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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
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          9


 王宮へ戻ったジグリット達は、まず王に無事を報告しなければならなかった。タスティンは足の骨折だけで済んだ上、ジグリットが見つけてくれなかったら、雨に打たれてもっと酷い状態になっていただろうと、王に訴えた。

 アイギオン城の謁見の間には、王の側近のギィエラと、冬将の騎士、そして彼らを捜しに出ていた五十人あまりの兵士が集まっていた。タスティンは治療のため早々に場を退出し、ジグリットは玉座の前に、冬将の騎士と並び(ひざまず)いていた。

「ジグリット、まずはあの子の父として、心より感謝する」

 ジグリットは一度、顔を上げ玉座についている王を眸にし、その優しい表情にまた頭を深く垂れた。

「冬将の騎士によると、おまえは深い崖の下まで降り、我が息子を助けたという。言葉だけでは感謝しきれぬ」

 ジグリットは褒められることに慣れていなかったので、頬が熱くなった。どういう表情(かお)をすればいいのかわからず、彼は床の目地に眸を走らせた。

「何か欲しいものがあるなら、遠慮せず言ってみなさい」

 ジグリットは顔を上げた。欲しい物など思いつかなかったが、一つだけ願いはあった。ジグリットはエスタークへ一度でいいから戻って、自分の仲間達がどうしているのか知りたかった。あれから二年が経ち、テトスとマロシュは十一歳になり、ナターシは十歳になっているはずだった。みんなが元気でやっているのか、変わっていないか、それだけが気がかりだった。しかし、ジグリットは首を振った。

「何も望むことはないのか?」と王は再度訊ねた。

 ジグリットがまた首を振ると、王は困り果てたように隣りのギィエラに言った。

「子供なら欲しい物など、口をついて次々に出てくるものだと思ったが」

 ギィエラは苦笑いを浮かべた。

「彼は今の生活に満足しているのでは? ジューヌ様やリネア様とご一緒に暮らしているのなら、満たされていて当然です」

 王は、そんなものかと不思議そうに呟いた。

「ならば、また何か欲しい物があるようだったら、わたしの所へ来なさい。いいね、ジグリット」

 ジグリットは王の言葉に頷いた。そして多数の兵士の好意的な眼差しを受けて退出した。玉座の間を出ると、そこには炎帝騎士団の騎士長グーヴァーが立っていた。彼はまだ早朝だというのに、しっかりと甲冑を着込み、息を切らしていた。

「おお、ジグリット」とグーヴァーはジグリットに駆け寄った。床の上で長靴(ブーツ)の裏の金属鋲(スパイク)が彼の体重を表すように、ガチガチと鋭い音を立てた。「所用で出かけていたのだが、おまえが行方不明になったと聞いて、飛んで戻ってきた所だ」

 グーヴァーの荒い息を受けて、ジグリットは微笑んだ。彼の心配が嬉しかった。しかしグーヴァーはジグリットの頭を手袋越しに掴んで怒ったように言った。

「笑ってる場合か! 皆に心配をかけたんだぞ!」

 それでもジグリットが微笑んでいるので、グーヴァーは諦めて肩を竦めた。その顔は目尻を下げ、どうしたって怒り続けるのは無理だと言っていた。

「仕様のないヤツだ。それに、酷い格好だ」

 ジグリットは泥塗れの外衣のことを言っているのだとわかり、自分の薄墨色だったが今は焦げ茶の布をぴらりと持ち上げた。それは水と泥のため、重く感じた。

「疲れただろう。今日はゆっくり休め」

 グーヴァーはジグリットの小さな肩を抱くようにして掴み、アイギオン城の階段を共に降りた。歩調は緩やかで、いつになく彼は優しかった。本当に心配していたのだろうと思うと、ジグリットは申し訳ない気持ちと、それを上回る感謝の気持ちで、胸が一杯になった。

 アイギオン城から出ると、中庭は朝焼けと夕べの雨で、土も草も空気さえもキラキラと光って見えた。その中をグーヴァーと別れ、ジグリットはソレシ城へと向かった。西のソレシ城の壁も、真っ白に輝いていた。そして正面入口より手前の侍従達が出入りする木製扉の前に、一人の少女が立っていた。

 それはリネア付きの侍女、テマジだった。ジグリットを迎えに来ていたのだ。テマジは、ジグリットを眸にするやいなや、まだ自分よりほんの少し背の低い彼に抱きついた。

「よかった」とテマジは鼻声で言った。「本当によかった。心配していたのよ、ジグリット」

 彼女の(とび)色の短い髪に頬をくすぐられ、ジグリットは恥ずかしくて胸がドキドキした。彼女は洗濯に使う爽やかな花の香料の匂いがした。

「林の中でタスティン様を捜しに出たきり、戻って来ないなんて、何かあったのかと思ったわ」

 彼女の強い腕の力からなんとか逃れ、ジグリットは大丈夫だよ、と口を動かそうとした。しかし見上げた途端、ジグリットはふっと息を漏らして笑った。テマジの腕や胸に外衣の泥がべったりと張り付いていたのだ。テマジもそれに気付いた。

「あら、まぁ」彼女はようやくジグリットが泥だらけだと知った。「安堵している場合じゃないわね。とにかく湯浴みして着替えましょう」

 ジグリットはそれに同意を示して頷いた。二人は笑顔で、ソレシ城へと入って行く。

 それをソレシ城とアイギオン城を繋ぐ渡り廊下から、じっと見つめている人物がいた。リネア・タザリアだ。彼女の眸はいまや冷たい怒りに吊り上がり、噛み締めた淡紅色の唇からは一筋の血が流れ顎を伝っていた。彼女の頬は押さえきれない怒りに震えてさえいた。

 リネアはジグリットが帰ってくるまで、ずっと城を繋ぐ渡り廊下から跳ね橋を見つめていた。彼女は一晩中起きて、ジグリットを待っていた。戻って来たら、こんな大事を引き起こしたジグリットを、罰してやろうと彼女は決めていた。しかし、今はその考えを改める必要があった。彼は無事戻って来たが、彼女の怒りの矛先は、自分より先にジグリットに接したテマジへと移っていた。

「わたしの侍女のくせに、あの女・・・・・・とんでもないアバズレだわ」

 銀色の欄干を掴む指先は、激しい感情の昂ぶりにより、真っ白に変色していた。長く整えられた爪で、彼女はギリギリと欄干に疵をつけた。

 ――それにあの子、笑ってた。

 ジグリットが楽しそうに彼女に笑いかけているのが、リネアには信じられなかった。

「皆にあれだけの迷惑を掛けておいて、恥知らずにもほどがあるわ」

 リネアの脳裏に、ジグリットを抱き締めたテマジがこびりついていた。彼女は歯を音が出るほど強く噛み合わせた。そして、その眸にはタザリアの紋章である黒い炎のような妖しく昏い光がギラギラと灯っていた。



 ジグリットは侍女のテマジの用意のもと、汚れた外衣を脱ぎ、ようやく湯浴みをすると、やっと落ち着いてホッとした気分になり、全身の力が抜けた。疲労のためか、自分の体重が倍増したかのような躰の重みを感じたほどだった。

 新しい綿の上衣(チュニック)下衣(ズボン)が用意され、与えられた自分の部屋であるジューヌの居室の隣りへと戻ると、テマジはジグリットが疲れているだろうからと、青豌豆(あおえんどう)汁物(スープ)を持って来てくれた。それを一気に呑み干した後、ようやく寝台へ潜り込み、ジグリットはあっという間に眠りについた。そして疲れから長い時間を泥のように眠った。


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