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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
184/287

4-3

 ブザンソンの腰に長剣が下がっていることは知っていたが、ただのお飾りなのだとジグリットは思っていた。

 交易商人は振り返らずに答えた。「おれは頭脳労働専門なんだ」心底、嫌悪の混じった声だったが、それとは逆に長剣を引き抜く。

 サジハッサはおもしろがっているように見えた。その囚人は唇の周りを()め、背の高いブザンソンとの距離を見ながら短槍(たんそう)を構えた。

 一撃目が()り出される。瞬時にブザンソンの剣が相手の短槍の切っ先を叩き、方向を変えた。だが、顔の真横を穂が突き抜け、ブザンソンが身を(よじ)る。

 ――速いッ!

 ジグリットは思わず荷台から乗り出し、二人が戦うのに眸を(みは)った。

 無造作に突き出してくるサジハッサの槍は、二撃、三撃と間髪入れずに、次の攻撃を仕掛けてくる。ブザンソンはそのたびに、機敏に避けていたが、やがてサジハッサがその動きを予測して、胸に向かって鋭い突きを繰り出した。

 ジグリットを含め、三人の少年達は荷台で息を()んだ。

 しかし、ブザンソンはまったく慌てていなかった。むしろ強引に一歩進み出て、突き出された穂先を長剣で叩き退けると、その反動を利用して、間合いに入った(やいば)をサジハッサの顔面に伸ばす。余裕を見せていたサジハッサは、予期せぬ攻撃に面食らい、ぎょっとして後ずさった。

 ブザンソンはそれを見て、ふんと鼻を鳴らした。どうってことはないと言いたげに、平然とした面持(おもも)ちだ。

 短槍を引き戻したサジハッサは、憎々しげな眸でブザンソンを睨んだが、すぐにそれは獰猛な笑みに変わった。「おもしろいじゃねぇか」ぼろぼろの赤茶けた歯が、乾燥してひび割れた唇の間から、にたりと覗いた。

 サジハッサは攻撃の手を速めた。短槍を手に、機敏な足さばきで前に飛び出たかと思うと、一突きした後、素早く移動し、今後はまったく別の位置から次の突きを繰り出す。間を置かないその攻撃に、ブザンソンは次第に翻弄(ほんろう)され、穂を避けるのに精一杯になり始めた。

 鋭い突きが、ブザンソンの防砂布を穿(うが)った。それが(わず)かに(こぶし)ほど引っ込んだかと思うと、すぐに戻って来て、今度はブザンソンの躰を(かす)める。長剣で間合いに入るには、ヤツが攻撃した直後が有効だが、その僅かな(すき)さえサジハッサは与えようとしないのだ。

 あまりの速さに、ジグリットは呼吸をするのも忘れて、ただその攻撃を見ていた。ジグリットはサジハッサの短槍と同時に、ブザンソンの意外なほどの剣の腕にも驚愕(きょうがく)していた。チョザの王宮にいた頃、騎士や兵士が鍛練(たんれん)する様子をよく見たものだが、これほどの剣士はそうはいない。しかし、そのブザンソンを軽く()なすサジハッサは、さらに別格だった。

 次第(しだい)に追い詰められ、下がって行くブザンソンに、サジハッサは(ねら)いを定めて前に出ると、短槍の()で足を払おうとした。ブザンソンもそれを予期して、長剣で受ける。だが、サジハッサの動作にはまったく乱れがなかった。狂騎士はわざと剣に短槍を持ち上げさせると、ブザンソンの長剣が防ぐ前に、肩に振り下ろした。

 ぐっと(うめ)いて、ブザンソンが顔を(ゆが)める。しかし、ブザンソンはしゃがみ込みながら、防砂布を(めく)っていた。

 夕陽を照り返して、ブザンソンの手元が金色に光ったのがジグリットにも見えたが、そのときには投矢(ダート)がサジハッサに向かって投げつけられていた。

 肉を穿つ音がして、サジハッサは僅かだが、後ろに(かし)いだ。肩に投矢が刺さったのだ。しかし、男は眉一つ動かさなかった。

 それどころか、自分の肩に刺さっている投矢を難なく抜き取り、黒くぼろぼろになった前歯を見せて破顔した。男はふっふっと不気味な笑い声を上げた。眸は血走り、完全に狂乱した人間の様相を(てい)している。

 ジグリットはぞっとして、荷台の(さく)から離れ、ブザンソンを助ける手段を考えた。サジハッサはまるで痛みを感じていないようだ。しかもあの動き。

 振り返ると、ブザンソンはサジハッサの予測し難い足さばきに翻弄され、なんとか剣で押し退けてはいるが、長くは持ちそうになかった。ブザンソンが弱いのではない。むしろ、商人にしては強すぎるくらいだ。問題はサジハッサだった。

 飛び()ねるように前後左右に動き回り、短槍を突き出す腕は、彼の躰に不似合いなほど長く見える。()せた体格のどこにそんな力があるのかわからないが、短槍を振り回しながら、笑っているのだ。

 ジグリットは荷台にへたり込んでいた二人の少年に近づいた。このままではブザンソンが()られてしまうかもしれない。そうなったら、次は自分達なのだ。そう言い聞かせて、ジグリットはレハンに荷台を降り、サジハッサの馬を(うば)うよう指示した。

 最初はとんでもないと震えていた少年だが、必死のジグリットの説得に渋々(しぶしぶ)頷き、ブザンソン達の戦闘を迂回(うかい)して、赤毛の馬の(もと)へ足を忍ばせて走って行った。

「それで君にも手伝って欲しいんだ、マイスール」ジグリットは足を捻挫(ねんざ)している少年に、荷台から御者(ぎょしゃ)台へ上がるよう言った。足の痛みを(こら)えて、マイスールがなんとか御者台へ上がり、馬の手綱(たづな)を握る。

 その間に、ジグリットはブザンソンが運んでいる荷の中から、使えそうな物を探し出していた。ちょうど良い物を見つけたときには、すでにサジハッサの馬にはレハンが(またが)っていた。

 準備は整った。ジグリットは荷台の(きわ)まで行き、そのときを待っていた。

 ブザンソンは騎士と並び立つぐらいに、腕が立つ。その彼がいまや額から血を流しながら、剣を闇雲に振り回している。三度に一度は短槍の穂がブザンソンを掠め、息の上がったブザンソンの足元はふらついていた。

 ジグリットはサジハッサの動きに視線を()えた。殺人狂はいかにも(ねずみ)を追うのが楽しいかのように、薄ら笑いを浮かべている。

 ブザンソンの躰が、ジグリットとサジハッサの間に立ち(ふさ)がった。ジグリットは手に持っていた(かわ)の袋を構えた。ブザンソンが短槍を避け、右に傾ぐ。直後、ジグリットの手から、袋が全力で投げつけられ、それがブザンソンの肩越しに、僅かに覗いたサジハッサの顔面を直撃した。

 辺りにものすごい悪臭(あくしゅう)が広がった。同時に、黒いどろどろしたものがサジハッサを中心に飛び散る。

「ぐあ゛ッッ!!」サジハッサが驚愕に一声上げ、すぐにそれは絶叫に変わった。

「ブザンソン来いッ!!」ジグリットは茫然(ぼうぜん)としているブザンソンに手を差し出し、荷台に乗るよう叫んだ。

 ブザンソンが走って来る。その間に、ジグリットは足元に置いていた(なわ)を取り、地面を転がり回って、眸に入った黒い液体と戦っているサジハッサの首に投げかけた。それは見事に男の首を捕らえ、縄が締まりきっていない状態で、ジグリットは縄の(はし)をサジハッサの馬に乗っているレハンに投げ渡した。

 少年は受け取ると、縄の端を馬の手綱に結びつけ、馬車とは逆の方角へ馬の頭を(めぐ)らし、(あぶみ)で腹を突き破らんばかりに蹴り上げ、()き立てた。サジハッサの馬はあまりの乱暴に前肢(まえあし)を持ち上げ、甲高(かんだか)い叫び声を上げた。そして全速力で走り出す。

 ジグリットはブザンソンが荷台に乗ると、すぐに御者台にいるマイスールに、馬車を出すよう言いつけた。馬車の荷台とサジハッサの馬がすれ違う直前、レハンは身軽に馬から荷台に乗ったばかりのブザンソンへと飛びついた。

 ブザンソンはレハンを抱きとめたものの、走り出した荷台の中で、自分の積んだ木箱に背中から倒れ込み、ぐうっと一鳴きして力()きてしまった。

 ジグリットは、後方へ引き()られて行くサジハッサをじっと見ていた。男は激しく興奮しきった馬の手綱に、首の縄を結びつけられたまま、全身をばたつかせて遠ざかって行く。あのまま誰も助けなければ、サジハッサは死んでしまうだろう。だが、ジグリットは同情心を持つ気にはなれなかった。

 男が腰に(くく)りつけていた誰のものかもわからない、たくさんの人達の髪の(たば)が外れ、風に吹かれて街道(かいどう)の脇に飛んで行った。互いの馬は逆を向いて、ひたすら離れ続けていた。

 ジグリットは荷台の(ふち)にしがみついたまま、後方へ去って行くサジハッサを見送った。三十ヤールほど行き、道が右折し見えなくなるまで、サジハッサは馬に引き摺られもがいていた。

 全力で馬を走らせ続け、数分経った頃になって、ブザンソンは荷台で怒号(どごう)を上げた。

畜生(ちくしょう)!! おれの石炭油(タール)が! 高かったのに!」

 ジグリットが投げつけたのは、石炭油だったのだ。石炭油は、石炭を乾留(かんりゅう)するときにできる(ねば)ついた油状の液体だ。(にお)いもさることながら、一度ついたらそう簡単には洗っても取れない。

 ブザンソンが何のためにそんなものを運んでいたのかは知らないが、ジグリットはそのおかげで助かったことに感謝した。

「この金額も上乗せしといていいからさ」ジグリットが冗談(じょうだん)混じりに(なだ)めると、ブザンソンは「当たり前だ!」と怒鳴り返した。

「おれの荷が・・・・・・」ブザンソンは自分の額の(きず)より、とっ散らかった荷台を眸にすると、本当に泣きそうな顔で、ゆるゆると首を横に振った。

 二人の少年達は、それからすぐの分かれ道で、村の方へと帰って行った。ジグリットは感謝を述べたが、ブザンソンの機嫌は直ることはなかった。少年達から玉葱(たまねぎ)をふんだくろうとしたブザンソンに、ジグリットが助けてもらったのはこっちだと言って、謝礼を(もら)うのを断わったせいもある。

 それにしても、とジグリットは一人になった馬車の荷台で思い返していた。

 ――あんなヤツを野放しにするなんて、リネアは一体・・・・・・。

 ジグリットは彼女の考えなど、(はな)から読むつもりもなかった。

 何が起ころうと、彼女が何をしようと、あの城に戻る気はないのだ。もうリネアの側にいなくて済むなら、ジグリットは何度だって、何人だろうと追手を撃退(げきたい)するつもりだった。


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