎖蛇(くさりへび)そのものを象徴した人物と言えた。

「心配しなくとも不徳な弟に代わって、上手くやってのけるわよ」リネアは頬を引き締めた。

 彼女はすぐに自分の部屋へは帰らず、ジューヌの部屋へ向かっていた。そこには、弟の影武者であるジグリットも退屈して彼女を待っているはずだ。リネアはそう思っていた。

 グーヴァーはジューヌの居室の扉の前まで王女を送ると、彼女が部屋へ入るのを見てから立ち去ろうとした。しかし間を置かずに、部屋から聞こえてきた怒鳴り声に、彼の足は止まった。振り返り、何があったのか訊ねた方がいいだろうかと思った矢先に、内側から扉が開いた。

 リネアが荒々しい口調で扉口に立ち、彼に命じた。

「騎士長ッ! 影がいないわ、捜して来て!!」

 その憤怒(ふんぬ)の形相に、さしものグーヴァーもたじろいだ。

「は、はい・・・・・・」

 影、と言うのはジグリットの事だ。もう夕暮れだが、どこかに遊びに出たきりなのだろう。そんなに心配するほどの事じゃないとグーヴァーは思ったが、反論する隙を与えず、リネアはさっさと扉を閉めた。あまりの激しさで、蝶番(ちょうつがい)が外れそうな勢いだった。グーヴァーは上を向いて大きく溜め息をついた。



 修道院の奥の果樹園で、アンブロシアーナに会ってからというもの、ジグリットは一日中、そこに入り浸るようになっていた。アンブロシアーナは、ジグリットがそこを見つけるよりずっと以前から、(あんず)の樹上を侍女からの格好の隠れ場としていたらしく、二人は毎日のようにそこで会うようになった。

 アンブロシアーナは、ジグリットが最初に思っていたよりもずっと快活で奔放(ほんぽう)だった。彼女はジグリットと同じ十四歳の少女で、五歳の時にレイモーンの草原地帯から家族と離され、一人フランチェサイズに連れて来られたと語った。

 少女神(コレツェオス)について、彼女は詳しくジグリットに話してくれた。少女神は一定の期間を(しゅ)、バスカニオンの妻として過ごすが、やがて神の力(アーリメント)を失うと同時に、レイモーンのどこかに新しい少女神が誕生する。つまり、少女神は代替わりをするのだ。さらに、神の力を失った少女神は、それから一年以内に落命する運命にある。これは逃れることのできない死で、再生とも言われるが、その落命の仕方は少女神によって異なる。アンブロシアーナも前の少女神が力を失ったことによって、神の力を得たのだと言う。

 その他にも、少女神が代々受け継ぐ紅玉(ルビー)の指輪を彼女は見せてくれた。表側に大きな紅玉が嵌まり、裏の真鍮(しんちゅう)の台にはバスカニオン教の教会の紋章である、椿(ツバキ)の五弁花を(かたど)った印章が入っていた。

 しかしジグリットは彼女が少女神であっても、それをあまり気にしていなかった。それどころか、いつかタザリアへ戻る事も、すっかり忘れてしまっていた。ジグリットの頭の中は、アンブロシアーナの昨日の笑顔、今日の会話、そして明日は何時に大聖堂を抜け出して来た彼女に会えるだろうかといった事で完全に支配されていた。ジグリットの世界に存在するのは、彼女だけになってしまったのだ。

 アンブロシアーナは、ジグリットがたどたどしく話すのを、嫌な顔一つせず根気良く待ち、フランチェサイズの様々なことを教える代わりに、タザリア国内や、彼が踏破(とうは)してきたフランチェサイズまでの道行を楽しげに聞いた。時間は飛ぶように過ぎ、果樹園に着いたと思えば、すぐにも夕刻になるといった具合だった。

 アンブロシアーナが夕暮れのちょっと前に、侍女の(もと)へ帰って行くと、ジグリットは足取りも軽やかに、いつものように修道院から繋がる大聖堂の身廊(しんろう)を通って、鮮やかなステンドグラスが作り出す床の上に散った赤や緑といった光の波を眺めながら、星供の城へ戻ろうとしていた。

 その日、彼女と話した内容を胸の内で反芻(はんすう)しながら、ジグリットが堪え切れない笑みを浮かべていると、目前から炎帝騎士団のグーヴァーが角張った肩を左右に振りながら大股で歩いてくるのが見えた。

 ――グーヴァーが大聖堂に?

 ジグリットは、彼がバスカニオン教に特に感慨(かんがい)を持っていないことを知っていたので、不思議に思った。グーヴァーは、ジグリットを見つけると聖堂内に響くような大きな声で呼んだ。

「ジグリット!」そして太い腕を振り回した。「一体どこにいたんだ!? 捜していたんだぞ!」

 ジグリットは、ほとんど人気のない大聖堂の中でもお祈りに来ていた数人がこっちを見るのを感じて、彼に駆け寄り、その腕を引き、早く星供の城へ戻ろうと翼廊(よくろう)を早足で歩いた。

「リネア様はかんかんだぞ」とグーヴァーが隣りから言った。「お疲れになって、弟君の部屋に戻ってみれば、ジューヌ様に付いているはずのおまえがいないんだからな」

 ジグリットは肩を竦めた。リネアが怒っているのは、ジューヌに付いていなかったからではない。勝手に抜け出したからだ。ジグリットがジューヌを放って、部屋で書物を読んだり、侍従とボードゲームに興じている分には、彼女も文句はないのだ。

 グーヴァーに「どこに行っていたんだ!」と詰問(きつもん)されながら、ジグリットは(うわ)の空で、リネアの逆鱗(げきりん)にどう対処しようかと思い悩んだ。しかし、良い案は何も思いつかず、すぐにジューヌの部屋まで着いてしまった。

 ――せっかく楽しい気分だったのに、台無しだ。

 溜め息を漏らしながら、内側から侍女が開けた扉に入って行く。足を踏み入れるなり、リネアが鋭い眸で彼を捉えた。

「どこに行っていたの!?」

 ジグリットが黒板を取り出す様子も見せないでいると、リネアはさらに激昂した様子で今度はグーヴァーに詰め寄った。

「騎士長、彼はどこに?」

「・・・・・・大聖堂にいました」とグーヴァーは静かに答えた。

「あんな所で何してたって言うの?」

 ジグリットは何も説明しなかったが、グーヴァーは何とか彼が怒られないような答えを懸命に探していた。そして、リネアから眸を逸らして嘘をついた。

「ステンドグラスを見ていたようです」

 ハッとしてジグリットは騎士長を横目で見た。グーヴァーは厳しい顔つきで口を曲げて突っ立っている。

「そう、ステンドグラスを・・・・・・。確かにあれは素晴らしいわね」リネアはその答えに満足したのか、少し怒りを静めて、頷いた。「チョザの礼拝堂にもあれほどとはいかなくても、それなりのステンドグラスを作らせてみたいわ」

 グーヴァーはそれで彼女の叱責が終わったと思ったようだが、ジグリットはリネアの機嫌が直っていないことを知っていた。リネアはジグリットを見据え冷ややかに言い放った。

「おまえは今夜は食事抜きよ」

 それぐらいなら、なんて事はない。そうジグリットは思い、さっさと自室へ退出しようとした。しかし、リネアが再び声をかけた。

「誰が出て行っていいと言ったの? さぁ、一緒に席に着くの。わたくし達が終えるまで、おまえもそこにいるのよ」

 溜め息と共に振り返ったジグリットは、グーヴァーが唖然としている表情を眸にして、少し笑いそうになってしまった。ジグリットにとって、リネアのこういった(たぐい)(いじ)めは日常茶飯事だが、グーヴァーは初めて見たのだ。彼は眸を(まばた)かせリネアに言った。

「リ、リネア様・・・・・・お言葉ですが、彼の監視でしたら、わたくしめが致します」

 それに対するリネアの答えも的を射ていた。

「騎士長、悪いけど、あなたじゃ()てにならないわ。連れて行って、(えさ)を与えかねないもの」

「・・・・・・・・・・・・」

 グーヴァーが押し黙ると、リネアは彼に退出するよう命じた。出て行く直前、グーヴァーはジグリットに向かってどうしようもないと言った表情を向けた。

 ジグリットはリネアに一切逆らわず、彼女の言いたい放題にさせて早く怒りが収まるのを待った。反抗すれば、さらに(かん)の虫が暴れ出すのだから仕方がない。

 そして、何を言ってもまったく意に介さないジグリットを、リネアは心のどこかで冷静に分析していた。彼女はジグリットをよく知っていた。ジグリットが彼女をよく知るように。

 ――何か隠しているわね。

 それが何なのか、想像もつかなかったが、リネアにとっては放って置けない状況に違いはなかった。侍女に見張らせて探る必要がある、と彼女は思った。


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