5-1
5
銀青色の鎧がずらりと並んでいた。彼らは兜を外していたが、それでも人間というには生身の部分が少なすぎた。机に置かれた七枝の燭台の炎が、彼らの貌を怪しげに彩っていた。リネアはこの会議の重要性をよく理解していた。しかし、頭にあるのは別のことで、彼女はふいの質問に戸惑った。
「聞いているのか、リネア」アリッキーノが隣りから自分の顔を食い入るように見つめているのに、彼女は気づいた。
「はい、陛下」リネアは眸を瞬かせた。
「気分でも悪いのか?」
彼にしては、珍しい気遣いだ。リネアはにこりと微笑んだ。これは不自然でお粗末な夫婦劇だとわかっていた。机に着いた彼の支援者達は、皆揃って二人を注視している。これに応えることが彼女の義務であり、立場なのだ。
「いいえ、あなた」そしてリネアは半分以上聞いていなかった話を繋ぎ合わせて答えた。「あなたが決めたことに従うのが、わたくし達の最良の務めだと、誰もがわかっていることです」
向かいに並んだ七人の騎士と、長衣姿の学者二人が納得したように頷いた。
「タザリアへ割いている兵力のほとんどを引き揚げさせても、チョザを我が物にしようと企む愚かな上流貴族はもういませんわ。八家に関しても、すでに以前ほどの力は持っていませんもの」リネアは淡々と言った。
ジグリットがかつて十一家と戦い、彼らを打ちのめした後、上流貴族は消滅することはなかったが、八家に減少して、今はゲルシュタインの完全なる統制下にあった。彼らは自分達の頭が挿げ替えられたと同時に、鎖蛇に忠誠を誓い、彼らの若い息子達を騎士として血の城へ送り込んだ。見事に順応して見せるつもりなのだろう。
アリッキーノは妻の言葉に表情一つ変えず言った。「その通りだ。チョザはすでにおれのものとなった。ほとんどの兵を退かせても構わないだろう。半分はテュランノスの南北の要所に移らせ、チョザに残留させる少数以外をナウゼン・バグラーに戻らせろ」
「そのように伝令させましょう」机の端に座ったジラルド・ジャンスが皇帝の言葉を羊皮紙に記しながら頷いた。
砂に汚れた厚い長衣姿のこの男は、大陸では名の知れた歴史学者で、禿げ上がった左の額に花の形をした大きな赤痣が染みついていた。誰もが彼を“涸谷の薔薇”と渾名していた。涸谷とは、砂漠地帯で短い雨季にのみ水の流れる谷のことだ。そしてそこにある薔薇は、乾燥時には縮んで丸くなっており、風に吹かれて移動するが、降雨があると伸びて根を下ろし始める。
かつてジャンスは、ウァッリス公国の学士院の教授だった。だが、ウァッリスとナフタバンナが戦争を始め、学士院が給料を下げると明言するやいなや、魔道具使い協会の史学顧問となり、そこを二年後に突然辞めると、今度はアルケナシュ公国のライゼン公王の相談役に収まった。
だが、彼自身は生まれながらの間諜であり、一度足りともゲルシュタインとの繋がりを切ったことはない。彼は砂漠の風に吹かれる薔薇のように、あちこちを渡り歩き、その都度アリッキーノの父だった、前ゲルシュタイン皇帝に自分のいる国の情勢を事細かに伝えていた。次代をアリッキーノが引き継いでからは、ジャンスはまだ若い皇帝のために、ゲルシュタインへ戻り、血の城の諜報機関の頭として働いているのだった。ジャンスはアリッキーノが選んだ最初の廷臣であり、執政を任せられた一人目だった。
鎧を纏った騎士達の中ほどに座った、細い眸をしたミシェル・ラロンが言った。「アスキアへの第一陣については、すでに態勢は整っています」彼は鎧の胸に、家紋の白波を抱いていた。砂漠の帝国で白波とは、ラロン家は皮肉の好きな一族なのだろう。ミシェル・ラロン自身、笑みを浮かべるのは嘲笑のときぐらいだった。「われわれが予測される範囲内での戦闘を終える頃には、第四陣までが到着している手筈です」
その隣りのラゼルス・マドラーも同じ碑金属の鎧を着込んでいたが、彼の胸に家紋はなかった。家紋を胸に描けるのは、上流貴族と決まっている。しかし、アリッキーノは貴族の瑣末な順位にこだわらなかった。彼らは碑金属の鎧を纏い、皇帝の前にいるとき同等なのだ。マドラーは五十代半ばで、深く奥まった眸と、尖った鼻の持ち主だった。どこにも丸みのない顎は四角く、手入れの行き届いていない白い鬚がまばらに生えていた。そしてその冷たい灰色の眸を眇めて、今はリネアの隣りにいる女性に向けた。
「やつらが抱えている魔道具使いはあなたのおかげで、いまや虫の息と聞いております。魔道具使い協会が次の魔道具使いを準備し、アスキアに寄越すまで長い時間がかかるでしょうな」
リネアの隣りには、魔道具使いのツザーが座っていた。彼女は長衣の袖から透き通るような白い腕を出し、胸の前で誇らしげに組んだ。
「アスキアのレードリアンはすでに死んだも同然です」彼女は口を歪めて微笑んだ。「元からいけ好かない女でしたわ。大した力もないくせに、“グルゲス”のおかげで自分は魔道具使い一だと信じていた。うぬぼれもあそこまでいくといっそ清々しいものですわ」
しかしその魔道具使いレードリアンのおかげで、確かに今までアスキアは小国でありながら、ゲルシュタイン帝国の進撃を何度も追い返すことができたのだ。彼らの至宝の魔道具を使いこなすことができるのは、魔道具使いの中でもレードリアンだけだとリネアも聞いていた。
今までゲルシュタインの前皇帝が何度も抜けようとしたが失敗してきた“グルゲス”こそ、アスキアが持つ唯一の至宝の魔道具であり、彼らを守る最後の手段だった。レードリアンが死ねば、その魔道具を使える者はアスキアには存在しなくなるのだ。
前皇帝もレードリアンを殺そうと何度も企てたが、そうできなかったのには理由があった。彼女が魔道具使いであり、さらに魔道具使い協会に所属していたことだ。その難点をアリッキーノがどうやって克服したのか、リネアは聞いていなかった。だが、想像はできた。魔道具使い協会との間で何らかの取引があったのだろう。そして彼らはレードリアンを見捨てたのだ。
「壁の消滅が確認でき次第、やつらの街、畑、それに持っているすべてを焼き払え。何も惜しむな。破壊し、略奪し、暴行しろ。やつらの足を残らず斬り落とし、上げた尾を叩き潰せ」アリッキーノは眸を細めて冷笑を浮かべた。きっと彼らの民族旗である“尾を上げた百足”を思っているのだろう。それが破られ、燃やされ、二度と誰の眸にも触れられないことをだ。「おれのために何も持ち帰る必要はない。ナスクの首も息子もすべて砂にしてこい」
山岳のアスキアの王、ナスク五世王は、前皇帝の敵だった男だ。アリッキーノの敵ではない。父親の今までの失態を嘲笑うかのように、彼は一度の進撃でアスキアを壊滅させるつもりのようだった。つくづくジグリットを失墜させる案に、アリッキーノが関与しなくてよかったとリネアは思った。
顧問団との会議の後、リネアが侍女のアウラと通廊を歩いていると、前から別の侍女が歩いてきてリネアに恭しく声をかけた。
「リネア様、申し訳ありませんが、アウラに面会者が来ております。彼女を連れて行ってもよろしいでしょうか?」
「構わないけど」リネアはアウラに訊ねた。「面会者って誰なの?」
アウラも首を傾げる。「ゲルシュタインに知人はおりません」
アウラよりも歳上だが、地位の低い侍女は微笑んだ。
「妹君だと仰っていました。チョザからわざわざお越しになったようですよ」
「妹が!?」驚きながら、アウラは独り言のように呟いた。「一体、何の用なのかしら?」
「あなた妹がいたの?」リネアが訊くと、アウラは頷いた。
「はい、リネア様。妹が二人おります。でも・・・・・・こんな所まで来るなんて、よっぽど重要な用事・・・・・・まさか家で何か・・・」
不安げな表情を浮かべたアウラに、リネアはすぐに行くよう言った。アウラは伝えに来た侍女と共に、慌てて面会室へ向かって行く。その後ろ姿を見ながら、リネアは一人、部屋に戻ろうと思ったのだが、ジグリットのことを思い出して彼女の足は止まった。
もう部屋に戻っても彼はいない。いまだにそれは彼女を煮え滾るほどの腹立たしさと、冷水を浴びせられたかのような虚しい焦燥とに陥らせた。リネアは部屋に戻るのを止め、アウラの行った通路へと進んで行った。
リネアが追いつくと、アウラはちょうど面会室へ入ろうとするところだった。一緒にいた侍女の姿はすでにない。また別の仕事へと走って行ったのだろう。
扉を開け、アウラが中に入っていく。その直後、部屋の中から悲鳴が上がった。リネアは続いて駆け込み、二人の人間が床に転がり、もつれ合っているのを眸にした。褐色の肌をした若い女が、腰に差した短剣を抜き、アウラに襲いかかっている。
「止めなさいッ!」リネアは二人の間に割り込み、アウラを背に少女と向き合った。
「退いてッ!! あんた殺されたいの?」少女が叫んだ。
その貌を目の当たりにしたリネアは、思わず息を呑んだ。少女の貌の半分は、白い仮面に覆われていた。獣が彼女の貌に喰らいついている。そんな不気味な仮面だ。そして仮面に穿たれた菱形の穴から、ぎらぎらとした眸がリネアを睨みつけていた。




