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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
185/287

5-1

          5


 サジハッサから逃げきってすぐに、ブザンソンは馬車を街道(かいどう)から外し、ムルムルの森へと踏み込ませていた。森の中なら、そう簡単には追って来れない。街道とは違い、細道が多い上、高低のある段丘(だんきゅう)(やぶ)や低い広葉樹が馬車を隠してくれるからだ。

 ジグリットは前方の御者(ぎょしゃ)台に座って、頭にヴェネジネを乗せたまま黙っているブザンソンに、(おそ)る恐る訊ねた。

「まだ怒っているのか?」

 すると、ブザンソンは振り返らずに答えた。「おまえはちっともわかっちゃいねぇ」

「何が?」ジグリットは本心からわからなかった。

「何が? だと!?」ブザンソンはジグリットの真似(まね)をして、少し高めの声で不気味に首を傾げ、それから険悪にぎらついた眸をして、憎々しげに相手を見返した。「おまえはちっっっっともッ!! わかっちゃねぇんだよ!」

「だから、何が?」ジグリットもブザンソンにうんざりしてきて、わざと同じ言葉で訊き返す。

「おまえは、あの小僧(ガキ)共を助けて気分良いだろうよ! でもな、偽善(ぎぜん)で得られる感謝なんてなぁ、水一滴(いってき)の価値もねぇ! ありがとうございましたなんて、言葉に価値はねぇんだよ! それを(もら)って何になる? 気分が良くなるか? 気分で飯が()えるかってんだ!!」

 ジグリットが黙っていると、ブザンソンはさらに言った。

「おまえはあいつらを乗せたから、サジハッサから逃げれたとか思ってんだろうがな、それも大きな間違いだ! あの小僧二人を乗せなかったら、あの狂騎士(きょうきし)が追いつく前に森に入って、見つからずに済んだかもしれねぇ。わかるか!? 莫迦(ばか)にわかるようにもっと説明して欲しいか?」

 あまりにブザンソンの剣幕(けんまく)が激しいので、ヴェネジネは御者台からジグリットのいる荷台へやって来て、荷袋の間に隠れてしまった。

 ジグリットの方も、ふつふつと怒りが込み上げてきていた。そこまで言われる筋合いはない。それに森に逃げたとしても、追手はいずれ接触してきていたはずだ。

「あんたみたいに金のことしか考えないヤツは、きっと(むく)いを受けるぞ」

 ブザンソンは言われることがわかっていたのか、すぐに言い返した。「おまえみたいにお人好(ひとよ)しだと、生きていけねぇんだよ」それから小声で「チッ、これだからタザリア人はよぉ」と舌打ちをしたが、ジグリットにはちゃんと聞こえていた。

「タザリアのことを悪く言うな」

 ジグリットが本気で腹を立てているのに気づいたのか、ブザンソンは前を向いたまま笑ったようだった。守銭奴(しゅせんど)の交易商人は、自分の怒りが収まったのか、落ち着いた声で言った。

「タザリア人のぼくちゃんにもわかりやすく教えてやろう。ゲルシュタインの(ことわざ)に、こんなのがある。(さそり)しか捕れない場所では、誰もが蠍を(うば)い合って食べる。分けて食べれば全員が餓死(がし)し、一人で食べれば、そいつだけでも生き残るってな」

 ジグリットは何も答えなかった。余計に苛立(いらだ)ちが(つの)っただけだ。

「わかったか? ゲルシュタインでは、助け合いが人を殺すこともある。呑気(のんき)なタザリアと違って、何かを得るには等価値の何かを差し出す必要がある」

 その論理では、最初から何も持っていない人は、何も得ることができない。ジグリットはそう思ったが、ブザンソンに言い返しても無駄(むだ)だと、もうわかっていた。

 これから先も、金のことしか考えない交易商人と共に旅をすると思うと、ジグリットは苦痛を感じた。親切心すらも勘定(かんじょう)して、等価値の物と交換しなければ気が済まないというなら、それはある種の病気だ。人の心まで金で買えると、ブザンソンは間違いなく信じている(やから)だった。

 それから完全に夜になると、森を進むのが困難になり、二人は途中で馬車を()め、夜明けまでジグリットは荷台で、ブザンソンは御者台で眠った。朝になると、馬車はすぐに出発し、再び森の中を走り始めた。一晩経つと前日のことを引き()らない性格なのか、ブザンソンはすっかり機嫌を直していた。

 朝は鳥達も(せわ)しなく働いているのか、あちらこちらから鳴き声が耳につく。ジグリットは森の旧道を、荷台に積まれた木箱の間に寝転んで、空を見上げながら進んでいた。小一時間も経った頃、ブザンソンが急に馬車を停めた。

 ジグリットが起き上がる前に、御者台の向こう側から声がした。

繁盛(はんじょう)してるかぁ?」間延びした男の声に、ジグリットが木箱の間から顔を出すと、同じような二頭立ての荷馬車が道のど真ん中に停まって、行く手を(ふさ)いでいた。

「なんだおやっさん、(はま)っちまったのか」ブザンソンが御者台から降りて行く。

 ジグリットが驚いて見ていると、ブザンソンは振り返って、降りるなというように手の甲をこちらに向けて振った。ジグリットは大人しくそこから動かず、荷馬車の車輪が道の陥没(かんぼつ)()もれてしまっているのを見た。どうやら相手も商人らしいが、一人では持ち上げられず困っていたようだ。

 ブザンソンがわざわざ自分から手伝いに行ったのが可笑(おか)しくて、ジグリットは黙って見ていることにした。親切心なんてものが、彼にあったとは知らなかった。興味津々(しんしん)で見ているジグリットとは違い、ブザンソンは必死に荷台を後ろから押し始めた。商人は自分の馬の手綱(たづな)をぐいぐい引いている。

「あんたらぁ、旧道沿いに行くんか?」馬を叱咤(しった)しながら、商人が訊ねた。

「そのつもりだ」ブザンソンが、ぜえぜえ言いながら答える。

 そのとき、二頭の馬がようやく一歩、二歩と前に進み出した。地面に嵌っていた車輪が上がり、小気味良い音を立てて道へと戻って来た。

「ああ、助かった。本当にありがとよ」商人が大きく息を吐き、言った。

 ジグリットもよかったと安堵(あんど)したのだが、後がよくなかった。

「じゃあ手間賃、二百ルバントってとこだな」ブザンソンは汚れた手を下衣(ズボン)()き、恥ずかしげもなく商人に手を突き出したのだ。

 だが、商人の方も別に文句も言わず、さっさと金の入っているらしいきんちゃく袋を取り出す。それが当然といった態度だ。

 ジグリットが二人のやり取りに(あき)れていると、商人が言った。

「そうだ、あんちゃん達、この先の東っ(かわ)の道は、通らん方がええぞ」

「なんでだ?」ブザンソンが訊き返す。

「昨日の夜の内に、そこの村の近くで女が殺された言うて、大騒ぎになっとるからな」商人は自分のやって来た道を指差した。そして急に声をひそめ「しかもその女の殺され方が尋常(じんじょう)じゃなかったらしい」そう言って、空恐(そらおそ)ろしいといった様子で肩を(すく)ませた。

「誰がそんなことを?」ジグリットは思わず荷台から乗り出し、商人に訊いた。

「それが、ここらの人間じゃないって話だよ。(かお)(ひど)(きず)のある男だとか」

 ジグリットとブザンソンは顔を見合わせた。

「そいつ、どこに行ったかわかんねぇか?」ブザンソンが訊く。

「さてなぁ」商人は首を傾げた。「しばらく地面に張りついて、ぶつぶつ言うとったらしいが、警吏(けいり)が来たときには消えてたそうだ」

 商人は自分の二頭の馬が(あし)でも(くじ)いていないか、心配そうに一本一本確かめ始めた。

「十中八九、ヤツだな」ブザンソンは御者台に戻ってきて、振り返り言った。

「ああ」ジグリットも頷く。

 首に(なわ)をかけ、馬に()かせたのだ。普通なら死んでいる。

 ――けど、あれからすぐに縄を自分で切って逃げ出したのかもしれない。

 ジグリットはサジハッサが不死身だとは思っていなかった。そんな人間が存在するはずもない。だが、初めて会ったときよりも一層、サジハッサを薄気味悪く感じ始めていた。

「それにしても」と、ブザンソンは不思議そうに言った。「なんで街道沿いに行ってないんだ? 森に入ったところは見られていないはずだろう」

「・・・・・・地面に張りついてたって」ジグリットは商人の言葉を繰り返した。

「それが何だよ?」ブザンソンが顔をしかめる。

「探してたんじゃないかな?」

「何を?」ブザンソンが()れたように訊く。

「ぼく達の痕跡(こんせき)だよ」ジグリットは自分達の荷馬車を見下ろした。「ヤツに馬車を見られた。馬も」

「それだけで追って来れるわけがない」ブザンソンが首を振る。

「どうかな」ジグリットは、思案しながら言った。「馬の足跡(あしあと)(わだち)の跡には、一つ一つ(くせ)がある。ぼく達の馬車の車輪の(はば)をヤツが覚えて、轍の跡で追うこともできる」

「そんなことが可能なのか?」驚いて、ブザンソンは眸を(まばた)かせた。

 あの野蛮(やばん)なだけに見える狂騎士が、短槍(たんそう)が強いだけでなく、鋭敏(えいびん)な感覚まで持っているとは、思いたくなかったのだ。

 ジグリットの表情(かお)(けわ)しくなっていた。「もちろん並み大抵じゃできないことだよ。でもそうとしか考えられない。馬の歩幅や左右の肢の間を測るだけでも、一頭一頭の違いがあるからな」

 ジグリットは森の木々の間を見上げた。空は晴れ、雨の気配は見当たらない。

「雨でも降ればよかったんだが、望みは薄そうだ」

 足跡や轍の跡は、このまま数日残り続けるだろう。

「また追いつかれたら、たまったもんじゃないぜ。どうするよ」ブザンソンが言う。

「方法ならあるけど・・・・・・」ジグリットはブザンソンを、それからそろそろ荷馬車で出発しようとしている商人を横目で(うかが)った。「あんたが文句さえ言わないなら」

 ブザンソンはそれでまたもや自分が損をすることに(かん)づき、忌々(いまいま)しいとばかりに顔をしかめた。


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