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一時間後、まだ二人は止まらず南下していた。
小道をブザンソンの後から馬でついて行きながら、ジグリットはずっと思っていたことを訊ねた。このときには、もう魔道具の効果は消えていた。ただ徐々に反作用から来る疲労が募りつつあった。
「前から訊こうと思ってたんだけど、どうしてあんたはそんなに金に執着するんだ?」
ジグリットは、ブザンソンが何かにつけて物の価値を金で換算することに、理由があるような気がしていたのだ。
「それがおれの生き甲斐だからだ。おれは貧しい家の出だ。ゲルシュタインのな」ブザンソンが前を向いたまま言った。
「ゲルシュタイン人なのか」防砂布を纏っているので、そうかもしれないとジグリットも思っていたが、彼はどう見ても、貧しい家の者らしくなかった。足元まで覆われる長い防砂布の下に着ている黄装束は、髪の色と同じ鮮やかな色で、その飾り帯は黒繻子。砂に汚れた長靴は上等の鹿の革製。そして、首に何重にも巻いた細長い布には、よく見ると金の縫い取りが入っていた。
ブザンソンは馬の肢を緩めて、ジグリットに並んだ。
「おれはオス砂漠の中にある小さな緑地で育った。緑地にあるものは、砂と、それから砂と、またまた砂だ。それ以外にはない。そこでは何よりも水が重要だ。水の利権はすべてにおいて優先される。水を持たない人間は死ぬ。金を持っていてもな」
淡々と語り始めたブザンソンに、ジグリットは顔をしかめた。
「だったら帝都に移ればいい。なぜ緑地で生活するんだ?」
「おれも子供の時分にそう考えた。だが緑地から出ようとしない人間は大勢いる。年寄りなんかがそうだ。保守的で、貧しいのは自分達のせいで、どこに行こうとそれは変わらないと考える人達だ。こういった人達の考えを変えることはできない。彼らはひたすら雨を待ち、年に一日降るか降らないかの雨で、緑地を世界で一番素晴らしい場所だと感じる」
その頑固さは、ジグリットにも覚えがあった。タザリアの王妃だったエスナだ。彼女は何年、何十年経っても、タザリアに馴染まず、北方の自分の故郷を楽園のように慕っていた。ジグリットは思い出と疲労の中で、ブザンソンがまだ話しているのを聞いた。
「みんな貧しい農牧民で、碑金属を採掘している貴族連中とは違うように見える。だが、ゲルシュタインでは帝都でもどこでも水が重要だ。それは貴族連中も同じだった。おれはゲルシュタインにいて、水の利権を欲しがらない人間を探した」ブザンソンは鞍袋に手を突っ込んで、手探りでひとかたまりの麺麭を取り出した。そして短剣で半分に割った。
「もしかして、それが商人なのか?」ジグリットは渡された半切れの麺麭に齧りついた。それは乾燥しきって、硬く岩のようだった。
「そうだ」ブザンソンは慣れたように、ガリガリと麺麭を歯で削ぎながら食べている。「交易商人だけが、水の利権に興味を示さないことに、おれは気づいた。彼らは常に移動していて、一番重要なものは水じゃない。金だ。最初は緑地から隣りの緑地に日用品を売っている商人に目をつけた。緑地内で日用品を売って回る商人だ。次に国外へ出て貴族共に奢侈品を売る交易商。彼らはゲルシュタインにいて、唯一水を欲しがらない人間達だ。それはおれの理想の姿だった」
「水は欲しがらないけど、金は欲しがる。ぼくには変わりないように見えるよ」麺麭を食べるのを諦めて、ジグリットは言った。
「全然違う。金はどこでもそれなりの価値がある。だが水はゲルシュタイン内だけで貴重なものだ。タザリア・・・はもうないが、ウァッリスやアルケナシュで水は無価値だ。それはいつでもあるもので、権利を主張する者など一人もいない」麺麭を食べ終え、彼は服についた麺麭屑を払った。
ブザンソンが自分の話をするのは、これが初めてだった。彼が本当にゲルシュタイン人であり、緑地に暮らしていた人間なのだと知ると、ジグリットの中でブザンソンという男は、また別の貌を持ったようだった。
「みんなにそう言えばいいじゃないか。緑地から出て商人になればいいって」
「言った。そう言っておれについてきた者が、いまの隊商の仲間だ。だが家族はまだ、緑地で乾ききった土地を耕してる。言っても無駄だ。根づくべきじゃない土地に、根づいちまったんだからな。そしてやつらが言うには、それが主の思し召しだとさ」
諦めたような眸をして、ブザンソンは馬の肢を速めた。先に行ってしまった彼の馬の尾のような長い後ろ髪を見ながら、ジグリットはブザンソンと、彼の家族と、そして主について思った。
アンブロシアーナはどうしているだろう、とジグリットは遠い空の向こうを見上げた。去年の白帝月と今年の紫暁月の間に行われるはずだった誕生祭が中止になっていたことを、ジグリットはまだ知らなかった。空の端に果物のような黄色く丸い月が昇っていた。




