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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
172/287

3-2

「大人しくしてくれ」ジグリットが震える声で言った。

 リネアは彼が何のためにこんな莫迦(ばか)げたことをしているのか、その瞬間に(さと)った。彼の眸は(おそ)れを(たた)えていた。興奮ではなく、恐怖だ。それに、ジグリットが近づいて来る音。聴こえるはずの片足での移動の足音がまったく聴こえなかった。

 ――つまり、これは考えたくない事態かもしれない。

 リネアにしてみれば、連れて来た当初から、ジグリットが一度や二度の脱走で諦めるとは思っていなかった。だが、彼は失敗し、足を失った。これは大きな代償(だいしょう)だったはずだ。次に同じことをしようとは、思えないほどの代償だ。

 ――思っていたよりジグリットが(おろ)かだったのなら、有り得るけど・・・・・・。

 それは違うと、彼女の中の何かが警告していた。ジグリットの手は彼女の口と、胸の上にあった。まだ微熱(びねつ)があるのだろう汗ばんだ彼の手のひらに、硬く冷たい指輪の感触がした。ジグリットの左手に(はま)っているもう一つの指輪だ。

 ――こんな指輪一つで満足しようとしていたなんて、わたしは浅はかだったわ。

 ジグリットの手は、彼女の胸の上にある金鎖(きんさ)に繋がれた(かぎ)を掴んだ。それを知って、リネアの怒りに火がついた。彼女は力一杯、抵抗し始めた。ジグリットの頬を下から()りつけ、左手に鍵を持っていかれまいと、(つめ)を立てた。ジグリットが、クッと(うめ)いて(ひる)んだ(すき)に、彼女は身を(よじ)って、そこから()け出そうとした。

 しかしジグリットの方が力が強く、()し掛かった体重は容易にリネアを自由にはさせなかった。口を押さえていたジグリットの手が外れたので、リネアは声を上げようとした。しかしそれを見越して、ジグリットは彼女を(こぶし)(なぐ)りつけた。反射的なものだったが、リネアも、そしてジグリット本人も驚いて、二人は眸と眸を合わせた。

 リネアの淡紅色(たんこうしょく)の唇が切れ、明かりの(とぼ)しい寝室で黒い血となって流れた。彼女は叫ぶのも忘れて、自分の左頬に指を這わせた。そこは(にぶ)い痛みを(ともな)って、(しび)れていた。

 ジグリットの方が先にその衝撃から立ち直った。彼は再び彼女の口を押さえて、寝台(ベッド)に戻した。リネアはされるがまま、茫然(ぼうぜん)とそこに転がった。細い金の鎖を引き千切り、ジグリットが鍵を手にすると、彼女は怒りを取り戻し、燃え(たぎ)った眸で睨みながら何か呻いた。

「お願いだから黙ってくれ」ジグリットは(ささや)き声で懇願(こんがん)した。でなければ、彼女をもっと傷つけることになるかもしれないのだ。「こんなことがいつまでも続くわけがない。君だってわかってただろう」

 彼女は再び、何か言った。だが口を押さえられているので、ジグリットには通じなかった。

「ぼくはここから出て行く。飼い殺されるなんて、真っ平だ」

 そのとき、隣りの続き部屋で木が(きし)む音がした。扉ならブザンソンで、窓ならヴェネジネだ。リネアにも聴こえたのか、彼女は眸を見開き、初めて不安そうな表情を浮かべた。協力者がいるとは、考えもしなかったのだろう。

「ごめん」ジグリットはリネアの頭を持ち上げ、自分の胸に押しつけると、手刀で延髄(えんずい)に軽い衝撃を与えて彼女を気絶させた。力の抜けたリネアを寝台に寝かせると、彼女はただ眠っているように見えた。

 リネアの寝台から足の代わりとなる金属棒を取り出し、それを使ってジグリットは歩き出した。居間への扉を開くと、窓の一つが開いていて、その(わく)にヴェネジネが座っていた。小さな(さる)の練成人形は、身軽にそこから飛び降り、部屋を横切って扉の前へ行くと、一度だけ小さく鳴いた。

 ジグリットは扉の鍵穴がカリカリいう音に、外にブザンソンが来ていることを知った。急いで居間へ入ると、寝室の扉を後ろ手に閉める。リネアはしばらく気がつかないだろう。彼女が少しでも長く眸を閉じていてくれることを願いながら、ジグリットは部屋の中央へ歩き出した。

 扉が開くと、ヴェネジネはジグリットの背ほども飛び跳ねて、入って来た男に飛びついた。鮮やかな黄色の髪を後ろで一括(ひとくく)りした、厚手の黄褐色(きかっしょく)の防砂布を躰に巻いた男が入って来て、ジグリットを見るなり、ヴェネジネのように飛びついてきた。

「こいつは純銀の首輪だぞッ!!」ブザンソンは興奮して言ったが、それでも小声だった。

 ジグリットは自分の首輪にむしゃぶりつきそうな勢いの男に、リネアから奪った鍵を渡すと首輪を外してもらった。首が寒く感じ、ようやく鎖に繋がれていないことを実感すると、ジグリットはその解放感に笑みが(こぼ)れた。

 ブザンソンが手にしている首輪は、確かに銀細工で立派なものだった。

「知らなかった。鎖は銀じゃなかったから」とジグリットは眸を丸くした。

「こりゃあいい! 前金はこれでヨシとしてやるぜ」ブザンソンは機嫌よく言った。それがどれほど高価な物なのか、ジグリットにはわからなかったが、ブザンソンの眸が釘付(くぎづ)けになっているのを見ると、相当な値がつきそうだ。男は急いで首輪を自分の腰に下げたなめし革(レザー)の袋に入れた。

 ブザンソンはジグリットが思っていたよりも、大柄な人物だった。がっしりしているものの、見上げるほどに背が高く、そのせいかひょろ長く見えた。年齢は二十代後半といったところだろう。ヴェネジネを頭に乗せて、落ち着きなく辺りをきょろきょろ(うかが)っている。

「殺してないだろうな?」寝室の扉を親指で示して、ブザンソンが訊ねた。

「当たり前だろう。さっさと行こう」

 ジグリットは一刻も早くここから立ち去りたかった。しかし、ブザンソンは歩き出したジグリットを眸にすると、()頓狂(とんきょう)な声で呼び止めた。

「・・・ん? おまえ、その足はなんだ・・・・・・!?」彼はわざわざ腰を(かが)めてじっくり見た。そして嫌悪感いっぱいといった表情で頭を抱えた。「(だま)したのか!?」

「人聞き悪いな」ジグリットは眉間(みけん)を寄せ答えた。

「言わなかっただろう!」男は小声で憤慨(ふんがい)している。

「言ったら、取引してくれた?」訊くと、ブザンソンはようやく押し黙り、しばらく(うな)ると「・・・・・・いいや」と首を振った。

「だろう。だから黙ってた」

畜生(ちくしょう)ッ!」ブザンソンはさらに小声で怒鳴った。「いいか、小僧。これは契約違反だ。おれは中止して一人で出てくこともできるんだぞ」

「そんなことはさせない」ジグリットが睨みつける。

 まったく反省していないジグリットに、ブザンソンは指を突き出した。

「だったら一つだけ聞け。ここからおれの言うことは絶対に遵守(じゅんしゅ)してもらう。おれを騙すような真似(まね)は二度とするな」

 彼が自分を見捨てるつもりがないことを知り、ジグリットは安堵(あんど)した。

「ありがとう、ブザンソン」

「やめろ! 礼なんか言うな! 聞きたくもない」本当に嫌そうにブザンソンは顔を(ゆが)めて背を向けた。


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