第六章 その者、花影の天女 1
第六章 その者、花影の天女
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聖階暦2019年、白帝月。
ジグリットが王の側近である魔道具使いギィエラを告発してから一年が過ぎた。彼は十四歳になろうとしていた。
ギィエラは自室から多数のナフタバンナ王国の密書が見つかったことにより、タザリア国内より放逐された。本来なら処刑されてもおかしくはなかったが、魔道具使いを殺すことは、どの国でも禁じられていたため、王は彼を二度と自国へ入らせないようにするしかなかった。魔道具使いはウァッリス公国の魔道具使い協会の取り決めにだけ従うようにできているのだ。そしてその掟には魔道具使いを殺す権利を有するのは魔道具使い協会だけだと定められていた。
王はその後、北のロンディ川流域の砦に、より多くの兵を送ることに決め、第二夫人ラシーヌの子、庶出の王子タスティンは、またもやロンディ川上流付近の要塞を守る任を与えられ、蛍藍月の僅かな帰還だけで、王宮から姿を消していた。それ以外に、ジグリットや王宮に暮らす人々に、大した変化はなかった。王都チョザの街は相変わらず平穏で長閑なものだった。国外でも目立った争いは起きていなかった。
そんな中、白帝月も半ばのある日、ジグリットは王子ジューヌ、王女リネアと共に、アイギオン城の謁見室に呼ばれた。タザリア王は玉座に掛け、隣りに近衛隊の隊長フツを立たせていた。三人が一緒に謁見室へ入ると、北にいるはずの炎帝騎士団のグーヴァー騎士長が王と対面していた。
グーヴァーは長い間、北のロンディ川流域の砦と、ここチョザの王宮を行ったり来たりしていた。グーヴァーは王子タスティンの後見人として、北では彼を支える役目を担っていた。しかし、今ここでグーヴァーに出くわすということは、北は落ち着いているのだろうとジグリットは推察した。
三人と入れ違いに、グーヴァーは謁見室を出て行く。すれ違いざま、彼はジグリットににやりと目配せした。後で話そうと言う彼なりの合図だろう。ジグリットは心が浮き立ち、リネアとジューヌの後ろを付いて行きながら、顔を綻ばせた。
リネアとジューヌが並んで、そしてジグリットがその二人の背後に跪く。
「我が息子ジューヌ、そして娘リネア。さらにジューヌの騎士、ジグリット」と王は口を開いた。最近、ジグリットは王に“ジューヌの騎士”と呼ばれるようになっていた。ジューヌは嫌がっていたが、ジグリットは王にそう呼ばれると、気恥ずかしく、そして誇らしくもあった。
「今日、三人をここへ呼んだのは他でもない。今年はバスカニオン教、四年に一度の繁栄の儀の年である」
バスカニオン教とは、タザリアの民が信奉する宗教のことだ。超古代文明オグドアスの崩壊から人知を失ったすべての人間が、主、バスカニオンによって、その眸を啓き、再び文明を築き始めることができたという伝承。それに基づいてバスカニオンを神として崇める教え、それがバスカニオン教だ。
ほぼバルダ大陸全土の民が信奉するその宗教は、アルケナシュ公国の首都フランチェサイズに、総本山であるフランチェサイズ大聖堂を有し、教会はバルダ大陸一とも言える影響力と権力を持っていた。
そのバスカニオン教が四年に一度、開催する繁栄の儀。それは少女神をはじめ、聖黎人や大祭司、司教など、バスカニオン教の崇高なる偉人たちが集まり、豊潤と安寧を祈る儀式である。紫暁月の30日目から8日間、フランチェサイズ大聖堂で行われる花と踊りの儀式。それは一国家規模ではなく、大陸全土から主要人物が集まり、大々的に行われる祭典でもあった。
王は言った。「この繁栄の儀には、一国家から必ず一人はフランチェサイズに派遣しなければならない。そして、それは重要人物であればあるほど、教会に深い信仰と繋がりを意味する。そこでだ」ジグリットは自分が呼ばれたわけを、すでに感じ取っていた。そして王はその通りのことを告げた。「今年はおまえ達、三人をフランチェサイズに向かわせようと思う」
ジグリットの胸はどきどきと高鳴っていた。異国に行けるチャンスなど、そうそうないだろう。しかもフランチェサイズは、ここタザリアの王都チョザとは比べ物にならないほど、発展していると聞いている。フランチェサイズを首都に構え、東の果てに位置するアルケナシュ公国は、タザリアの領土の十倍は大きな国なのだ。
しかし、それを聞いても喜ぶどころか、気後れする人物がいた。ジューヌだ。彼は王の命じたことに納得がいかず、礼儀を忘れ立ち上がった。
「お父様、ぼく・・・・・・行きたくありません」
王は相手にもしなかった。「これは父としてでなく、王としての命令だ、ジューヌ」
「で、でも、ぼくはまだ十三だし、そんな大役が務まるとは思えません」
「おまえ一人ではない。姉のリネアも、おまえの友人であるジグリットも共に行くのだ。それに、もちろん最大限の警護を付けるのだぞ」
ジューヌが俯き拳を硬く握るのをジグリットは背後から見ていた。隣りのリネアも弟を見下ろしている。
「身の安全は保障されている」と王はきっぱり断言した。「教会は繁栄の儀に赴くいかなる国の特使も襲撃してはならないとしている。それに叛けば主と教会を敵にまわすことになる。そんなことはどんな愚かな国もすることはないのだ」
ジグリットはジューヌがその言葉に納得するとは思えなかった。彼は心底、臆病なのだ。そして、思った通りにジューヌはきびすを返すと、挨拶もせずに謁見室から走り出て行ってしまった。王の呆れ果てた顔の横で、近衛隊のフツが「どう致しましょう」と訊ねた。
「どうしようもないだろう。あれは一体いつになったら、時期タザリアの当主として自覚が芽生えるのか、わたしの方が主にお訊ねしたいものだ」
王の言葉にフツは眉を下げ、苦笑いした。
「リネア、それにジグリット。そういう事なのだ」王は玉座の背にぐったりと凭れた。そして遠くを見つめるように宙を見上げた。「アルケナシュまで早くても四十日ほどかかるだろう。すぐに出発の準備にかかってくれ。ジューヌは籠に閉じ込めてでもフランチェサイズへ送るからな。リネア、あいつの準備もするように侍女に頼んでおいてくれ」
「わかりました」リネアは落ち着き払った声で答えた。
「それから、ジグリット」ジグリットは返事の代わりに王と眸を合わせた。「公式な場に行くのは初めてだろう。グーヴァーを警護につけるから、わからない事があれば彼に訊きなさい」
ジグリットが頷くと、王は穏やかに微笑んだ。「ジューヌの事では迷惑をかけることになるかもしれないが、よろしく頼むぞ」
ジグリットとリネアは謁見室を後にした。アイギオン城の廊下から外の中庭を通り、ソレシ城へ入る。リネアはジグリットに「浮き足立って、無作法な真似だけはしないでね」と釘を刺すのを忘れなかった。




