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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
195/287

3-2

「逃げんなよ」サジハッサが振り返り、ジグリットを(にら)みつけた。「逃げたらこのでくのぼうを殺して肉をおまえの口に突っ込むぜ」

 そんな威嚇(いかく)をされなくても、ジグリットに逃げる気はなかった。片足では逃げてもすぐに捕まってしまう。

 最初に攻撃をしかけたのは、サジハッサの方だった。振り下ろされた短槍(たんそう)を、ブザンソンが頭上で受け止め、押し返そうとする。しかし、サジハッサの腕力が(まさ)っていたのか、短槍の先はブザンソンの肩を(かす)めて右にずれ、男が手首を返すと、すぐに()は再びブザンソンを襲った。

 ガツンと穂と(やいば)がかち合う嫌な音がして、ブザンソンが息を()らし、後ずさった。なんとか剣先で()らしたものの、サジハッサの動きは相変わらず速い。男は短槍を手元に引き戻し、すぐさま次の突きに転じる。

 ブザンソンの眸は穂を(とら)えようと見開かれ、長剣が上に、そして左に、下にと動くが、防ぐだけでやっとだ。

「ブザンソンッ!!」ジグリットは草地に座り込んだままだった。自分の剣は茂みの中に飛ばされて、どこにあるのかもわからない。

 ブザンソンはなんとか一歩飛び退(すさ)り、間合いの広いサジハッサの短槍が届かない位置で息をついた。それから()りずに、もう一度斬りかかる。

 ジグリットには、ブザンソンがそこまでして戦うことが不思議だった。今まで、彼は命より金といって(はばか)らなかった。ジグリットもブザンソンは、金のために生きる男だと思っていた。だが、眸の前で死に物(ぐる)いで戦っているのは、(まぎ)れもなくブザンソンだ。銀の首輪一つが、命を()けるに(あたい)する金額とは到底思えない。だったらなぜ彼は戦っているのか。

 ジグリットはこの数日間で、ブザンソンの根底にあるものに気づき始めていた。彼は自分を実利主義者に見せているが、実際にはそうと言いきれない人間なのだ。すでにこの戦いに、利は無関係だった。

 ――命を賭けて、戦ってくれている。

 それが何を意味するかは、言うまでもない。ジグリットは、ブザンソンにそれを指摘(してき)すれば、彼はまた色々と理由をでっち上げるとわかっていた。だから、何も言わずに彼を信じると心に決めた。

 ブザンソンはサジハッサの短槍と、刃を合わせている。だが、前回と同じように、また徐々にサジハッサが押し始めた。

 今度はブザンソンも退(しりぞ)くわけはいかなかった。サジハッサの突き出した穂が顔を掠めて、(ほお)の皮を(けず)り取る。血が流れ出したが、それでもブザンソンは(かたく)なに、今いる場所に踏ん張った。

 ――下がらなければ死ぬぞ。

 ジグリットがそう忠告しようとしたとき、ブザンソンが叫んだ。

「おまえにチョマは連れて行かせねぇ!」

 サジハッサは眸を(すが)めた。「なら死にな」怒気を(あら)わに、さらに短槍を突き出す。

 ブザンソンは、中腰(ちゅうごし)になろうとしているジグリットを眸の(すみ)に捉えていた。ここで退けば、ジグリットは連れて行かれ、すべてが無に帰すことになる。そう思った瞬間、ブザンソンの全身の血は()き立った。

 見たことのないほどに険しい表情(かお)で、ブザンソンは猛然と長剣で斬り込むと、短槍の柄をへし折らんばかりの勢いで()ね退けた。その速度について行けず、サジハッサの手の中で短槍がすっぽ抜けそうに、ぶるぶると揺れ動く。

 ブザンソンは間を置かず、歯を食いしばりながら、さらに前へ出ると、渾身(こんしん)の力で眸の前の男を()いだ。サジハッサが必死の形相(ぎょうそう)で、それを避ける。

 いまや狂騎士の方が、ブザンソンの勢いに呑まれていた。まるで母鳥が子を守らんとするような決死の場面に、サジハッサの薄笑いは消え去り、男は苛立(いらだ)ちながら防戦に回った。

 ()いで、ブザンソンが()り出した攻撃を、サジハッサがなんとか避ける。しかしそれをブザンソンは読んでいた。長剣は微塵(みじん)も迷うことなく、さらに速く逆方向へと切り返された。(とど)めとばかりに叩き斬るように、振り下ろされる。サジハッサの眸に困惑が宿ったが、最早(もはや)しまったと口にするのも遅かった。

 鮮血が飛び散る。

 ――やった!

 ジグリットは草の上に手をついていたが、その直後に躰を伸び上がらせた。

 サジハッサの泥塗(どろまみ)れの上衣(チュニック)は裂け、男の胸に長い一直線の刀疵(かたなきず)が描かれている。自分の胸から噴き出した血飛沫(しぶき)に、サジハッサは眸を見開き、茫然(ぼうぜん)と立ち(すく)んでいた。

 ジグリットは男が倒れるのを待った。しかし、サジハッサは短槍を自分の(もと)に引き戻すと、ゆっくりと唇を動かし、何事もなかったかのように薄笑いを浮かべた。

()しかったな」皮一枚切れただけだと、男は上衣をひらひらと振ってみせる。

 力を使い果たしたのか、ブザンソンは荒い息をついていた。それでも長剣を構えなければと、腕を上げる。

「よくやったが、これで(しま)いだ」サジハッサは疲れきったブザンソンに向かって、短槍と共に飛び込んでくる。その一突きはいままでにない速さで、ブザンソンの胸の中央に向かっていた。

「ブザンソンッ!!」ジグリットは我慢できずに、立ち上がろうとした。

 だが、自分の剣は(そば)にはない。ブザンソンが死ぬことが、ジグリットにはわかった。その直後、躰が震えた。左胸の奥で、魔道具が動く音が聴こえた。

 周りの光景がずれたように、緩慢(かんまん)なものに変わる。両手で勢いをつけ、前方に立ち上がると、ジグリットは片足で三歩進み、ブザンソンが必死に振ろうとしている剣を奪い取り、前に倒れ込む反動のまま、サジハッサの短槍の穂を叩いた。槍の向きが変わり、ジグリットが草地に倒れる。だが、まだ終わってはいなかった。ジグリットは倒れながら、剣を男の首に腕の力をすべて込めて投げつけた。

 ジグリットが草地に倒れ伏した直後、サジハッサが絶叫(ぜっきょう)した。そして、ブザンソンが何が起きたのかわからないまま、茫然(ぼうぜん)と後ずさる。足元には、いるはずのないジグリットが倒れている。

 ブザンソンはサジハッサの首から、多量の血が(あふ)れ出しているのを見た。そして自分の持っていたはずの剣は、なぜかずっと前方の木の幹に突き刺さっていた。

「ぐっ・・・・・・ああぁぁ」苦悶(くもん)の表情で、サジハッサは短槍を落とし、地面に倒れ込んだ。

 死ぬはずのない狂騎士は、なんとか立ち上がろうとしたが、躰の力が出なかった。しかも、こんなときに腹の中が何かおかしい。

 ――何かが・・・・・・(うごめ)いている?

 サジハッサは意識が途切れそうなことに気づいた。

 もしかして自分は死にかけているのだろうか、と狂騎士は薄れゆく視界を前に思った。

 そして自分に何が起きているのかを、腹部を見下ろし知った。

 驚いているブザンソンとジグリットの前で、サジハッサは腹を押さえて、草地を転がり回った。

「う゛あ゛あ゛ぁぁッ」

 ジグリットが見ていると、男の上衣の腹部が赤く染まり始めていた。

「おいッ!」ジグリットは()いずって行って、サジハッサの様子を見ようとした。それをブザンソンが、手で制して止める。

 何か不気味が音が聴こえた。メリメリという、今にも厚い板が割れそうな音。間髪入れずに、サジハッサが耳をつんざくような獣の声で()えた。

「ぐがあ゛あ゛あ゛ッッ!!」

 ジグリットは、サジハッサの血塗れの上衣から、腹の肉を裂いて何かが飛び出るのを見た。それは血に濡れていたが、橙色(オレンジ)の細長い(ひも)のようなもので、こっちに向かって飛んでくる。

 その物体の前には、ブザンソンが茫然とした様子で突っ立っていた。

「ブザンソンッッ!!」ジグリットは、まだ残っていた魔道具の力で瞬時に起き上がった。

 ブザンソンに向かって、小さな紐のような橙色をした(へび)が、ぱっくりと口を開いてサジハッサの腹から飛びかかるのが、ゆっくりとした動作で見えた。

 ジグリットは自分の周りにあるすべての物を一瞬で捉え、逡巡(しゅんじゅん)せず、両手と片足を地面に踏ん張ると、瞬発力で()き火の方へ()ねた。

 燃え(さか)る火の中に手を突っ込み、真っ赤な(おき)を掴んで投げつける。その間も、蛇はまだ空中をブザンソンに向かって、飛び続けていた。ブザンソンはあんぐりと口を開けたまま、停止したように動いていない。

 蛇はブザンソンに()みつく前に、()けた熾の一撃を()らって、じゅっと音を立て、燃えながらゆっくりと地面に落ちた。

「お、おれの・・・腹から・・・・・・」サジハッサはまだ生きていた。彼は自分の食い破られた腹を見つめていた。

 ブザンソンは何が起きたのか、よく把握(はあく)できていない様子だったが、とりあえず焼けた蛇を長靴(ブーツ)で踏みつけ、死にかけているサジハッサを見た。

「お、おれを(だま)しやがった・・・・・・あのおん・・・な・・・・・・」サジハッサの声はそこで途切れ、彼の大きく見開いた眸は永遠に光を失った。

「な・・・なんだ、こりゃあ」ブザンソンはサジハッサの屍体(したい)と、それから飛び出て、まだ燃えながらのたうっている小型の蛇を交互に見やった。

「蛇だ」ジグリットは魔道具の影響で、いつもの倍以上に脈打っている心臓に手を当て、落ち着かせようと押さえつけていた。

「そりゃ見ればわかるけどよ」ブザンソンが困惑しながら頷く。

 だが、ジグリットにはそれ以上のことがわかっていた。そしてあまりの(いきどお)りに、唇が震えて止まらなかった。

「・・・リネア・・・・・・」とジグリットは憎悪を込めて呟いた。

 灼けた熾を掴んだせいで、手のひらがひりひりと痛んだが、そんなことはどうでもよかった。火ぶくれなどすぐに治る。

 魔道具の高揚感(こうようかん)はまだ続いていた。それは(いか)りや憎しみによって増幅(ぞうふく)される力だ。ジグリットは普段、魔道具を動かすために、タザリアが崩壊したときのことを思い出さなければならなかった。かつての騎士長グーヴァーの死と、それからの苛酷(かこく)な血の城での生活、そしてそれを引き起こしたリネアとゲルシュタインへの憎悪だ。だが、今はその必要がまったくなかった。

「おい、チョマ?」ブザンソンが心配そうに訊ねる。

 だが、ジグリットは聞いていなかった。

「どうしてこんな非道(ひど)いことができるんだ」ジグリットには、リネアがどうしても(ゆる)せなかった。「ぼくのせいなのか? ぼくが逃げたからか?」それだけのことで殺人犯を外に出し、彼の腹に蛇を仕込んだというのか。

 ジグリットの表情を眸にしたブザンソンは、彼の顔つきがあまりに違っているので面食らった。

「本当に大丈夫なのか、チョマ?」

 ジグリットは頷き、立ち上がると、片足飛びで馬に近づいた。

「ここにいたくない」ジグリットは言った。

 まだ日が沈んでそう経っていない。夜はこれからやって来るのだ。だが、それでも今すぐに出発したかった。ブザンソンは反対せず、彼は馬の用意をすると、焚き火に土を(かぶ)せた。二人は街道を本流のディタース川に沿って、南へと進み始めた。

 魔道具が(もたら)す鋭敏な感覚のせいで、ジグリットは馬で進み始めてしばらく経っても、まだサジハッサの血の臭いが追ってくるのを振り払うことができなかった。その臭いは土と鉄と、まだ新しい死の遺恨(いこん)に満ちていた。


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