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ジューヌの居室でいつものように、午前の授業を受けていたリネアは、ニ、三日前から様子のおかしいジグリットに気付いていた。いつもならリネアやアウラから逃れるように、一人ふらりと王宮を歩き回っているはずのジグリットが、ここ最近はジューヌの居室に入り浸りなのだ。しかも、リネアがいても構わないのか、彼は嫌味を言っても物を投げつけても部屋から出て行こうとはしなかった。
――何かあったんだわ。
リネアは直感でそう感じていた。しかし、ジグリットが何を隠しているにしろ、彼がそう簡単に自白するとは思えなかった。多分、痛めつけても言わないだろう。リネアは仕方なく、ジグリットを観察するようにじっと見つめるしかなかった。
その日の午前中は、教育係マネスラーの現代科学と人文地理学の授業だった。ジューヌは寝室で全く関係のない書物を読んでいたし、リネアも透かし模様の入ったレース編みに夢中になっていた。聞いていたのはジグリットだけだ。
マネスラーは一人、まるで幽霊にでも演説するかのように教書を片手にずっと喋っていた。
「そして、魔道具には珍種と呼ばれる種類が存在するわけです」マネスラーの講釈を、ジグリットはぼんやりと聴いていた。いつもなら、身を入れて勉強しているのだが、ここ数日彼が考えることと言えば、当然の如くギィエラのことばかりだった。
ギィエラが間諜行為を働いていることは、自分を殺しに来たことでも明白だった。手紙を何度でも燃やすとギィエラは言ったが、王に伝える方法は、例え口が利けなくとも他にも色々あるとジグリットは思っていた。問題はそこではないのだ。そう、ギィエラが誰に情報を売っていたのか、そしてそれを証明できる物証だ。
北にいるグーヴァーとタスティンには、ギィエラの事を伝えてある。すでに手紙は届いた頃だろう。しかし、返事はまだ数日来ない。その間に、ギィエラがまた何かを仕掛けてこないとも限らなかった。
――証拠だ。どうにかして、ヤツが売国奴であるという証拠を掴むしかない。
ジグリットはまだ書いていない自分の黒板を見つめていた。マネスラーは誰も聞いていないにも関わらず、悦に入ったように長々と説明している。その声を聞いたジグリットは、ふと顔を上げた。
「我がタザリア王国の三つの至宝は、このようにしてウァッリスのとある地底洞窟より齎されたのであります」
ジグリットはマネスラーが魔道具について説明している事に気付いた。
――そうだ、あの翠玉の魔道具・・・・・・。魔道具使いであるギィエラなら、攻撃用の魔道具を幾つも持っているだろう。その対応策だって考えておかなくては。
実際、ジグリットが知る魔道具使いはギィエラだけだ。数えるほどしか現存しない魔道具使いが、どんな力を持ち、魔道具にはどれだけの種類があるのか、ジグリットは何も知らなかった。
――まずは敵を知るんだ。反撃するなら、時間をかけた方がいい。
ジグリットは教書を開いてマネスラーの言葉に耳を傾けた。それをリネアは彼に知られないように、横目で観察していた。彼女は急にやる気を取り戻したジグリットが、真剣な眼差しで教書のページを捲り、そこに載っているタザリア王家の至宝、三つの魔道具の絵を前に、驚いたように眸を瞠るのを見た。
その三つの魔道具は、教書には世界に一つしか発見されていないタザリアの至宝として、細かい説明文と共に絵図が載っている。世界に一つにしかない魔道具は珍種と呼ばれ、多くがバルダ大陸の様々な地方の国に、国宝として管理保存されており、タザリア王国にはそのうちの三つがこの王宮に厳重に保管されていた。
ニグレットフランマ。『羽のようであり、布のようであり、すべてを燃やし尽くした炎の色である』一つ目の魔道具についてはそう書いてある。その絵は、炎が燃え立つ図しか描かれていない。この魔道具はタザリアの家紋にもなっていた。リネアは自分の耳に下がっている板金の耳飾りに彫られた炎の紋章を触った。
オルビスインディ。二つ目の魔道具は、精密な図が載っている。しかし、それはどこかの城の小型模型のような造りで、無数の針金が銅板の中や外で絡み合い、何をする機械なのかは記されていない。ただ、一番高い場所に設置された銅板には、表面に文字のようなものが彫られているのがわかる。
最後に、ヴェールマラン。絵は簡単で、宝石のような玉が一つ描かれているだけだ。解説文には『それを有する者は早生であり晩生であり、すべての緑を司る。起動条件は古代言語による呪文詠唱』と書かれていた。
ジグリットはヴェールマランの絵を見た瞬間、つい先日のギィエラが同じ物を持っていたことを思い出した。世界に一つしかない魔道具・・・・・・タザリア王家の至宝。なぜそれを彼が持っているのか。ジグリットは絵をまじまじと見つめた。王の信頼する魔道具使いだから、彼が預かっているとも考えられる。だが、ジグリットは深い疑問を抱いた。
「――黒き炎は、その重大な役目を我がタザリア王家に与えたと同時に、」
マネスラーの滔々と流れる講釈を打ち切るように、ジグリットは黒板を掲げた。マネスラーがそれに気づく。「ん? 質問ですか?」相変わらずマネスラーは嫌な物でも発見したかのように、ジグリットを威圧するため眸を細めた。「まずは手を挙げて」
ジグリットは片手を挙げ、もう片方の手で、ずいっと黒板を差し出すようにした。
リネアが興味深げにジグリットの黒板を覗こうとする。マネスラーはその無作法を咎めるように、さっとジグリットから黒板を受け取った。そして、何だと言った顔で黒板を返した。
「タザリアの至宝ですよ。誰かが簡単に使用できる物ではありません。王宮の宝物庫にすべて厳重に保管されています。当然でしょう」
マネスラーの答えは、ジグリットの顔を綻ばせた。リネアも質問の意図がわからず、怪訝な眸で見据える。
しかし、ジグリットにとっては、マネスラーの言った言葉は、九死に一生を得るようなものだった。あの不義者である魔道具使いは、確かにヴェールマランを持っていた。王が彼に与えたのではないのなら、彼が勝手に宝物庫から持ち出したのだろう。
――これで反撃できる。ヤツに殺される前に炙り出して、王の前に引き摺りだしてやる。
ジグリットはいい案を思いつき、黒板の陰でにやっと笑った。しかし、それには準備がいる。また考え始めたジグリットを、リネアはレースを編む手を止めずに、探るように見つめた。この王宮で何かが起こっている。そして、ジグリットはそれに深く関わっている。リネアはそれを見過ごすほど愚かではなかった。彼女はどんな手を使ってでも、そこに自分も混ざって退屈を紛らわしてみせるわ、と静かに決意した。




