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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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          3


フランチェサイズは大都市だった。今までも他国に足を踏み入れた事の多いグーヴァーでさえ、フランチェサイズよりも大きな都を知らなかった。アルケナシュ公国の首都であり、バスカニオン教の総本山でもあるその都市は、バルダ大陸のすべての技術の(すい)を集めて造られていた。

 何より教会の誇る大聖堂は圧巻であり、高さ百ヤールを超える針葉樹林のような尖塔の群れは、フランチェサイズの中央広場の前に(そび)え建っていた。その敷地は軽くチョザの王宮七つ分はあった。大聖堂の脇には、長い白亜の建物が両側に続き、その背後には修道院と、学士院が付属されていた。壁には精巧な彫り物が施され、すべてがバスカニオン教の教典を表しているとグーヴァーが説明した。他にも、ジグリットの眸を()くものが山とあった。

 ジグリット達が馬や屋根付き馬車で入場すると、街の人々が温かい眼差しで手を振った。皆、彼らが今年の繁栄の儀(プロスフェストゥム)に出席するため、入国した事を知っているのだ。グーヴァーはフランチェサイズには、バスカニオン教の信心深い巡礼者が他国から詰め寄せるのだと言った。そのせいか、街を歩く人の衣装では時折、変わったものを見かけた。

 ジグリットは都市に入るとすぐに、薄墨色の頭巾(フード)を被ることになった。できるだけ(かお)を隠すよう、チョザでタザリア王に言われていたのだ。それに、ジューヌから絶対に離れないようにも言われていた。

 教会の年老いた白髭の大祭司が、大聖堂脇の長い建物の一つで彼らを待っていた。馬車から降りたリネアとジューヌに、ジグリットは侍従のふりを装って付いて行った。グーヴァーも騎士として付いて来る。他の騎士と兵士、それに何人かの侍女と侍従は、それぞれ別の場所を与えられるらしく馬を引いて行く者、裏の建物に案内される者など、散り散りになった。

 白亜の建物の中は、チョザの王宮に慣れたジグリットでさえ、ぽかんと口を開いてしまうほど美しかった。床は輝く砂を混ぜたタイルでできていて、高い天井には五十は蝋燭が立てられる装飾燭台(シャンデリア)が吊るされていた。

 リネアは大祭司の話に耳を傾けながら、にこやかに談笑して、タザリア国内の様子や父王の挨拶を伝えたりと、悠然とした態度で公務をこなしていた。逆にジューヌは、侍女のヤーヤにしがみ付いていた。彼は誰とも話す気がないのか、下のタイルしか見ていなかった。ジグリットは頭巾さえなければ、もっと周りがよく見えるのにと、何度も頭巾をずり上げて最後尾を歩いていた。

 紫暁月(しぎょうづき)も半ばに近かったが、繁栄の儀には間に合い、グーヴァーはひと安心していた。ただ、フランチェサイズに入った他国の特使としては、タザリアが最後だった。リネアとジューヌは、教会の用意した宿泊施設の特等室に案内された。ジグリットは侍従と同じ二人部屋を与えられ、ソバンジという少年と同室になった。

 彼らはそこで紫暁月の終わりまで、およそ70日間、過ごすことになる。ジグリットは期待に胸が高鳴ると同時に、躰中で異国の空気を感じ取っていた。



 繁栄の儀(プロスフェストゥム)、当日。それまでの間、ジグリットは大聖堂の右に連結されている建物、星供(ほしく)の城に閉じ込められていた。リネアがそう命じたからだ。彼女は他国の特使との会合や議会に忙殺されていた。ジグリットはジューヌのお守りを日がな一日やらされ、心身ともに憂鬱だった。ジューヌが部屋から出ようとしなかったからだ。

 荘厳な大聖堂も、都市の様々な商店も、それに自分が滞在する白亜の城にも、彼はまったく興味を示さなかった。おかげでジグリットは、何一つ見て周ることができずにいた。

 しかし、儀式の当日はジグリットもジューヌと共に、大聖堂に向かうことができた。大聖堂は、表から見ても美しかったが、中はさらに華やかで壮麗だった。(しゅ)、バスカニオンの彫像やその妻、少女神(コレツェオス)の青銅の像、アーチ型の天井はどこまでも高く、床は石板や装飾の入ったタイルで複雑な模様を描いていた。ジグリットの眸を惹いたのは、何よりも着色硝子(ステンドグラス)だ。熟練の職人が施した色とりどりに(きら)めく硝子(ガラス)は、主の姿や花、蝶、鳥、それにありとあらゆる幾何学(きかがく)模様で造られ、薄暗い聖堂の中を不思議な光で満たしていた。

 ジグリットはステンドグラスを初めて見て、それがどういう物なのか、どうしても知りたくなった。バルダ大陸で高度なガラス技術を持つのは、ここアルケナシュ公国だけだったため、ジグリットはおろか、リネアやジューヌでさえ、その透明感のある不思議な素材に魅了されていた。

 リネアとジューヌが特使の席に着くと、ジグリットはその近くの騎士や侍従が座る席で、見知らぬ隣りの男に話を訊いた。リネアに見つかったら、また怒られるだろうと思い、黒板にこそこそと文字を書き、相手にも文字で答えてもらった。

 それによると、ステンドグラスは砂と石灰、苛性ソーダを溶かして造るということだった。ガラス工房はフランチェサイズにしかなく、特殊な塗料を溶けたガラスの中に混ぜて色を出すのだと言う。ジグリットはその時、教会の勢力が大陸一であることを実感した。タザリアやナフタバンナなどその歯牙(しが)にもかからないだろうことを知ったのだ。

 繁栄の儀は、夜明けのような(ほの)かな光の中、始まった。並んだ白い長衣(ローブ)の司祭達が大聖堂の中央通路を粛々(しゅくしゅく)と歩いて来る。ジグリットは脇の柱廊(ちゅうろう)の間の席からそれを眺めていた。彼らは何百人もいるらしかった。老人から少年まで幅広い年齢の男達が、手に燭台を持って自らの胸元を照らしながら通り過ぎると、続いて淡黄色の長衣の老人――彼らは大祭司らしい――が尖った帽子を頭に乗せ、二十人ほどが歩いて行った。列の長さに飽き飽きしてきたジグリットは、聖黎人(せいれいじん)と呼ばれる最高位の老人が金の杓杖(しゃくじょう)を手に通り過ぎた後、間を開けて歩いてきた少女の姿を見た。

 彼女は波打つ金色の髪に花模様の更紗(さらさ)を被り、緋色(ひいろ)のドレスの裾を後ろにニヤールも引き()って歩いて来た。まっすぐに前方の一点を見つめた視線は揺るぎなく、閉じられた唇はドレスより淡い桃色に照っていた。少女はジグリットがこれまで見たどんな女性よりも気高く、美しかった。

 ――これが、少女神(コレツェオス)なのか。

 主、バスカニオンの妻である少女神。その存在はバスカニオン教の唯一無二の宝であり、教会のすべてと言っても過言(かごん)ではない。彼女は主の声を聞く神の御使いであり、教典では世界が滅ぶ時を決める者、裁定者であり、その力を有するとされ(あが)められているのだ。少女神には神の力(アーリメント)と呼ばれる特異な力があるとも言われている。

 ジグリットは、この少女がどんな力を持っていても、自分は疑う事はないだろうと思った。それほどまでに、少女は神秘的で不可思議な魅力を放っていた。

 ――なんて綺麗な子なんだろう。

 ジグリットの眸は、彼女から離れなかった。少女はゆっくりと、柔らかい草の原を歩くように、たおやかに過ぎて行った。そして、先に祭壇に到達して両脇に並んでいた司祭や大祭司の間を通り、最前列へと辿り着いた。ジグリットは躰を傾いで身を乗り出した。しかし、もう少女神の姿は見えなかった。

 静かな聖堂の中に、大祭司の詠唱(アリア)が聴こえ始めた。それらは次第に高まり、祭司達も長い聖譚曲(オラトリオ)を合唱し、午前中の儀式が終わるまでには、ジグリットは眠くなっていた。

 午後の儀式はまた違う場所に移動して行われた。ジグリットは今度はリネアとジューヌの横に座らされた。そこは円形劇場(アリーナ)と呼ばれる屋根のない吹きさらしの舞台だった。円形状になった階段席に、各国の特使や騎士、それに貴族などが座っていた。紫暁月の暖かい陽射しが降り注ぐ中、一番低い場所にある中央舞台に一人の少女が上がった時、ジグリットは彼女の輝く黄金色の髪と、白い薄絹で身を包んだその姿を見て、眸を瞠った。それは少女神だった。

 少女神は躰中に銀の神楽鈴(グロッケンシュピール)を着け、ちょうどジグリットの方を向いて一礼した。顔を上げた少女と眸が合ったような気がして、ジグリットはどきまぎした。しかし、少女はただ優しく微笑むと、しなやかな両の腕を頭上に掲げて揺らした。シャンッ、と(そで)に着いた鈴が鳴り、彼女は大きく口を開いた。

 その瞬間、ジグリットは世界が閉じてしまったような気がした。周りの音が消え去り、彼女の声が、彼女の動作が、彼女の奏でるすべてが世界と同義になったのだ。少女神はバスカニオン教の宗教歌を歌っていた。鈴だけを唯一の(とも)として、彼女はやわらかい弦楽器のような声で、ジグリットの躰中を振動させ、心を魅了した。

 やがて舞台の両端から三人ずつ祭女官が現れた。彼女達も少女神と同様に薄絹を(まと)い、舞台の上を奔放(ほんぽう)な精霊のように縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆け回った。その中央で少女神は歌い続けた。ジグリットは彼女の神歌が主を(たた)え、感謝と栄光と様々な(あわ)れみを歌っているのを聴いた。

 時間は飛ぶように過ぎ、夕刻を告げる微光が地に落ちてくると、少女は舞台に上がった時のように、ふわりとその身を翻し、白い絹の幻影だけを残して去って行った。ジグリットは夢見心地のまま、ぼんやりと誰もいなくなった舞台を見下ろしていた。彼女が消えても、彼の世界に現実感はなかなか戻らなかった。

 リネアが隣りから立ち上がった。

「なかなかの見物(みもの)だったわね」

 ジューヌも頷いている。だが、ジグリットは反応もせず、舞台から消えた少女を階段席の中に探していた。

「ジグリット? 何してるの、城に戻るわよ」

 リネアが冷たく命じると、ようやくその場を歩き出す。しかしジグリットの頭の中は覚めないどころか、踊り歌う少女の姿でいっぱいになっていた。

 ――もう会えないのかな。

 彼女に二度と会えないとしても、一生彼女の姿と声は自分の中から消えないだろうとジグリットは思った。もう一度会えるなら、何だってするだろうとも。


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