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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
187/287

6-1

          6


「ちょっと寄ってもらう所がある」ブザンソンがそう言ったのは、昼を少し過ぎたときだった。馬車は旧道を()れ、さらに森の奥へと入って行った。

 ムルムルの森は、カミース川周辺に繁殖(はんしょく)した巨大な森林地帯だ。だが、木々はゲルシュタイン人が伐採(ばっさい)しているせいか、かなり奥地に入っても密集していることはない。おかげで馬車は木材を運ぶ役馬(えきば)とすれ違わない限り、楽に通ることができた。

 ジグリットは馬車の荷台から、サジハッサがまた追ってくるんじゃないかと、時折後ろを気にしていた。()ち始めた(かわ)いた落ち葉が車輪に散らされ、音を立てて舞っている。それ以外に聴こえるのは(ゆる)んだ車輪の(きし)む音と、馬の(ひづめ)、そして森のどこかで木挽(こび)きが、木の(みき)に鉄を喰い込ませる音。それは森の中を響き合って、どの方角からも聴こえてくるようだった。ジグリットの周りでは、薄く広い葉をつけた樹木の間を、紫暁月(はる)陽射(ひざ)しが時折、眸が(くら)みそうなほど降り注いでいる。

 馬車は森の中を抜けて、やがてカミース川の岸に辿(たど)りつくと、ブザンソンは岸沿いに数時間下って行き、(さく)に囲まれた一(けん)の農家の前で()めた。その頃には空の端が赤らんで夕闇(ゆうやみ)(せま)っていた。

「ここは?」荷台の後ろから降りながら、ジグリットは訊ねた。手には血の城から持ってきた金属製の棒を握っている。支えがないと、一人では歩くことが難しいためだ。

「知人の家だ」ブザンソンも御者(ぎょしゃ)台から降り、前の馬車から積み替えていた大荷物を手当たり次第(しだい)、地面に放り投げる。大人が腕でなんとか抱えられるぐらいの巨大な(あさ)風呂敷(ふろしき)包みだ。ヴェネジネがおもしろそうに、転がる荷に飛び乗った。四つ、五つとブザンソンがそれらを落としていると、家から一人の女性が出てきた。

「よぉ(ばあ)さん、辛抱(しんぼう)強く生きてたか?」ブザンソンは荷台から飛び降り、木箱を二つ抱えて歩きながら言った。

「おまえこそ(もう)けが過ぎて(ねた)みを買ってんじゃないのかい?」女性は婆さんというには、背筋がしゃんと伸び、灰色の髪は綺麗(きれい)()われていた。遠目からは年寄りには見えない。「そのうち後ろから、ぶすっと刺されても知らないよ」言い返しながら歩いてくる姿も、早足で軽やかだ。

「そんなヘマするヤツァ、最初から儲かんねぇよ」ブザンソンは荷物を抱えたまま、半開きの柵を通り抜け、勝手に家に入って行った。

 柵の内側では大小五羽の(にわとり)が地面を(つつ)いたり、羽根を広げたりして、気ままに歩き回っている。ヴェネジネはブザンソンについて行こうとしていたが、柵の中に鶏がいるので、躊躇(ためら)っているようだった。

 ジグリットが荷台の(ふち)に手をついて突っ立っていると、女性は横に転がっていた荷物の一つをひょいと持ち上げ、初めて気づいたのか不思議そうにこっちを見た。

「あいつの手伝いかい?」と問われて、ジグリットは曖昧(あいまい)に何度か首を動かした。

「おい、チョマ!」ブザンソンが家から出て来ると、残りの荷を(かつ)ぎ上げながら女性を(あご)で指す。

「この婆さんは、アジェンタ婆さんだ。それから婆さん、これはチョマ。従兄弟(いとこ)(おい)のチョマだ。手伝いをさせてる」

 前は従兄弟の息子だって言ってたのに、とジグリットは内心、苦笑しつつも、アジェンタに挨拶(あいさつ)した。彼女は近くで見ると、さすがに目尻の(しわ)や薄くなった皮膚(ひふ)が目立ったが、それでも年齢を聞くのが躊躇(ためら)われるほど、いまだに美しかった。

「馬屋にこいつら置いてくる。先に家に入ってろ」

 ブザンソンが馬車から二頭の馬を外しながら言うと、アジェンタは口を(とが)らせて文句を返した。

(えら)そうにねぇ。誰の家だと思ってんだか。さあ、(ぼう)や、温かいスープでも飲みな。あんなヤツは放っておいて」

 (うなが)されてジグリットは、金属の棒で自分を支えながら、アジェンタと共に平屋建ての民家に入って行った。ヴェネジネはブザンソンを追って、馬屋へと()ねて行く。

 アジェンタの家は、誰でも気が休まるような心地良い空間になっていた。質素な造りだったが、(やすり)をかけただけの手作りの(テーブル)雑草(ざっそう)の花が飾られた花瓶(かびん)が置かれ、壁には生地(きじ)を張り合わせた布製の手芸品や押し花の額が飾ってあった。家にある物のほとんどが、自然のままの色と質感を保っていた。

「お婆さんは、一人でここに住んでいるんですか?」きょろきょろしながらジグリットが訊ねると、アジェンタは片足の少年が椅子(いす)に座るのを待ってから()のある台所へと向かった。

「一人というか、一人と五羽と三頭だね」隣りの台所から声だけが返ってきた。

「ブザンソンはよくここへ来るんですか?」ジグリットはまだ部屋を見回していた。(わら)で編んだ(かご)には、乾燥した草花が詰め込まれている。それが薬になるものだと、葉の形でジグリットは思い出した。かつて王宮の書庫で、薬草図譜(ずふ)()っていたのを見たことがある。よく見ればどれも薬草の(たぐい)だ。

「質問が多いねぇ」とアジェンタが台所から言った。

「すみません・・・」

「いやいや、いいんだよ。ここにいると滅多(めった)に他人と口()くこともなくってね。鶏と(しゃべ)るのも()きちまったし」木製の(コップ)を二つ手にしてアジェンタは戻って来た。彼女はジグリットの眸の前に一つを置き、もう一つをまだ空いている席にそっと置いた。「ブザンソンは半年に一度くらい、うちに日用品やら食料やらを運んでくれてるの」

 ああ、じゃああの大荷物は最初からここへ届けるためだったのか、とジグリットはようやく合点(がてん)がいった。それからありがたく杯の中の飲み物を(いただ)いた。その途端、(のど)がカッと熱くなり、ジグリットは激しく()せた。

「ああ、すまないね。あいつと一緒に商売してるから、酒には強いかと思ったんだが」

 それはジグリットが今まで飲んだ中でも、一、二を争うきつい酒だった。

清葡萄酒(ルーター・トランク)っていうんだよ。ブザンソンはこれが好きでねぇ」

 ジグリットは、げほげほと咽せながら首を振った。喉が焼けるように痛んだ。

「ちょっと待ってな。水持ってきてやるよ」アジェンタが立って行くと、彼女はすぐに水を手に戻って来た。(もら)った水を一気に飲み干したとき、ジグリットの眸に小屋の中では異質なものが映った。

「あの剣はお婆さんが?」口の(はし)にこぼれた水を(そで)で拭き取りながら訊く。

 それは素朴(そぼく)な木製の(さや)に納まっていた。一目で安物とわかる剣で、(つか)の部分も装飾(そうしょく)はほとんど成されていない。

「んやぁ、息子のだよ。まぁ、どこでおっ()んぢまったのか、帰って来やしないけど」アジェンタはそう言って、また台所へ戻って行く。しかし喋るのは止めず、彼女の声はジグリットが剣を見つめている間も聞こえていた。「昔は息子と暮らしてたんだよ。帝都で兵隊になったって便(たよ)りが着いてから、戻って来ないのさ」

「きっと別の国に派遣(はけん)されて、(いそが)しいんですよ」ジグリットは努めて明るく言った。

 しかし見る限り、剣はもう使い手のないまま、これからも壁に飾られ続けるのかもしれなかった。だが、それも悪くはないように思えた。剣の鞘は(ほこり)一つなく手入れされていた。それは危険な武器ではなく、もはや壁の一部となった飾りでしかなかった。

 アジェンタは黄金色のスープを持って来ると、ジグリットの前にことんと置いた。今度はブザンソンの分はなかった。

「ありがとうございます」(スプーン)で一口(すく)うと、それはとても美味(おい)しいスープだった。具はまったくなかったが、胃の中で広がり、全身が温かくなるのがわかった。

 ジグリットが(かわ)ききった人のように、急いでそれを口に流し込んでいると、アジェンタは黙っているのもなんだからと、夫のことも話してくれた。

「夫はもう何十年も前に死んだんだよ。彼はオス砂漠の緑地(オアシス)拠点(きょてん)にした遊牧民族でね。涸谷(ワジ)溺死(できし)したのさ。不運だったよ」

 砂漠で溺死という言葉が()に落ちず、ジグリットは匙を噛んだまま首を傾げた。

「ああ、砂漠っていうとさ、外から来た人は大抵、熱さで参っちまって命を落とすと思いがちだけどね。実際、多いのは溺死なんだよ。砂漠にだって時には雨が降る。年に一度や二度のその雨は大概(たいがい)豪雨(ごうう)でね。涸谷はその水の通り道なのさ。しかも遊牧している者が寝床(ねどこ)にすることが多いんだ。だから突然の豪雨に、逃げる間もなく溺死しちまうってわけさ」

 ジグリットはそれを聞いて、砂漠の自然に感嘆(かんたん)すると同時に、畏怖(いふ)を感じた。どちらにしろそこは苛酷(かこく)な環境に違いなかった。

「お婆さんは、そのときどこにいたんですか?」

「あたしかい? 少し離れた緑地さ。息子と帰りを待ってたんだけどね。あの人は二度と帰って来なかった。それからここへ()して、今度は息子が帰って来ない」

 口元は微笑(ほほえ)んでいたが、あまりにも悲しそうな暗灰(あんかい)色の眸に、ジグリットは思わず訊ねていた。

「息子さんの名はなんて言うんですか?」

「チェスターだよ」アジェンタが答える。

「もしどこかでチェスターを見かけたら、ここへ帰るようにぼくが言います」ジグリットはにこっと微笑んだ。しかしそれ以上話をすることはできなかった。急に(まぶた)が重く(たま)らなくなったからだ。「ごめんなさい、なんだかとっても・・・眠く・・・・・・」そのままずるずると机に倒れこむと、ジグリットの眸は完全に閉じてしまった。

 アジェンタはジグリットの手から匙を抜き取り、入口の戸が開いてブザンソンが入って来ると同時に言った。「この子は優しい子だよ」

 しかしブザンソンは机に突っ伏して寝ているジグリットに、眉を寄せただけで、小莫迦(こばか)にしたように返した。「優しさなんか一ルバントにもならねぇ。まったく無価値だぜ」

 アジェンタが気の毒そうにブザンソンのためにため息をついたのを、彼は見なかった。


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