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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
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          5


 廃棄処分の洗濯物(リネン)の入った(たる)が脇門から出されて、数時間が経過したようにジグリットは感じていた。だが、時間の感覚は時々で違うもので、実際は数十分ほどだったかもしれない。

 ブザンソンは荷馬車で大手門から出たら、脇門に回って樽を拾いに行くと言っていたが、ジグリットは本当に彼が迎えに来るかどうか、半信半疑だった。もしブザンソンが待っても来なかった場合、誰かが回収に来る前に、ここから出て逃げなくてはならない。

 樽の中で、ジグリットは何度か、一人でここから出て逃げようかと考えた。リネアが追手を出すにしても、朝までは大丈夫なはずだ。それまでに帝都に潜り込み、身を隠せばいい。だが、身を隠すにしても、ジグリットは無一文だった。左足もあまり良くなっていない。

 紫暁月(しぎょうづき)のナウゼン・バグラーはタザリアより何倍も陽射しが強く、日中の気温も高かった。逆に夜になるといきなり冷え込んだりもする。そんな場所で金も持たず、寝床(ねどこ)もないとなると、今より体調が悪化する(おそ)れがあった。

 ――どれぐらい経ったんだろう。

 ジグリットは暗い樽の中で躰をずらし、(ふた)の隙間を探して外を(うかが)った。暗闇に眸が慣れたのか、外は少し明るく感じる。(わら)の混じった土塀(どべい)のようなものが、樽の真上に見えた。城壁の(ひさし)の部分だろう。他に人の気配などはない。耳を澄ましても、人どころか、(ねずみ)一匹通っていないようだ。

 ――本当に来るんだろうな。

 不安だけが(つの)ってくる。仮にブザンソンが来ないとして、この樽の蓋をどうやって開けるかも問題だ。樽の(わく)が少し高めに造ってあり、押し込んだ蓋の上を止め木が貫いているだけだが、内側から見ると取りつく場所すらない。

 ――まぁ、元は葡萄酒(ワイン)樽な上に、入っているのは屍体(したい)だもんな。

 つまり内側から開けることなど考えてもいない造りなのだ。蓋の隙間に、指が入るかやってみたが、まったく駄目だった。上衣(シャツ)の中で丸まっているヴェネジネにも無理だろう。彼女の手にそれほどの力があるようには思えない。

 それから数十分、ジグリットは樽の中で長く陰鬱(いんうつ)とした気分を味わった。今後のことを考えるには、ここは暗すぎたし、あまりに死の臭いが立ち込めていた。それでもジグリットは、一度として、リネアの(もと)に帰りたいとは思わなかった。それだけは、後十日この樽に閉じ込めるといわれてもごめんだった。

 彼女のしたことはジューヌの名を(かた)った孤児(こじ)にするには、当然の(むく)いだったかもしれないが、タザリアを犠牲(ぎせい)にすべきではなかった。前王のクレイトスとした約束までもが、リネアに踏みにじられたように、ジグリットは感じていた。

 ――タザリアの王女として決着をつけたかったのなら、彼女はぼくを殺すべきだった。

 ジグリットには、リネアのしたことがまったく理解できなかった。そして、彼女と一緒にいることが、ひたすら苦痛でしかなかった。彼女はジグリットの予期しないときに怒ったり、優しくなったりするのだ。

 彼女の方から問いかけておいて、素直に答えたら()たれたこともある。(うと)ましく思っているなら、わざわざ話しかけなければいいと、ジグリットは思うのだが、彼女から近寄ってきて、苛立(いらだ)ったり気に食わなかったりするたびに、(ひど)い目に遭わされた。

 ジグリットは暗がりの中で、彼女に対する恐れが、寒気のようにぞくぞくと襲ってきて、大きく身震いした。他のことを考えた方がよさそうだ。

 ――ブザンソンはまだなのか!?

 もう随分(ずいぶん)待っている。

 ――やはり彼は来ないんじゃないか。

 そう思い始めて、ジグリットは体調のことも考えずに、強引に胸に埋められたニグレットフランマ(黒き炎)を稼動させた。

 蓋に両手をつき、一度息を吐き出すと、次の瞬間、全力で押し上げた。最初の瞬発力で、外側からバチッと何かが割れた音がした。敷布(シーツ)のせいで踏ん張ることができないため、長くは持たないことはわかっていたが、両腕を突っ張って無理やり押し上げる。右足を樽の中で立て、肩の力まで使って、ばねのように全身を伸ばした。

 直後、蓋の厚みのある羽目板が二枚、外に向かって折れた。ジグリットの両腕だけが外に出た形だ。手探りで止め木を抜くと、ようやく蓋を取っ払って、ジグリットは樽から顔を出した。外の新鮮な空気がどっと押し寄せてくる。

 口を開けて息を吸い込みながら、ジグリットは大手門の方角の城壁(じょうへき)沿いに一台の荷馬車が停まっているのを眸にした。男が一人、こちらに向かって歩いてくる。

 ブザンソンは手前で立ち止まると、樽に半分埋まったままのジグリットを見下ろした。

「すんごい莫迦(ばか)力だな!」

 蓋を割ったところを見ていたらしい。ジグリットは魔道具の作用で、まだ苛々(いらいら)していた。

「あんたが遅いからだ」睨みながら言う。

(わり)ぃ悪ぃ、ちょっと手間取っちまった」ブザンソンは悪びれずに謝った。

「あんまり遅いから、もう来ないのかと思ったよ」

 怒っているジグリットを、ブザンソンが持ち上げて、樽から出す。

「そんなわけあるか。おれっちの可愛いヴェネジネを置いていけるか!」

 ジグリットは顔をしかめた。大の男が人形にこれほど執着しているのも、ちょっと気味が悪い。しかし、上衣に手を突っ込んで、ジグリットは彼にヴェネジネを渡した。

 樽の外に出たことに気づいたヴェネジネが、急に元気を取り戻して、ブザンソンの頭に取りつく。ブザンソンは辺りに誰もいないことを、もう一度確かめると、何も言わずにジグリットを小脇(こわき)に抱えた。

「ちょ、ちょっと・・・・・・」驚いたジグリットが、腰に回った腕を外そうともがく。

「黙ってろ。こっちの方が速い」ブザンソンは人一人を抱えているとは思えない大股(おおまた)走りで、荷馬車まで駆け戻った。そしてジグリットを荷台に降ろす。「ほら、こっちに座ってろ」そう言って、自分はヴェネジネを頭に乗せたまま、御者(ぎょしゃ)台に行ってしまう。

 ジグリットは溜め息をつきながら、荷台の上をひょこひょこと跳ねて座る場所を探した。すると、(はし)に一人の少女が(うずくま)っていた。

「この子は?」御者台に向かって訊ねる。

 ブザンソンは振り返りもせず言った。「荷だよ。荷台に()ってんだから」

 仕方なくジグリットは、少女から少し離れたところに腰かけた。

「なぁ、ブザンソン。あんた、知っていたのか!?」

 馬車が走り出す。

「何がだ?」とブザンソンが訊き返した。

「樽の中に屍体があった!」ジグリットが(するど)い声で言うと、ブザンソンはしばらく沈黙し、それから思い出したように答えた。

「ああ、それか。そうだよ、だからあの樽は外に出すことになってんだ」

 あまりに明るい返答だったので、ジグリットはなぜか、どっと疲れた気分になった。

「それかじゃないよ! 前もって言っておいてくれよ! びっくりしたんだぞ」

 肩や頭が重く感じ、思考が(にぶ)ってきている。そう自覚したときには、ジグリットの(まぶた)(ふさ)がっていた。平衡(へいこう)感覚が失われていく。

 ――ニグレットフランマの反動だ。

 ジグリットの躰は荷台にぱたりと倒れ、疲労と安堵(あんど)が眠りを連れてくると、簡単に意識を手放した。


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