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午後の授業は剣戟だった。蛍藍月の強い陽光は、リネアを拒むように降り注ぎ、彼女は外へ出ようとしなかった。ジグリットはそれを知って、心底ホッとした。
ソレシ城とマウー城の間の中庭で、ジグリットはジューヌ、そして庶子のタスティンと共に、武術指南役の炎帝騎士団の騎士長グーヴァーと、冬将の騎士となってひと月が過ぎたファン・ダルタを師に、鈍ら刀を打ち合っていた。わざと刃先を潰した剣は、それでも躰に当たると悲鳴が出そうなほど痛く、ジューヌは小一時間も経たないうちに泣き出してしまった。
ジグリットは剣戟の練習が学問と同じぐらい好きだった。エスタークにいた頃は、昼間は寝るもので、日の光がこんなに気持ちの良いものだとは知らなかった。躰の皮膚が熱せられる感覚は、じりじりと心地よく、吹く風は汗と髪を一気に乾かせた。
「ほら、こっちだ。かかって来い!」
グーヴァーはタスティンと剣を交えていた。
グーヴァーの剣は、巧みでどちらかと言うと優しかった。ジグリットは何度か打ち合う内に、彼がわざと力を抜いていることに気付いた。そしてそれがほんの少し悔しかった。もちろん炎帝騎士団の騎士長ともあろう人物が、剣戟を習い始めてひと月の、それも十歳の少年に本気でかかるわけもなかったが、ジグリットにとって、手を抜かれていることは莫迦にされていることと同義だった。
意外なことに、漆黒の鎖帷子を着たファン・ダルタもグーヴァーに倣ったかのように、その剣は極力、手を抜いたものだった。彼の性格上、容赦なく打ちのめされると思っていたジグリットは、そのあまりの変わりぶりに驚いたほどだ。
エスタークで脅しだったとはいえ、子供に斬りかかった男とは思えないほど、彼は腑抜けていた。
ジグリットは、目の前で泣いているジューヌを見下ろすのに飽きて、今はタスティンとグーヴァーの試合を見ていた。二人は真剣だったが、同時に楽しそうでもあった。
――いいなぁ、ぼくもジューヌじゃなくて、タスティンとやりたいや。
グーヴァーが同じ年頃だからちょうどいい、と言って、しょっちゅうジグリットとジューヌを打ち合わせていたが、ジグリットにとっては、すぐに泣き出すジューヌは相手として不服だった。軟弱なジューヌは、ジグリットとの打ち合いで十回に九回は地面に打ち倒され、泣き出し、途中で練習を放棄することが多かった。
今日も同じだった。痣ができるほど強く剣でジューヌを打つと、彼は泣き出してしまったのだ。
「もうやめる・・・・・・今日はもう・・・・・・・・・やめるぅ」
被っていた兜が半分脱げた格好で、地面に倒されたジューヌが言うと、見ていたファン・ダルタが割って入った。
「おい、もうそこで終わりだ」
ファン・ダルタは厳しい顔でジグリットをジューヌから引き離し、「大丈夫ですか、王子」とジューヌを立たせた。
タスティンと剣を交えていたグーヴァーも手を止め、肩を竦めた。
「おい、ジグリット、もうちょっとその・・・・・・何とかならないのか」
グーヴァーに言われて、ジグリットはわけがわからないと言った表情を向ける。
「だからその、少しばかり手加減をだな、」
ジグリットは眉を寄せ、近くの芝生に置いていた黒板を取りに行った。そして、文字を白墨で書きながら戻って来ると、それをグーヴァーに見せた。
[手加減しました]
グーヴァーはそれを見て、溜め息をついた。ソレシ城の柱廊の影から眺めていた侍女のヤーヤが駆けて来る。
「騎士長、今日はこれまででよろしいでしょう?」
ジューヌはヤーヤに抱きかかえられ、城へ戻って行く。
「ジグリット、君はどうする?」
グーヴァーの問いに、ジグリットは剣を掲げて見せた。もちろんまだ止める気なんかなかった。ジューヌが泣いて退出すれば、自分の相手はタスティンか、もしくはグーヴァー、悪くてもファン・ダルタになる。その方がずっとおもしろい。
グーヴァーが何か言うより早く、ファン・ダルタがジグリットに剣先を向けた。
「ではわたしが相手をしよう」
「おっ、冬将がご指名か。ならわたしはこのままタスティン王子とさせてもらおうかな」
冬将の騎士は、無表情にジグリットと向かい合った。実を言うと、ジューヌ以外の誰にもジグリットは勝てた例がなかった。タスティンとは五つ違いだが、彼との体格差はすでに大きく、それに長年の訓練が培った経験ではさすがに勝てなかった。
そして、炎帝騎士団であるグーヴァーとファン・ダルタは、タザリア一、ニを争う剣士で、もちろん勝てるわけがなかった。でも、ジグリットは、あっさり勝てる勝負よりも、負けて痣ができるほど打たれてもいいから、骨のある試合がしたかった。
ファン・ダルタは、いつにも増して鋭い眸をしていた。ジグリットは構えて、ぐっと地面を踏ん張った。
「来い」とファン・ダルタが告げる。
正攻法では彼には勝てない、とジグリットは考えていた。まず腕の長さから違うのだ。
ジグリットは目前の騎士に向かって行き、相手が剣を上げた一瞬に、身を屈めて横に飛んだ。そして騎士の足を剣で薙ぎ払う。しかし、騎士とジグリットでは体重差があり過ぎた。
ファン・ダルタは微動だにしなかった。彼の剣が、自分に降ろされるのをジグリットはただ茫然と見上げた。その眸に、ジグリットは驚くべきものを見てしまった。
――笑ってる!?
冬将の騎士の顔に、見たこともない凶悪な笑みが貼り付いていた。その直後、ジグリットは右肩に剣がガツンと当たって、衝撃で地面に押し倒された。
――嘘だろ・・・・・・笑ってた。
なぜファン・ダルタが笑ったのかわからないが、ジグリットは痛みに顔をしかめながらも、そっちの方に恐れを感じていた。