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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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第五章 偽勇への影従 1

第五章 偽勇(ぎゆう)への影従(えいじゅう)


          1


 ジグリットがエスタークを無念のうちに()って、ひと月余りが過ぎた。その間、ジグリットは一度もエスタークを訪れることはなかった。だが、彼は忘れてはいなかった。たった一人生き残ったはずの仲間のことを。

 バルダ大陸は白帝月(ふゆ)の真っ只中だった。東のテュランノス山脈から降りてきた、氷塊を含んだ身を切るような強風がチョザの都を吹き荒れ、王宮の窓を覆うすべての鎧戸を激しく叩いた。竜の咆哮(ほうこう)のように(うな)る風は、人々を家の中へ押しやり、空は()ちたように一日中、暗かった。あれほど騒がしかった蛍藍月(なつ)の売り子の声すら、今は遠い夢のようで、街路に積もる雪の壁は日に日に高くなるばかりだった。

 白帝月(はくていづき)の間はどの国も争いの手を休め、城の扉を閉ざし、紫暁月(はる)の暖かい陽射しと共に他国を攻め落とそうと、良からぬ思案に暮れるのが例年のことだ。タザリア王もその一人だった。クレイトスは、北のナフタバンナ王国が黄昏月(あき)の間にまたロンディ川を偵察しているようだと報告を受けていた。彼は戦争が嫌いだった。だが、どんな攻防戦であれ、負けることはもっと赦せなかった。

 王は十七歳になるタスティン王子に、二百の兵を指揮させ、炎帝騎士団の騎士長グーヴァーと共に数人の騎士を従わせて、タザリア北部のロンディ川上流付近へ配置させていた。チョザよりもさらに雪深いその地で、彼らは厳しい白帝月を越えることを余儀なくされたのだった。

 そして、リネアとジューヌはと言うと、まるで別世界のような暖かな暮らしをしていた。ジューヌは変わらず自分の寝室にこもりきりで、リネアは侍女のアウラと共にジグリットとジューヌをからかったり虐めたりすることに、一日の大半を使っていた。それでも、彼女はソレシ城の暖房の効いた廊下へ出ることすら大げさに躊躇(ためら)い、ジグリットはソレシ城から出ることで、彼女達から逃げることができた。

 ジグリットは午後の武術稽古が終わると、いつものように武具の手入れをして、冬将の騎士と別れた。彼はもう(なまく)ら刀を使ってはいなかった。磨き抜かれた剣は、ジグリットの腕の長さに合わせて造られた特注品だった。王宮の中にある厩舎の側には、武具や馬具を製造する鍛冶(かじ)室があり、ジグリットの剣もそこでタザリア一の鍛冶屋の手によって鍛造(たんぞう)されていた。

 夕暮れの穏やかな光に、(わき)に寄せられた黒ずんだ(まだら)の雪がまだ溶けずに固く残っているのを眺めながら、ジグリットはアイギオン城へ入り、城門と接合されている西側の塔を螺旋(らせん)状に上がって行った。蹄鉄工(ていてつこう)が厩舎で馬に蹄鉄を嵌める音がまだ聴こえていた。東にある風車塔では粉挽(こなひ)きのための駆動音がギシギシと絶えず、夕餉(ゆうげ)の準備に追われる下働きの女や給仕の男が騒ぐ声もした。しかし、それらはすべて、チョザの都の中心部にある巨大な釣鐘(つりがね)の音で瞬時に掻き消えた。

 ジグリットはアイギオン城とソレシ城を繋ぐ渡り廊下に立ち、冷たい北風の中、城下を見下ろした。チョザの街は屋根も舗道も白く雪化粧されていて、荘厳な鐘の音と相まって、ジグリットには寒さよりも美しさが際立って見えた。彼は稽古で火照(ほて)っていた躰が、一呼吸ごとに冷えて行くのを感じた。

 ――早く来ないかな。

 ジグリットがそこに居たのは、何も景色を見るためではなかった。彼は待っていたのだ。しかし、寺院の鐘が鳴り終わっても、変化はなかった。

 ――それとも、今日は来ないのかな。

 ジグリットはもっとよく見ようと、冷たい鉄の欄干(らんかん)から身を乗り出した。チョザの街の頭上には、一羽の鳥さえ飛んではいなかった。寒さが厳しいこの季節は、鳥達はもっと南へ移っていた。ジグリットが諦めて、ソレシ城へ入ろうとした時、彼の眸の端に黒い物が映った。

 ――あっ、来たぞ!!

 ジグリットは再び欄干から身を乗り出し、その黒い物へ手を差し伸ばすように両手を高く上げた。一羽の(はやぶさ)が降り立つ。ジグリットの厚いなめし革(レザー)の手袋に、隼はその鋭い爪を痛いほど立てて停まった。その重さと痛みに、ジグリットはすぐに隼を欄干に移さなければならなかった。

 隼の(あし)には、細い筒状の手紙入れが付いている。そこから手紙を取り出し、ジグリットは一読(いちどく)した。隼は油で濡れたような自分の艶光りした羽を鋭い(くちばし)(つつ)いている。

 ――皆、元気そうだ。

 それは北へ行っているグーヴァーとタスティンからの手紙だった。王へ送られる公式書簡とは違い、ジグリットに宛てた手紙だ。

 ――すぐに返事を書かなきゃ。

 隼の肢に手を差し出し、ジグリットはその巨体の鳥をなんとか肩に乗せた。彼の小さな肩で、隼は不安定そうに揺れ、何度かジグリットの(さび)色の髪を(つい)ばむようにした。

 ソレシ城へ入って行くと、中央の吹き抜けの下から、侍女が数人、食事のことで騒いでいるのが聴こえた。ジグリットは鳥を肩に乗せているところをリネアかアウラに見つかっては(たま)らないと思い、音を立てないように小走りに廊下を進んだ。四階の広い通廊には人の姿はなかった。しかし、ジグリットが奥の階段へと向かう中、通りすがりの一室で声が聴こえた。

 ――こんな所に人が!?

 そこは古文書庫(こもんじょこ)と呼ばれるタザリアの古い書物が保管されている部屋だ。きっとマネスラーとオイサが調べ物でもしているのだろうとジグリットは思い、(かか)わり合いにならないよう、通り過ぎようとした。

「・・・・・・うだ。クレイトスは・・・・・・・・・北には・・・」

 聴こえてきた言葉に、ジグリットは足を止めた。王の名を呼び捨てにしている。

 ――マネスラーは絶対にそんな事はしない。もちろんオイサも。

 一端、通り過ぎた場所をジグリットは後ろ足で戻り、古文書庫の扉の前で立ち止まった。

「二百だ」と男が強い口調で言うのが聴こえた。「ロンディ川上流付近で兵を構えているのは、タスティン・タザリア王子だ」

 最初は何の事かわからなかった。戦況や兵の数は、王とその側近数人しか知らされない機密事項だったからだ。しかし、男の声を聞いているうちに、ジグリットはそれが会話である事に気付いた。

「騎士? ああ、炎帝騎士団の猛者(もさ)グーヴァーがいるが、それ以外は雑魚(ざこ)だ。(おおかみ)は王宮にいる。恐るるに足らん。やつらはこの寒さに骨の(ずい)までガチガチだ。この白帝月の間に決着(けり)を付けることができるんだぞ」

 ――でも、誰と話してるんだ? それに、コイツは一体誰なんだ?

 扉は僅かに隙間が開いていた。しかし、そこを覗くのには勇気がいった。肩には隼が乗っている。鳥が動かずじっとしているとは思えなかった。今もその巨鳥はジグリットの耳を(かじ)ろうとするかのように、頭を振り立て、羽毛(うもう)を辺りに飛び散らせていた。

 ジグリットは隼を通廊の窓から逃がそうかとも考えたが、その間に重要な事を聞き逃したら、大変だと思い直し、扉からそっと古文書庫を覗いた。粗樫(あらかし)の書棚が部屋の壁一面を取り巻いているのが見えた。そしてその手前で、男がこちらに背を向け、落ちつかなげにうろうろと歩き回っていた。薄茶色の長衣(ローブ)とあちこちにはねた髪、それに頭の後ろを斜めに走る黒い帯が見えた。ジグリットにはそれで充分だった。

 ――王の側近のギィエラだ。

 タザリア王国で唯一王が信頼する魔道具使い(マグトゥール)。それがギィエラという男だった。片方の眸を失った彼の話は、王宮では有名だった。誰が言い出したのか、真実なのかもわからないが、王宮に仕えるようになる以前、ウァッリス公国で魔道具の使用を誤り、屍鬼(グール)に片眸を喰われたというのだ。黒い眼帯の下に、緑の義眼(ぎがん)を入れているという噂もあった。

 普段は笑顔を絶やさない穏和な人物だが、今ジグリットの目撃している状況では、必ずしもそうだとは思えない。

 ――むしろ・・・これは背信行為じゃないのか。

「ああ、そうだ。まずこちらで例の物をすべて手に入れる。計画通りだ。アレさえこちらの物にできれば、成功したも同然。王に伝えてくれ、クレイトスを殺したら合図を送る。その後、そちらでタスティンを殺してくれ。残った王家の人間など、たかが知れている。アレさえあれば、狼とて恐ろしくはない。王宮はすぐに陥落するだろう」

 ――せめて話している相手だけでも見えれば・・・。

 ジグリットは扉にさらに近づいて、両手で少し開けようとした。しかし、それが悪かった。力加減は良かったはずなのに、肩に乗っていた隼が、いきなり翼を広げたのだ。ばさばさっとジグリットの顔に大きな翼が被さって、思わず鳥を振り払おうとした途端、扉が中へ向かって大きく開いた。

「誰だっ!!」ギィエラが怒鳴り、ジグリットは前のめりに倒れそうになった躰を立て直し、尖った爪が役に立たず床を滑っていた隼を急いで両手で抱き上げた。振り返ったギィエラの片眸が彼を見つけて動揺したように見開かれる。

「ジュ、ジューヌ様っ!!」

 ギィエラはジグリットとジューヌを見間違えていた。ジグリットはギィエラが手にしている物を見た。半フィート(およそ15センチ)ほどの直径の薄い鉛の板のようだったが、それが何なのかすぐにわかった。機械音の後に、(かす)れた男の声がしたからだ。

「・・・・・・ガガッ・・・・・・エラ、どうした・・・・・・・・・ガガガ・・・何かあった・・・・・・」

 ――通信用魔道具。教書の絵でしか見たことないけど、きっとそうだ。

 ジグリットはそれまで、物を瞬時にして乾かすことができる魔道具を洗濯室で、そしてジューヌの部屋で、(ボタン)を押すと色とりどりに光るちょっと変わった錫杖(ステッキ)のような玩具(おもちゃ)の魔道具を眸にしたことがあるだけだった。

 魔道具とは、いつどのようにして造られたのか今の科学技術ではわからない物のことを指す。テュランノス山脈とオーバード山脈の間の渓谷(けいこく)に埋まっている超古代文明オグドアスの遺産(オーパーツ)であり、それらを扱うには一定の資格を有する。それが魔道具使いだ。魔道具には、ウァッリス公国で押された検定印アーラ(翼の紋)があり、それは一般人が使える翼1から翼3までか、魔道具使いしか使いこなすことができない翼4から翼6までがある。

 魔道具使いは、ウァッリス公国の国家選定試験に受かった者だけを指し、彼らは古代言語を操れ、現代の科学に精通していた。そして、その数は四年に一人を選出できるか否かといった恐ろしく狭い門だった。ギィエラもその一人なのだ。タザリア王国で王宮に仕える魔道具使いはギィエラだけで、王が信頼するのも当然と言えた。

 ジグリットは、ギィエラの持つ魔道具に検定印アーラが押してあるのに気付いたが、それは初めて見る、市場に出回ることがない翼4の印だった。

 見てはいけない物を見てしまったことに気付いた瞬間、ジグリットは隼を抱いたまま走り出した。通廊を駆け抜け、奥の階段を盛大な音を立てて半ば飛び降りる。

 ジグリットは魔道具使いがどれだけの力を持っているのかをマネスラーから学んでいた。彼らは様々な隠された道具を使い、どんな事でもできるのだと。そして、いま彼の秘密を知ってしまった自分は、非常に危険な状態にある事も。

 その場に取り残されたギィエラは、ゆっくりと持っていた魔道具の回路を切断する(ボタン)を押した。ジグリットが階段を駆け下りて行く足音が聴こえていた。

 ジューヌなら、そんなに心配する事はないだろうとギィエラは思っていた。あの軟弱な王子のことだ、自室の寝台(ベッド)の中で、震え上がっているのが関の山。もし誰かに告げたとしても、誰も本気にはしないだろう。いつもの精神薄弱(せいしんはくじゃく)による妄想と悪夢の産物(さんぶつ)、そう思うはずだ。しかし、(ぬぐ)い切れない不安もあった。「あの隼・・・・・・」友人などいないジューヌが隼を使って誰かと書簡を交わしているのは意外すぎる。

「ジューヌ様・・・・・・いや、あれは・・・・・・・・・」ギィエラは片眸を(すが)めて考えていた。隼を掴み上げ自分を見上げた眸には、確かに怯えが浮かんでいたが、それ以上に理知的な輝きがあった。となると・・・・・・。「ジグリットか」彼はチッと下劣に舌打ちすると、また古文書庫へ戻って行く。「なんて悪い子なんだ」そして今度はきっちりと扉を閉めた。「口が()けないうちに殺してしまわなければ」

 ジグリットはもちろん、すぐに王にこの事を告げようと思っていた。しかしその前にやるべき事があった。

 ――もし、王に会う前にギィエラに見つかったら、さっきのはジューヌじゃなくぼくだとバレてしまう。ギィエラが何を仕掛けてくるかわからない以上、他の方法も取っておかないと。

 ジグリットは自室で、滅多に手に入らない稀少(きしょう)な白紙を使って、手紙をしたためた。以前、騎士長のグーヴァーに他国の土産(みやげ)(もら)った物だ。それを隼につけて、窓から飛ばす。暗くなり始めた空に、隼は飛び立つのを躊躇(ためら)ったが、飛び始めるとあっという間に窓枠から外れて見えなくなった。

 ――これでいい。グーヴァーとタスティンなら、ぼくの話を信じてくれるだろう。

 ――たとえ、証拠がなくても。

 ジグリットは溜め息をついた。王に彼の背信を伝えるには、どうしても証拠がいる。王はギィエラを信頼しているだろう。多分、末王子の影武者なんかよりもずっと。それにギィエラがこのまま黙っているとも思えなかった。


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