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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
192/287

2-1

          2


 血の城を出てから、どれだけ経ったのか、サジハッサは覚えていなかった。彼は何かを覚えておくことが、苦手だった。アスキア侵攻(しんこう)のときに頭を強く(なぐ)られたせいだ。だが、まだ血の城で(えら)そうなタザリアの女が言ったことは、忘れていなかった。

 ――小僧(こぞう)を連れて戻る。それで、おれは自由だ。

 ――毒。毒が躰にある。だから小僧を連れて戻る。

 サジハッサは自分が不死身だと思っていたが、タザリアの女が自由と引き換えにジグリットを連れて戻ることを命じ、彼が命令を反故(ほご)にして勝手に逃げないように毒を飲ませたとき、思い出したのだ。

 自分は不死身だが、腕を切られれば血が出る。毒も同じで、躰の中で()け出してしまえば、それは体内を(めぐ)るだろう。それが自分にどんな影響を(もたら)すのか、サジハッサにもわからなかった。毒のせいで、不死身ではあっても、躰が動かなくなってしまうかもしれない。

 それに、ジグリットを捕まえて城に戻すぐらい、訳ないことと彼は思っていた。ジグリットに首に(なわ)を掛けられ、馬に引き()られるまでは、だが。サジハッサはいまや、ジグリットを連れ戻すことより、やられた分を返すことに執着(しゅうちゃく)していた。

 町の中でジグリットを捜して走り回ってみたが、途中でどこに行ったかわからなくなり、サジハッサは今度はブザンソンを追った。馬屋でジグリットが逃げた後、長身の商人は剣を抜こうとしたが、サジハッサはわざと油断したように装い、逃げたヤツを放っておいたのだ。背の高い商人は格好の標的になる。とっ捕まえて、ジグリットを(おび)き出そうと思った。

 しかし、ブザンソンも途中で壁にでも(もぐ)ったかのように、消えてしまった。サジハッサは何周か町を走り回った後、町の入口に行き、そこからやつらが逃げようとするだろうと思い、見張っていた。やつらはこれまでずっと道を南東に行っている。

 しばらく長方形の大きな切石(きりいし)が左右に二本立った町の入口で、(たたず)んでいたが、幾ら待っても二人は来ず、サジハッサはもう二人とも町から出たのかもしれないと思い始めた。だが、商人は馬に乗っていなかった。ジグリットの馬は小柄で、二人も乗せて走ることはできないはずだ。

 サジハッサは苛々(いらいら)と、その場を歩き回った。それから腹立ちまぎれに、旧道を挟んで向かいに見えていた川に近づいて行った。顔でも洗って、この働きの悪い頭をすっきりさせようと思ったのだ。

 そのとき、サジハッサの眸に(さび)色の小さな頭が、ひょこひょこと旧道下の川べりを歩いて行くのが映った。

「・・・・・・!」サジハッサは丸めていた肩を広げ、喜びに飛び上がりそうになったが、ぐっと(こら)えた。「見つけたぞ」彼は滅多(めった)にない小声で自分に言った。

 今度こそ逃がすわけにはいかない。小僧を捕まえて、よくも首をへし折ろうとしやがったなと(おど)しつけながら、ヤツの小さな首にも縄を掛けてやるのだ。そして、あの小柄な荷馬に()かせてやろう。想像して、サジハッサは鼻息でふっふっと嘲笑(あざわら)った。

「町の外に逃げたはいいが、遠くまで行けずに隠れてやがったな」

 そろりそろりと近づいて行く。背中の短槍(たんそう)に手をかけながら、サジハッサは注意深く辺りを見回した。人の姿はなく、絶好の機会だ。

 二ヤールほどの低い(がけ)の下を、ジグリットは歩き(にく)そうに右手へ遠ざかって行く。それを追って、サジハッサは旧道から川べりへ飛び降りた。途端、足がずぶっと水気の多い湿地(しっち)()もれた。同時に、ジグリットが振り返り、(こぼ)れ落ちんばかりに大きく眸を見開いた。

「・・・サジハッサ!?」ジグリットはすぐに前を向き直し、金属棒を使って逃げようとする。

 我慢(がまん)できずに、サジハッサは笑いを()らした。あの足ではまともに逃げられるわけがない。再度辺りを見回してみたが、あのひょろ長い男はいないようだし、(ねずみ)を捕まえるより簡単にいきそうだ。

 サジハッサは走って追いかけようとしたが、湿地に自生している(つる)植物が足にまとわりつく。短槍を抜き、強引に蔓を引き千切りながら、サジハッサはジグリットを追った。

 むかつく小僧は二十ヤールほど先を、えっちらおっちら歩いている。見てくれは必死だったが、あれでは瀕死(ひんし)の鼠より遅いだろう。

 サジハッサは頬を(ゆる)ませ、泥に埋もれた足を引き摺り出しながら、ジグリットの何倍もの速度で追いかけた。あっという間に距離が(せば)まっていく。手にしている短槍が、ジグリットの背に投げ刺すことができる範囲にまで来る。

 だが、そこで急にジグリットは崖の方へ向きを変えた。片足で(のぼ)ることはできないだろうと、サジハッサも眸をやった。すると、ジグリットは蔓を手で掻き分け、崖の斜面に開いた穴に入って行った。

 慌ててサジハッサも駆け寄り、その蔓の(おお)いを短槍で払い落とした。穴の奥は深いのか、朝の陽光のせいで、サジハッサにもよく見えない。狂騎士(きょうきし)は短槍を手に、穴の中へ入った。湿地の泥土(でいど)よりも、歩きやすい。腰を(かが)めて進んで行くと、すっかり暗くなり、サジハッサの眸は(けもの)のように素早く(やみ)に慣れた。

 そんなに深くはなかった。せいぜい行き止まりまでは五ヤールほどだ。ジグリットは突き当たりにいて、サジハッサの方を向いていた。へっへっと笑い声が漏れる。ジグリットの表情は(かた)く、緊張(きんちょう)(おび)えに(つえ)にしていた金属棒をぎゅっと胸に抱いている。

 サジハッサは穴ぐらに飛び込んだ鼠に、同情の言葉を投げかけようとした。その直後、ジグリットは自分の頭上を金属棒で強く(たた)いた。途端に、サジハッサの真上から、何やら不気味な轟音(ごうおん)がした。

 狂騎士は眸を上げ、自分の上に多量の土砂(どしゃ)が降りかかるのを見た。口の中にまで土が押し寄せてくる。土の重みに耐えきれず、サジハッサは押し(つぶ)された。次々に土が躰を覆っていく。腕も足も土に固定され、動かすことができない。

 サジハッサの脳裏に、血の城の無情な(おり)(よみがえ)った。男は絶叫(ぜっきょう)しようとした。だが、口にはすでに叫喚(きょうかん)が通る隙間(すきま)さえ開いていなかった。


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