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ソレシ城では、すでに土砂降りの大雨になっていた。リネアは侍女のテマジが窓の鎧戸をすべて閉めて回るのを、弟の王子ジューヌとボードゲームに興じながら、つまらなそうに眺めていた。
「お父様も運がないよね」とジューヌが雨に狩りに出た王のことを言うと、侍女のヤーヤが寝台の周りを掃除しながら笑った。
「運がないのは、一緒にいた誰かでしょう。騎士や隊員も一緒と聞いてますよ。陛下は、どちらかというと運が良いお方ですよ。周りの国のいざこざになんとか巻き込まれずに、うまくやってこれたんですから」
そこでリネアがふっと微笑って口を挟んだ。
「ジグリットなんか連れて行くからよ」
彼女のすべてジグリットのせいだと言わんばかりの発言に、ジューヌはごくんと喉を鳴らし、持っていた駒を思わず落とした。リネアが彼を睨む。
「いい加減、降参したらどうなの?」
「ぼ、ぼく・・・・・・もう負け?」
リネアは並べられた駒をボードから払い落とし、苛立ちを隠さず言った。
「そんな事もわからないの!? 本当におまえって莫迦ね」
「まぁまぁ、姉弟喧嘩はいけませんよ」とヤーヤが駆けてきて、落ちた駒を拾い集める。
眸の前のジューヌが泣きそうな顔で「ぼく、莫迦じゃない」と言いながら椅子を降り、寝台へと歩いて行く。リネアは溜め息をついた。ジグリットがいれば、リネアは始終イライラするのだが、いなかったらいなかったで、また胸がざわざわするのだ。
――いっそ林で迷って、雨に打たれ、死んでしまえばいいのに。
雨は一層酷くなり、リネアはその考えが本当になったら、この苛立ちも消えてすっきりすると思った。しかし、心のどこかでは、何か良くない寒気のようなものを感じていた。
タスティンを助けに崖を降りたジグリットは、土砂降りの雨の中、半ば引き摺るようにして、彼を肩に担ぎ歩いていた。
タスティンの息があっただけでも、ジグリットは安堵せずにはいられなかった。しかし、彼の顔は苦痛に歪み、一人で歩くこともままならなかった。とても崖を登れるような状態ではない。ジグリットは一旦、彼を置いて、近くに避難できそうな場所を探しに行った。そして樫の巨木に人が一人横になれそうな洞を見つけ、そこへ今はタスティンを運ぶのに必死になっていた。
タスティンは右足を骨折しているようだった。崖から落ちた後、ジグリットが躰を揺り動かして起こすまで気絶していたのだ。
巨木の洞は、タスティンを押し込め寝かせると、もういっぱいで、ジグリットの入る余地はなかった。ジグリットは薄墨色の外衣を脱いで、洞の前に陣取ると、泥に塗れたそれを頭から被った。蛍藍月の暑い陽射しを避けるための外衣は、白帝月のものとは違い、麻織りで薄く、雨はすぐに浸透したが、ジグリットは構わなかった。
「・・・ジグリット、すまない。こんなことになってしまって」
タスティンの落ち込んだ顔に、ジグリットは優しく微笑んで首を振った。馬を帰してしまったせいで黒板がなく、彼に慰めを言うのも難しい。
しかしタスティンは骨折したせいなのか、頬が紅潮し、熱があるようだった。彼はしばらくすると、眸を閉じ眠ってしまった。
ジグリットはこれからどうすべきなのか、考えていた。もし、タスティンの怪我が足の骨折だけじゃなかったら・・・・・・。このまま眠ったように息を止めてしまったら、そう考えると、ジグリットは恐怖に震えた。一刻も早く、助けが来て欲しかった。
しかしジグリットは雨のせいで、日が暮れて暗くなることをすっかり忘れていた。それから一時間も経たないうちに雨は通り過ぎた。だが辺りは暗いままで、日は射さなかった。
ジグリットとタスティンが戻らないまま、王宮では終夜、大騒ぎになっていた。王はすでに雨の中を帰還していた。炎帝騎士団の騎士二人だけが林に残り、少年達の捜索を続けていたが、王宮に戻った王は、すぐに追加の兵を出し、林の隅々まで捜させた。しかし一向に、二人は見つからなかった。
リネアはソレシ城とアイギオン城を繋ぐ渡り廊下で、慌しい内郭を見下ろしていた。帰らない二人に、リネアは心配するよりもむしろ憤懣やるかたない思いでいた。
――人騒がせな。暴漢に攫われたわけでもないのに、お父様も大げさすぎるのよ。
彼女はそれでも、その通路から離れることができなかった。その場所からは、王宮へ入る跳ね橋も、出て行く馬がいる厩舎もすべてが見て取れた。タスティンのこともジグリットのことも、生き死にはどうでもいいのだ。彼女はそう思い込んでいた。みんながそれしきのことで騒いでいる滑稽な姿が彼女には苛立つ種なのだと。
すると兵に混じって、漆黒の外衣が一緒に王宮を出て行くのが見えた。
「まさか、冬将の騎士が行くなんて」と彼女は呟いた。
ジグリットはきっと戻って来るだろう。そうしたら自分はみんなに迷惑をかけた彼を、今まで以上に酷く扱ってやろうとリネアは薄笑いを浮かべた。




