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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
175/287

          3


 廊下は薄暗く、等間隔(とうかんかく)に設置されている松明(たいまつ)は闇を完全に払いきれていなかった。ジグリットは()ぜる松明の下に立ち、まず自分の指に(はま)ったままだった指輪を取った。自分の足の骨でできた指輪など、見るのも嫌だった。それを下衣(ズボン)衣嚢(ポケット)に押し込み、次にブザンソンから(もら)った羊皮紙を開く。

「複雑すぎるな」地図は一つの建物の内部を表していたが、そう呟くほど、血の城は入り組んでいた。

 足元でヴェネジネが暗い廊下(ろうか)の先をじっと見つめている。ジグリットは地図も衣嚢に押し込むと、彼女を(うなが)し、また歩き始めた。トン、と手前に突いた金属棒を支えに一歩、そしてまた支えを出すと一歩。自分の足取りが以前の倍以上遅く感じる。(あせ)りと緊張が、ジグリットの額に汗の(つぶ)を生み、視界を(さえぎ)る暗闇は恐れを(もたら)した。それでも鋭敏(えいびん)な耳で、ジグリットは背後にも()く手にも、誰の足音もしないことを感じ取っていた。

 自分が出てきたリネアの部屋は、すでにずっと背後の闇に沈んでいる。そしてその方角からは、何の物音も聴こえてはいなかった。練成人形であるヴェネジネは、ほんのかすかな物音も立てず、支えを突くジグリットの足音だけが、暗く静かな廊下に響き渡っている。

 ずっと以前に、血の城から逃げようとして、複雑な血の城の造りに迷わされたことを思い出し、ジグリットは苦々しい気分になった。地図で見た限り、わざと迷うように造られているのだ。ブザンソンが地図を描いてくれなかったら、とても口頭では伝えきれなかっただろう。

 廊下の松明と松明の間にある窓は、すべて鎧戸(よろいど)が閉まっていたが、ジグリットにはここが三階で、城の真西であることがわかっていた。階段はもうすぐ見えてくるはずだ。そしてその階段は三階と二階のちょうど中間で分岐(ぶんき)し、北と南に分かれているのだ。地図が正しければ、そのはずだ。

 数歩先を行くヴェネジネを踏まないよう、ジグリットは金属棒を置く場所を確認しながら、進んで行った。階段にようやく辿(たど)り着くと、ちょうど年嵩(としかさ)の侍女が一人、上がって来るところだった。ジグリットはぎゅっと強く金属棒を握り、ヴェネジネが戻って来て、自分の右足を伝ってちょうど背中の腰の辺りにしがみついたのを感じた。

 ――本当に(かしこ)い人形だ。

 ジグリットはヴェネジネの動きに驚きながらも、侍女が階段の上にいる自分に気づき、それから左足の欠けた部分にちらりと眸をやったのを見た。彼女はなぜか眉を寄せ、心苦しそうな顔をした。一瞬、ジグリットはそれが自分の足に対して向けられていることに気づかなかった。ジグリットは、そのとき初めて他人が自分をどう見るかを知った。

「階段を降りるの? 手伝いましょうか?」侍女は言った。

 ジグリットは慌てて首を振った。「いいえ、一人で大丈夫です。壁を伝って降りますから」笑ったつもりだが、ジグリットは自分が引き()った表情になっているとわかっていた。

「そう?」と侍女は心配そうに首を傾げ、それでもしつこくするでもなく、階段を上がりきると角を曲がって行ってしまった。

 ジグリットは動揺していた。自分が逃げて来たことはバレなかったが、それ以上にあんな眸で見られることに我慢(がまん)ならなかった。

 ――ぼくは可哀相(かわいそう)な人みたいだ。

 自分でそう思って、ジグリットは苛立(いらだ)った。

 ――これもすべてあいつのせいだ。

「クソッ!」(こぶし)で壁を叩くと、その剣幕にヴェネジネがびっくりしたのか、背中から転げ落ちた。練成人形は(さる)と同じ鳴き声で、甲高(かんだか)くキキッと抗議(こうぎ)した。そしてさっさと階段を跳ねながら降りて行く。

 あの高慢(こうまん)なリネアの(かお)を、何度ぶちのめしてやりたいと思ったことか。ジグリットは最後の最後に彼女を殴ったことを、ちっとも後悔していなかった。腹を立てたまま、力任せに支えの棒を一段下に出し、それから壁に片手をついて降り始める。

 憤慨(ふんがい)しているジグリットの手は、右足が一歩踏み出すよりも、(わず)かに速かった。右足で均衡(バランス)を保つ前に、手が支えを前に突き出す。そのせいで、たった三段降りたところで、ジグリットは前のめりに階段から転げ落ちた。

 一瞬、記憶が飛び、次に気づいたときは、キキッ、キキッ、とヴェネジネが耳元で鳴いていた。ジグリットは大丈夫だと返答したかったが、できなかった。なんとか詰まった息を吐き出す。肺は大丈夫なようだ。ゆっくり呼吸しながら起き上がろうとすると、右手がまだしっかりと金属棒を掴んだままだった。頭がぐらぐらして、足が痛いのか、胸が痛いのか、どこも悪くないのか、さっぱりわからない状態だった。

「どうやらまだ死んでないみたいだ」ジグリットは呟き、起き上がった。「痛てて・・・・・・手を()()いた。階段を降りるときは、腹を立てない方がいいみたいだな」

 ヴェネジネが横でその通りだと言うように、飛び跳ねる。ジグリットの腹の下には、彼がずっと左腰にぶら下げてきていた綿の大きな袋が挟まっていた。

「これで助かったみたいだ」ブザンソンが擬装(ぎそう)のために持っていろと言った、絹の敷布(シーツ)が入った袋だ。洗濯物(リネン)を集めるのは(した)()の侍従の仕事らしい。さっきの侍女がジグリットに、不審感を持たなかったのも、彼がこれを腰に下げていたからだった。

「ブザンソンが言っていた時間までに、間に合えばいいんだけど」

 バレそうにないからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。渾身(こんしん)の力で立ち上がると、躰のあちこちがずきずきと痛んだ。見ると、運良くとはいえないが、階段の分岐から北側の二階に落ちていた。ジグリットはまた支えを突きながら、歩き出した。

 二階に降りると、人通りが多くなった。ヴェネジネは飛び上がると、ジグリットの腰の洗濯物袋に(もぐ)り込んで隠れ、彼は(うつむ)いて歩いた。すれ違う侍女や巡回中の警備兵達は、ジグリットの姿を眸にしても、特段気に留めなかった。洗濯物の袋もだが、何よりリネアがジグリットの存在をひた隠しにしてきたことが幸いしたのだろう。それでも何人かは、左足の途切れた箇所(かしょ)を無遠慮にじっと見つめた。

 だが、ジグリットは最初のときより、そういう視線を気にしなくなっていた。というより、気にしていられなくなったのだ。できるだけ彼らに注視されないためには、早くここから立ち去る他ない。そのため、ジグリットの支えを突く音も速くなり、彼は廊下を跳ねるように通り過ぎて行った。


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