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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
191/287

1-3

 数分後、やって来たのは別の少年だった。さっきの子供より五つは上に見える。銀木犀(ぎんもくせい)の裏側に回って来ると、少年はジグリットの荷馬の鼻面(はなづら)()でた。それから落ちている短剣(ダガー)を見つけ、ジグリットがどうする気か見ていると、拾い上げて(つか)の方を差し出した。

「これ?」と少年は渡しながら言った。

「ああ、ありがとう」ジグリットが答える。

怪我(けが)してるの?」

 少年が左足の太腿(ふともも)を見ながら言ったので、ジグリットは首を振った。

「いや、これは・・・・・・」

「あのおっかないヤツに追われてるのって、あんたなんだろ?」利発そうな少年に問われて、ジグリットは「ああ」と素直に頷いた。

 少年はじっとジグリットを見やり、それから荷馬の首筋を撫でながら訊ねた。

「手伝った方がいい?」

 驚いて「いいのか?」とジグリットが訊き返すと、少年は顔をしかめた。

「あれが町から出て行ってくれるなら、手伝うよ」

 サジハッサが町中で暴れ回っているのが少年の言葉からわかり、ジグリットも大きく息を吐いた。

「助かるよ」ジグリットが微笑して言うと、少年も笑みを返した。

「ぼくはリト」

「・・・・・・チョマだ」本心ではジグリットと名乗りたかったが、ブザンソンといる間は仕方ないと割り切るしかなかった。「まず馬から降りたいんだ」

 リトは頷き、ジグリットが短剣で腰の(ひも)を切ると、馬から降りるのを助けた。

 ジグリットが町からサジハッサに見つからないように出て行きたいと告げると、リトはすぐに東の方角を指差した。

「こっからなら、製材屋の裏の井戸(いど)が近い」リトが言った。

「井戸?」

「そこなら見つからずに、村から出て行けるよ」背を向け歩き出そうとする。

 ジグリットは(あわ)てて、リトの肩を掴んだ。

「ちょっと待ってくれ。もう一人連れがいるんだ。背の高い男なんだけど」

 それを聞いて、リトはちょっと思案し、銀木犀の外へ出ながら振り返り言った。

「ああ、ちょっと待ってて」

 そして、庭の角へ走って行く。ジグリットも気になって、枝葉の間から見ていると、路地の角にさっき逃げて行った五つぐらいの少年が、不安そうな顔で立っていた。リトがその子に何か言うと、少年は眸を見開き、それから大きく頭を上下に振ると、路地の向こうへ駆け出して行ってしまった。リトが戻って来る。

「大丈夫なのか?」銀木犀の裏に入ってきたリトに訊ねると、彼はにっと自信ありげに笑った。

「まぁね。ぼく達は先に井戸へ行こう」

 リトの案内で、ジグリットは金属製の棒を()きながら、庭を横断した。乗って来た馬は細い(みき)に繋いでおいたが、取りに戻れるかわからない。しかし、ここにいれば間違いなくサジハッサに見つかるだけなので、ジグリットは急いで、リトに付いて行った。

 三十ヤールも歩かない内に、リトの言っていた製材屋の裏の井戸に着いた。

「これは・・・・・・()れ井戸?」()煉瓦(れんが)井桁(いげた)に手をついて、(のぞ)き込んだジグリットに、リトは心配そうに背中の服を掴んだ。

「そうだよ。かなり深いから気をつけて」

 正方形の井戸の中は、確かに真っ暗で底が見えない。十ヤールどころか、二十ヤールはありそうだ。

「町から出られるって言ってたけど」井戸から顔を出し、ジグリットが訊ねた。

「ああ。この井戸は途中に大きな横穴があるんだ。そこからまっすぐ町の外の川に続いてる。この町じゃあ、十五になったら男を証明するために、この井戸を一人で通って外へ出るのが(なら)わしさ」リトは鼻息も荒く、意気込んだように言った。

「へぇ、度胸(だめ)しか」大勢の人間が入ったことがあるなら、大丈夫そうだ。ジグリットは少し安心して、井戸の屋根や、その下から井戸の暗がりに伸びている釣瓶(つるべ)の太い(なわ)をよく見た。

「釣瓶は頑丈(がんじょう)に作ってあるから、ぶら下がっても大丈夫だよ」リトが縄を引っ張って見せようとしたとき、別の路地から見知らぬ少年がひょこっと出てきた。「あっ、来たみたいだな」

 リトと同じ歳ぐらいの少年だ。その後ろから来たのは、ブザンソンだった。

「ブザンソンッ!」ジグリットは駆け寄りたかったが、金属棒の支えでは無理だったので、彼が来るまで待っていた。

「チョマ、無事だったか」ブザンソンはどこをどう通って来たのか、泥塗(どろまみ)れになっていた。そして、虫唾(むしず)が走るといった様子で吐き捨てた。「あの野郎、本当にしつっこいな」

 ジグリットは同意したかったが、それよりまずは早くここから立ち去りたかった。とにかく、サジハッサの眸が届かないところまで、行ってしまいたかった。

「大変だよ、アイツがこっちに向かってるって!」一番最初に会ったちびの少年が、転げそうになりながら走って来て、リトともう一人に報告した。リトが走って行ってしまい、もう一人の少年が、ジグリットとブザンソンに井戸に入るよう、釣瓶の(おけ)を引っ張り指示した。

 ジグリットは、素早くブザンソンに、井戸の横穴から町の外へ逃げることを話した。

「とりあえずはしょうがねぇな」ブザンソンは言いながら井戸の中を覗き、それから(かた)表情(かお)で「チョマ、先に行け!」とジグリットを後ろから腰を持って抱き上げた。

「わかった」従順にジグリットは桶に右足を入れ、縄を掴む。

 ブザンソンと少年が縄をしっかりと掴んでいたので、あっという間に井戸の底に落ちるようなことはなかった。思った以上にゆっくりと、ジグリットは井戸の中へ沈んで行った。徐々に暗くなっていく視界に、ジグリットは横穴を探すため、眸をしっかり見開いた。

 なかなかそれらしきものは見つからなかった。十ヤールは下ったはずだが、まだジグリットの足元に底は見えず、暗すぎて横穴も視認(しにん)できない。手で触っていれば、見過ごすこともないのだろうが、釣瓶の縄は両手でしっかり持っていなければ不安定で、桶が揺れ石壁にぶつかりそうだったので、離すわけにはいかなかった。

 一瞬、ジグリットの眸に小さな星のような輝きが映った。注意して見ていると、そこに奥行きがありそうだったので、覚悟(かくご)を決めてジグリットは片手を離し、その星が見える場所に手を突っ込んだ。手は壁に当たらず、遠い一点の光は(はる)彼方(かなた)(とど)まっている。

「ブザンソン、横穴だ!」ジグリットは上に向かって叫び、彼らが返事をする前に、真横に開いた穴の(ふち)に手をかけた。そしてずるずると上半身を乗り上げ、穴に躰を半分以上入れたところで、桶から足を抜いた。

 上からブザンソンが「大丈夫かぁ?」と訊く声がした。ジグリットは「ああ」と返し、今度はブザンソンが降りて来るのを待った。

 ブザンソンの体重なら、釣瓶の桶を使うわけにはいかないだろう。少年一人で支えきれる体重ではないからだ。だが、井戸の(そば)にあった木に縄を(くく)りつければ、それを辿(たど)って一人で下に降りられる。案の定、彼はさっさと井戸に入って来た。

 井戸の石壁が(すべ)るのか、長靴(ブーツ)の裏が(こす)れる音がした。ジグリットは横穴から顔を出し、彼が通り過ぎてしまわないよう見上げていた。

 ――リト達にお礼を言う(ひま)もなかったな。

 ジグリットは、親切にしてくれた三人の少年に胸の内で感謝し、ブザンソンが降りて来ると、上衣(シャツ)を引っ張り、横穴に入れようとした。すると、暗闇で何かがブザンソンの胸元(むなもと)から頭に飛びついてきた。ヴェネジネだ。(さる)の練成人形は、ジグリットの頭でぽんと()ねると、そのまま横穴の奥へ駆けて行った。続いてブザンソンが入って来る。

 井戸の中とはいえ、横穴の直径は一ヤールほどはあった。ジグリットはほんの少し前屈(まえかが)みに腰を曲げればよかったが、後ろから来るブザンソンは、とても窮屈(きゅうくつ)そうだった。しかも横穴は少し(のぼ)り調子になっている。

 外の川まで続いていると聞いていたので、ジグリットは距離があることは想定していた。町の入口から川までは、二百ヤールはあったはずで、製材屋が町の中央寄りにあったことから考えても、軽く見積もって千ヤール以上あるだろう。

 その間ずっと上り坂なのかと、ジグリットは金属棒で躰を支えながら、大きく息を吐いた。

 そのとき「くそっ、やたらに(せめ)ぇな」と、ブザンソンが真後ろで大声を出したので、ジグリットの方が驚いた。

「ブザンソン、大丈夫か?」振り返って見ると、ブザンソンは五ヤールほど後ろで、()いつくばって進んでいた。

「ああ、平気だ。それより・・・・・・」ブザンソンはからからに乾燥した()のようなものを手に張りつかせたまま、頭上を指した。

 ジグリットも上を見上げ、それから誰かが野蛮(やばん)な言葉を吐き捨てるのを聞いた。(しばら)く二人はその場に(とど)まって、上をうろついているらしい人物に注意を向けていた。

 数分して、ようやく何の音も聴こえなくなり、ジグリットは肩の力を抜いて言った。

「少し離れたみたいだ」

「けど、大声は禁物(きんもつ)だぜ」ブザンソンが警告する。

「それはぼくが言いたいよ」ジグリットは(あき)れて言い返し、すぐにまた前を向いて歩き出した。

「どういう意味だ?」ブザンソンが不思議そうに訊ねる。

 さっき自分が大声を出したことは、すっかり忘れてしまったらしい。

「別に」ジグリットは、もう金属棒を使うことに集中した。

 だが、ブザンソンは黙らなかった。

「この隧道(トンネル)、本当に外に繋がってんだろうな」(ふくろう)でもなければ、見通せないような暗闇に、ブザンソンは(ひと)りごちた。

 ジグリットはそのことは疑っていなかった。「あの子達が(うそ)をつく理由がない」

「まぁな」ブザンソンが後ろでうんうんと頷く。「それにしても、この坂道いつ終わるんだ?」

「ブザンソン、頼むから少し黙っててくれ」ジグリットは気が気ではなかった。サジハッサが頭上をうろついているかもしれないのだ。なのに、なぜこの商人はさっきから、ぺらぺらと・・・・・・。そこでようやく、ジグリットは気づいた。

 ――ブザンソンは暗闇が怖いのか。

 そう思った途端、ジグリットは可笑(おか)しくなって、笑い出しそうになった。なんとか()()めたが、この大男が後ろで小さく丸くなって進んでいると思うと、肩が震えた。もちろん可笑しくてだ。

 ――いつも以上に饒舌(じょうぜつ)だから、どうしたのかと思ったけど。

 ブザンソンの意外な一面に、ジグリットは疲れを忘れて、含み笑いをしながら穴の中を上って行った。

「川だ」ジグリットがそう声に出したのは、井戸に入って一時間以上が経過した後だった。

「長ぇ隧道だったなぁ」ブザンソンが後ろでぐったりしたように、座り込む。出口に行った後、また戻って来たヴェネジネが、商人の(ひざ)に乗って丸くなった。

 二人とも町の外に出たぐらいの地点で、川のせせらぎが聴こえるようになっていたが、出口の先に川面(かわも)が見えるのは、また違った爽快(そうかい)さだった。

「その甲斐(かい)はあっただろ。あいつの声がしない」ジグリットも出口の手前で座って、一息つく。

 穴から出れば、またサジハッサが追って来るかもしれないので、ジグリットはなかなか出る気になれなかった。坂を上っているときは、早く出たくて(たま)らなかったのにだ。

 それに、馬を町に置いて来てしまった。(あし)(おそ)い荷馬とはいえ、自分の片足で歩くよりは全然速い。それについても、ブザンソンと話していなかったので、ちょうど良いとばかりに、ジグリットはここで一切合切(いっさいがっさい)を決めてしまうことにした。今後のこともだ。

「馬を置いてきたから、また村に戻らないといけない」ジグリットが話しかけると、ブザンソンは手についた藻を、両手を擦り合わせて落としながら言った。

「別の馬を手に入れればいい。金なら肌身(はだみ)離さず持ってるしな」

「でも、ここでサジハッサを()いても、また追って来るだけだよ」ジグリットはいい加減、追われるのに、嫌気(いやけ)が差していた。後ろから()されるかもしれないと思うと、四六時中(しろくじちゅう)気を張っていなければならない。

「かもな。だからって、おまえは戦えねぇし、おれだってヤツと一対一(サシ)でやるのはごめんだぜ」ブザンソンが有り得ないとばかりに、肩を(すく)める。

 サジハッサと戦おうとは、ジグリットも思っていなかった。そんな危険を(おか)さず、別の方法でヤツを追って来れないようにすればいいのだ。何か良い案がないかと、ジグリットは立てた右膝に両腕を組んで乗せ、しばらく考えた。

 沈黙と共に、鳥の(さえず)りと、川の流水が岩を(くしけず)る音、それから・・・・・・。

 ジグリットは穴の縁に何十本も垂れ下がった(つる)植物の(カーテン)を見た。どこかでこれと同じようなものを見た気がしたのだ。町に入る前だっただろうか、この井戸に通じる穴と同じような大きな穴が川の湿地(しっち)沿いにあった。

「いい考えがある」そう言ってジグリットが振り返ると、ブザンソンはなめし革(レザー)の袋を開けて、金勘定(かんじょう)をしていた。

「お、何か考えついたか? 馬は買わなくていいんだろうな? 金には限りがあるからな。大事なときに取っておかねぇと」

「・・・・・・」ジグリットは心底、ブザンソンの性格には問題があると思ったが、顔をしかめるに留めた。とりあえずは。

 それからジグリットが説明を始めると、ブザンソンは黙って聞いていたが、終わると同時に頭を(かか)えてうなだれた。

「おっまえ、悪くすりゃ、あいつに殺されるぞ」

「その心配はいらないと思う。サジハッサはぼくを生きたまま、連れ戻すつもりだろうから」

 ブザンソンはその言葉を信じたかったが、サジハッサの眸を見た限りでは、どちらとも言えないような気もした。

「だとしても、もし失敗したら、あいつと心中ってことだぞ」

 袋にある五十万ルバントの一割でサジハッサを(たお)してもらえるなら、今ならそいつに五万ルバント出すな、とブザンソンは一瞬思ったが、口にはしなかった。そんなことを言ったら、またジグリットが金の亡者(もうじゃ)だとか、守銭奴(しゅせんど)だとか、命を金で買う男だとか、あることあること言うのだ。反論できないようなことを。

 そこでブザンソンは自分の考えに、はたと疑問を抱いた。なぜジグリットがどう言うかを、気にしているのだ、と。誰がどう思おうと、今までブザンソンは気にしたことなどなかった。金の亡者、結構。守銭奴、上等。命を金で買う男で何が悪い。ジグリットがそう言ったとしても、気にするような自分ではなかったはずだ。ブザンソンは不機嫌に鼻を鳴らした。

 ブザンソンがそんなことを考えているとは知らず、ジグリットは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言った。「ぼくがヤツと心中したりしないよう、ブザンソンに重要なところを任せるんだ」

 ブザンソンは頷く代わりに、持っていたなめし革の袋の口をぎゅっと締めた。


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