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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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5-1

          5


 白帝月(はくていづき)73日。寒さはより一層厳しくなっていた。暴君山脈(テュランノス)はほぼすべてが厚い雪に覆われ、山頂は常に(もや)で隠されていた。チョザの街中も王宮も除雪作業を毎日のように行う必要があり、そのため多くの兵士が寒空の下、額に汗を掻いていた。それ以外で人々が外を出歩くことはなくなっていた。

 ジグリットがギィエラに襲われてから、十日目。ギィエラはあれ以来、目立った動きを見せず、沈黙していた。それはジグリットも同様だった。彼らはまるで何事もなかったかのように、お互い接することもなく過ごしていた。だが、それも今日までの事だった。

 ――いよいよ、決行の日だ。

 ジグリットが意気込んで、寝台(ベッド)から飛び起きたその日は、寒さに暗く沈んでいた王宮が、朝から見違えたように騒がしかった。跳ね橋は常に降ろされ、出入りの商人がいつも以上に荷を運び込んでいた。ジグリットも例外ではなく、彼は朝から一時(いっとき)も部屋にいることはなかった。リネアとジューヌですら、時折寒い廊下を行ったり来たりしていた。沈黙を保っているのは、マウー城だけだった。

 夕暮れ時、ジグリットは部屋で正装に着替えた。いつものようにジューヌと同じ格好をする必要があったが、それはまるで飾り物の人形のように浮いた服装だった。上下とも薄水色の絹の礼服で、頭には白のベレー帽、胸元にはジューヌとジグリットを区別するため、銀の花を(かたど)ったブローチがつけられていた。同じようにジューヌは、胸に真っ赤な薔薇(ばら)生花(せいか)をつけられていた。

 ――あれよりはマシだ。

 ジグリットはそう思うことで、何とかその恥ずかしい格好を気にしないよう努めた。

 リネアはと言うと、朝からどの服を着るかでアウラと衣装室(いしょうしつ)へ行き、侍女数人と針子(はりこ)を呼び、ドレスの気に入らない箇所(かしょ)をことごとく直させて、ほぼ一日かけて衣装の準備をしていた。

 他の侍従や侍女、それに小姓達も、大広間の準備におおわらわになっていた。一番大変だったのが、料理人達だ。料理長は地下の貯蔵庫から、牛肉の塩漬けや燻製(くんせい)、小麦粉の袋を何十袋も、それに様々な種類の酒を(たる)ごと厨房(ちゅうぼう)へ運び込ませ、もちろん入りきらないので、アイギオン城の一階の廊下にまでそれらが積み上がっていた。さらに王宮内にある用畜場から、羊、山羊(やぎ)(ぶた)、牛、それに鴨舎(かもしゃ)鶏舎(けいしゃ)から家禽類(かきんるい)を肉切り番が用意し、菜園からは瑞々(みずみず)しい野菜を、果樹園からも多様な果物を持ち込んでいた。製麺麭室(せいぱんしつ)はフル稼働で、(かまど)は冷えることを知らなかった。

 ジグリットが晩餐(ばんさん)の大広間に向かう頃でも、廊下にはいまだに、塩漬け肉(ベーコン)や樽に入った(にしん)塩鱈(しおだら)、それに卵が入った木箱が並び、麦酒(エール)葡萄酒(ワイン)の大樽を運ぶ小姓の姿があった。

 日も暮れ、松明(たいまつ)に明かりが(とも)される時間になると、広間には王宮中の人間が集まっていた。ジグリットは一段高い最前列の左側、端の席に、ジューヌと並んで配置されていた。リネアは、中央の王と王妃の席を挟み、反対側の右側の席に侍女のアウラを後ろに(ともな)って座っている。彼女は金の小冠(ティアラ)をつけ、細い首筋を(あら)わに長い髪を結い上げていた。茜色(あかねいろ)のドレスは王女のしなやかな躰にぴたりと張り付くようで、首に巻いた羽飾りが普段より一層、彼女を大人にしていた。王と王妃を筆頭に、彼らは広間へ向かって座っていた。タスティンの姿はそこにはなかった。彼はまだ北に行ったまま、王の帰還命令を受けない限り、帰って来ることはできなかったからだ。

 魔道具使い(マグトゥール)のギィエラは兵士達と同じ席についていたが、それでも兵士の中では一番王に近い場所に座っていた。一度、ギィエラはジューヌの横にいるジグリットを見た。ジグリットもすぐに気付いたが、とっさに眸を逸らして(うつむ)いた。その仕草は、ギィエラには少年が魔道具使いに(おび)えているようにしか見えなかった。男はにやりと頬を上げた。

 すべての席が埋まる頃、王が晩餐を始める仰々(ぎょうぎょう)しい挨拶(あいさつ)をするため立ち上がった。そこには王宮中の兵士が(つど)って、総勢五百人ほどの大所帯になっていた。ジグリットは、皆が王を見つめるのを眺めながら、テーブルの御馳走(ごちそう)に驚嘆していた。

 ジグリットとジューヌの前には、炙り焼き(ロースト)された(きじ)が大きなドーム型の飾りパイになって置かれていて、見事な高さを誇っていた。そのせいで、ジグリットの眼前は、半分ほどがパイで埋もれていたほどだ。

 王が広間の端から端までを眺めやると言った。「よく集まってくれた、働き者のタザリアの(いしずえ)達よ」騒がしかった広間が一瞬にして静まりかえった。「今日は特に冷える。そう感じた者も多かっただろう」幾人かの兵士が、うんうんと頷くのがパイの横からジグリットにも見えた。王は朗々とした声で続ける。「それはもちろん、今日がタザリアの雪華の妃、エスナの誕生した日だからである」

 正妃エスナは王の横で表情一つ変えず、純白のドレスに身を包み、とてもリネアのような娘のいる女性には見えないほど若々しかった。現に、彼女はまだ三十代始めで、王より八つも若かった。しかし、今のエスナはこの晩餐が自分の誕生日の祝いの席として開かれたことを知っていたものの、喜びは微塵(みじん)も感じていなかった。汚い兵士との晩餐など、彼女が望むべくもなかった。シェイド家なら、こんな犬猫のような(けが)らわしい(けだもの)と共に食事することなどあり得なかった。シェイドは三大貴族の一家であり、彼らが共に食事するのは、同じ貴族の位を持つ者だけだった。

 エスナは何年タザリアにいても、この野蛮(やばん)な風習に慣れなかった。蛍藍月(けいらんづき)のじめじめした暑さにも、べしゃべしゃになってすぐに溶ける惨めな白帝月の雪にも、彼女は嫌気がさしていた。シェイドの雪は睫毛(まつげ)を凍らせるほど冷たく、そして頬を切るほど硬かった。彼女が唯一タザリアで良いと思ったものは、自分の夫の整った(かお)と性格の良さだけだった。それだけでは、エスナの心を満たすことはできなかった。彼女は常に哀れな王妃だと自分を嘆いていた。

 だから、誕生日に晩餐の席を開いたとはいえ、エスナが喜ぶはずがなかった。王は内心、それを知っていたが、だからといって、この饗宴(きょうえん)を取りやめる気はなかった。王は、エスナが少しでも鬱屈(うっくつ)した暗い気分から脱することができるなら、どんなこともやってみるつもりだった。それに、王妃の誕生日を祝いたいのは、王だけではない。この寒く辛い白帝月を、陽気な行事で盛り上げようとすることは、兵士や王宮の人間には必要なことだったのだ。

 王の挨拶が済むと、すぐに楽師達が進み出て、(ゆる)やかな音楽を(かな)で始めた。晩餐が始まり、兵士達の酒を呑み交わす声に混じって、給仕達が席の間を走り回り、カラになった皿を下げ、次の料理を運び込む。ジグリットも眸の前の皿を次々とカラにする事に闘志(とうし)を燃やした。偏食(へんしょく)のジューヌと並ぶと、ジグリットの食欲は輪をかけてすごいように見えたのか、左壁に沿って並んだ炎帝騎士団の騎士達は、ジグリットの豪快な食べっぷりを笑いながら揶揄(やゆ)した。その中には、冬将の騎士もいた。彼はジグリットが弱い麦酒(エール)や薄めた葡萄酒を呑み過ぎないよう、時折、離れた席から声をかけた。

「ジグリット、慣れていないんだろう、あまり呑み過ぎるな」

 ファン・ダルタの言い草は、まるで兄が弟に言うような親しみが込められていた。ジグリットは自分がもし失敗すれば、それがどれだけ彼に迷惑をかけることになるだろうと思うと、返す笑みが強張ってしまった。

 食事が一段落ついた頃には、兵士達は莫迦(ばか)げた話や街の噂話などに講じていた。ジグリットはいよいよ、自分の出番だと思うと緊張して、余計に葡萄酒をがぶがぶと呑み過ぎてしまった。顔が赤くなっているとジューヌに指摘されたが、頭ははっきりしている。そろそろ始めなければならない。しかしジグリットはなかなか立ち上がる勇気を出せなかった。

 ――もし失敗したら、どうなるだろう。タザリア王と王妃の前だ。ただでは済まないだろう。それにギィエラ・・・・・・。

 ジグリットは自分がしようとしている事に震えが出て、(おび)えと緊張で噴き出した汗を手の甲で(ぬぐ)った。そして覚悟を決めると、ゆっくりと席を立った。


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