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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
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          3


 赤い砂岩で造られた無骨な階段が、延々と下に向かって続いていた。階下へ伸びる階段の(わき)には、一定間隔(かんかく)ごとに(すす)けた燭台(しょくだい)(もう)けられていたが、そこには今は燃え尽きた松明(たいまつ)の灰が(わず)かに残っているだけで、明かりは()いていなかった。おかげで通路は前も後ろも(すみ)で塗り(つぶ)したように暗く、狭い階段は奇妙な圧迫感を持っていた。

 じめじめとした蒸し暑さが、重い空気に満ちていた。アウラは浮き上がり始めた汗を気にしながら、暗い階段を恐る恐る降りて行くところだった。前を歩いているのは、以前ジグリットを独房(どくぼう)に入れていた頃に知り合った看守(かんしゅ)だ。

 浅黒い肌をしたゲルシュタイン人の看守は、(もら)える物さえ貰えれば口を(つぐ)んでおくだけの分別は持ち合わせていた。口が(かた)いことは、ジグリットの存在が城の内部に()れなかったことからしても、信頼して良いだろう。

「アウラ様、足元にはお気をつけて下さい」若い看守は松明を手に振り返り、アウラの足元を照らした。

「大丈夫よ。それより、本当にこんな所に人がいるの?」

「ええ」看守はまた前を向いて、階段を下り始めた。「血の城には、古くから様々な用途に使うため、多くの地下室がありましたが、皇帝が代わるたびに一層ずつ地下が増えたといわれています。まぁ、ここ最近は上の方を建て増しするので、地下には誰も見向きもしませんが」

 二人の足音は上下左右の岩壁(がんぺき)に反響して、大きく震えるようだった。アウラはリネアから預かった絹の袋をぎゅっと両手で抱くように持ち、何度目かに折れ曲がった階段の踊り場を通過して、さらに降りて行く。看守のずっと先には眸を(すが)めても暗闇しか見えない。ぼんやりと照った看守の手元だけが、唯一の光源だった。

 若い看守がいつもより饒舌(じょうぜつ)なことに、アウラは気づいていた。

「われわれ看守の間でも、地下へ食事を運ぶ任は、誰もが嫌がります。ヤツは大人しいときと激しく(わめ)くときと色々でしてね。この暗闇ですし、いきなり(おそ)われるんじゃないかって、(きも)が冷えますよ」

(ろう)に入れているのでしょう?」アウラが訊ねると、看守は次の踊り場で立ち止まった。

「ええ。ヤツは狭い鉄の囲いに入っていますし、(くさり)で両手両足も繋がれています。ですが・・・まぁ、見て(いただ)ければわかりますよ」

 アウラも階段を降りきった。二人はすでに三階分の階段を降りていた。そこまで来ると、湿気はさらに(ひど)くなり、(かび)けた臭いが壁から染み出すように充満(じゅうまん)していた。だが、階段は二人が立ち止まったところから、まだ折れ曲がって下へと続いていた。それはまるで底なしのように、不気味に黒く落ち込んでいた。

「この下には何があるの?」アウラが訊ねた。

「さあ、われわれも下まで降りた者はいません。(うわさ)では屍鬼(グール)が出るとか、迷って二度と戻れないとか色々言われていますよ」看守は下の階には興味すら持ちたくないといった様子で、さっさと今いる場所から開けた空間へと松明を向けた。「向こうです」

 彼が示した方には、粗末(そまつ)な木戸が一つ、五段ほどの階段の上に()っていた。看守が胸衣嚢(ポケット)から(かぎ)の束を取り出す。アウラはその間、彼から松明を受け取り、鍵穴が見えるように照らしていた。

「最初に言っておきますが、気持ちの良い場所じゃありませんよ。われわれでも、たまに骸骨(がいこつ)と眸が合って飛び上がりそうになったりしますから」

 アウラはわかっていると頷いた。地下の納骨堂(のうこつどう)だと聞いていたので、覚悟はして来たつもりだ。

「じゃあ行きましょう」看守が鍵を外し、木戸を開くと、古い蝶番(ちょうつがい)がギイギイとうるさく鳴った。

 地下納骨堂は、(はば)が五ヤールもないほどで、石でできた二段式の(たな)のようなものが両脇に()え付けられ、それがずっと前方の奥深くまで続いていた。その寝台(ベッド)のようにも見える台に、ほんの(わず)かでも明かりが届くと、忘れ去られた屍骸(しがい)たちは無遠慮(ぶえんりょ)に空っぽの眼窩(がんか)から、アウラを()めつけてきた。

 彼らはずっと放置されていることを怒っているように、歯を()き出したものから、すべてを取るに足らないことだと思っているのか、無表情なものまで、数多くが無造作に並べてあった。

 寝台のような広い棚に、彼らは寝そべっていたり、座った状態で置かれていた。汚れてぼろぼろになった服を着たままの者もいる。しかし、どれもが男女の区別さえわからないほどに、()ち果てていた。

 ――こんな所に置かれたままになるなんて、ぞっとするわ。

 アウラはできるだけ、彼らを見ないように(つと)めた。前を行く看守も、彼らに注意を払ったりはしない。皮ばかりになった木乃伊(ミイラ)は、両脇に二十体かそれ以上あった。アウラは彼らが何者なのか、すでに知っていた。すべて鎖蛇(くさりへび)の一族の者達だ。だが、彼らはアリッキーノが生まれる前に、すでにここに並べられていた古い血の者達だった。何世代も前から、身内同士で殺し合いを()り広げてきた蛇の一族は、かつてはここに類縁(るいえん)の者を(ほうむ)っていたのだ。

 看守と共に、アウラは納骨堂の奥へと歩いて行った。奥へ行けば行くほど、屍体は黄ばんで小さく粉々になっていく。ふと、アウラは看守の照らす松明の明かりに白い影が映ったように思えて、ずっと先へ眸を()らした。

 二人はここへ入ってから、互いに一言も口を()いていなかった。息をするのさえも、躊躇(ためら)うほどの静けさと、不穏(ふおん)な気配があったためだ。しかし、ようやく看守が少し首を動かし(ささや)いた。

「いましたよ、あいつです」

 アウラは看守が松明を前に出して、突き当たりの壁を照らすと、重い空気の揺らぎの中でそこに一ヤール四方の鉄製の(おり)があるのを見た。腕ほどもある太い(さく)が縦に何本も並んだ檻の中は、さらに暗く眸を凝らしてもよく見えない。そのとき、檻の中で(けもの)のように(のど)が鳴る音がした。

 アウラは一歩近づき、少し(ひざ)を折り曲げて(のぞ)き込んだ途端、思わず悲鳴を上げそうになった。檻の中の暗闇に、一人の男が四肢(しし)を上下左右に(くく)り付けられていたのだ。口を手で押さえたまま、アウラは後ずさった。

 ばさばさに乾燥した焦げ茶の髪が垂れ下がって、檻の外まで()い出している。さらに伸び放題の(ひげ)と相まって、顔はまったく見えなかった。両手両足は金属製の短い鎖に繋がれているため、男の姿は胡座(あぐら)のまま、完全に封じられていた。着ている服は、さっき通り過ぎて来たときに木乃伊(ミイラ)達が着ていたものと、そう違いはないほどに汚れてくたびれている。

 男はうなだれていた。二人がここへ来たことは、()うに知っているはずだが、指先すら動かさない。一瞬、アウラはこの男がもう死んでいるのかと疑った。だが、看守が声をかけると、男は首をほんの少し動かした。

「サジハッサ、客だぞ」看守が呼びかける。

 すると、男は顔を上げ、覆い被さった髪を退()けるために左右に首を振った。男は正面を見ようとしたが、明かりにまだ慣れていないのか、看守の持つ松明に眸を(まばた)かせた。

(まぶ)しい。退けろ」そう言った声は、低く(かす)れて聞き取り(にく)い。

「タリマ・サジハッサ。おまえに客だ」看守はもう一度、男に言った。

 その囚人は髪の隙間(すきま)からアウラを見て、彼女と眸が合うと、納骨堂の良き仲間達のように黒ずんだ歯を()いて薄ら笑った。それから、誰もが一度は想像したことがあるだろう冥府(めいふ)の屍鬼のごとく(うな)った。「女の臭いがするぞ」

 そのとき初めて、アウラはこの囚人が繋がれて四年経つというのに、自分を見る眸にいまだ鋭い眼光を(たた)えていることに気づいた。彼女は震える足で一歩前に進み出た。恐れよりも()(がた)いのは、皇妃(おうひ)に見捨てられることだ。

「あなたが帝都の狂騎士(きょうきし)、タリマ・サジハッサね」サジハッサは答えなかった。だが、アウラは言った。「自由と引き換えに仕事をして欲しいの」

 サジハッサの眸は、(ほこり)にまみれた髪や汗臭い服とは違い、(みが)きたての縞瑪瑙(オニキス)のようにそこだけぎらぎらと光っていた。彼はびっしりと鬚に覆われた口元を(ゆが)めた。そして、アウラの足元に(つば)を吐き捨てた。

「まずは肉と女を寄越せ。話はそれから聞いてやる」

 主導権を握っているのは自分だと言いたげな囚人に、アウラは吐き気がした。サジハッサのような男を使わなくてはならないぐらいなら、さっさと部屋に帰って荷物を片付け、チョザの実家に戻りたかった。だが、このまま部屋に戻れば、恐ろしい目に()うのは自分なのだと言い聞かせて、彼女は男を睨み返した。

「食事と女なら用意させるわ。でも先に話を聞いてもらうわよ」

 サジハッサはアウラの(かお)を、それから足元から首筋までを()めるような眼つきで眺めた後、にやりと笑った。

「おまえの臭い、それに肌の色。どこの国の女だ?」

 アウラは恐ろしさに震えが眸に見えて現れるのを(おさ)えるため、すぐには口が利けなかった。ようやく彼女は何気ない素振(そぶ)りで答えた。

「タザリア」

「ふん、どうりで田舎(いなか)臭い」サジハッサはしばらく押し黙り、それからゆっくりと破顔した。「いいだろう、おまえの話を聞いてやる」

 アウラは深く安堵した。主導権を握っているのは、サジハッサではなく自分なのだ。彼女はもう一歩、囚人に近づいた。


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