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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
獣面の暗殺者
159/287

4-1

          4


 オパルス湖は、レイモーンを東西に(つらぬ)くノマス川の上流にある巨大な湖だ。二人はその北部に宿営しているという遊牧民の黄昏月(たそがれづき)拠点(きょてん)を目指して疾走(しっそう)していた。川沿いに進む二人は、日が暮れ、馬の速度が落ちるとその場に野宿し、時折聞こえる(おおかみ)や野犬の声に耳を澄ましながら眠る。そして朝には再び、川の上流へ向かって走るという日々が続いた。

 太陽を照り返す湖面を望むようになる頃には、アンブロシアーナもこれがただの冒険旅行などではないことに気付いていた。予言をした魔道具使い(マグトゥール)が何者であろうと、アンブロシアーナは行動したことを微塵(みじん)も後悔していなかった。たとえそれが聖黎人(せいれいじん)ユールカやワルド大司祭に苦難を()いる結果になるとしても、これは自分の生涯(しょうがい)に関わる旅で、家族とジグリットの両方に会うことが、いまやアンブロシアーナには残りの短い人生を希望を失わずに生き抜く支えとなっていた。

 巨大な淡水湖の岸辺までやって来ると、二人は馬を止めて互いを見つめた。アンブロシアーナはナターシの白かった仮面が、風の吹き付ける砂に茶色くくすんでいるのを眸にした。ナターシは、アンブロシアーナの黒く染めた髪の根元が、すでに誰もがわかるほどに黄金色(ブロンド)(あら)わにし始めているのを見ていた。二人共、寝不足の(ひど)い顔だったが、微笑み合うだけの元気はあった。

「ついに湖へやって来たわよ」ナターシは馬から降り、アンブロシアーナが騎乗したまま、鞍袋(くらぶくろ)から小さい子供用の弓矢を取り出すのを見ながら言った。「それにしたって、ここまで数日、遊牧民の天幕(テント)一つ見かけなかったけど、大丈夫なの?」

 アンブロシアーナは笑った。「それはそうよ。草原は広いのよ? そう簡単に他の人と出会うことはないわ。だから弓矢(これ)が必要なの」

 アンブロシアーナは黒く()られた発火矢をつがえた。空気摩擦(まさつ)で発火するように作られた矢だ。レイモーンの遊牧民だけが使っているもので、アンブロシアーナは子供の頃に与えられてから、本当の意味で使うのは初めてだった。

 教会の司祭達に連れて行かれるとき、母親のサジスが持たせてくれたのだ。もちろん、少女神(コレツェオス)として大聖堂へ行けば二度と帰って来ることはないと知っていたはずだ。それでももし帰るとしたら、広い草原で移動しながら生活する家族に会うためには、位置を互いに(しら)せることができる唯一の手段がこれだった。

 昼間なら男はみんな外に出ている。アンブロシアーナは目いっぱい(つる)を引くと、北の空に向かって矢を放った。それは空へ向けた腕の角度と平行に、真っ直ぐ飛んで行き、中程(なかほど)で発火すると橙色(オレンジ)の火を(ともな)って燃え始めた。数秒、尾を引いて輝きながら伸び上がると、そのうち空の中で光は消え、やがて見えなくなった。

「大人が使う弓矢なら、もっと高く飛ばせるし、光も強いんだけど、これは子供用なの。もしかしたら、みんな気付いてくれないかもしれないわ」アンブロシアーナは不安そうに呟いた。

 確かに飛距離が足りなかったように、ナターシにも思えた。アンブロシアーナが少ない発火矢の次の矢をつがえた。その直後、北西の方角から同じような橙色の光が大地と垂直に空を貫いた。それはアンブロシアーナのよりも明るく燃え、(はる)かに高い場所まで上がって、長く輝きを残した。

「合図だわ!」アンブロシアーナが叫んだ。

「あそこにいるってこと?」

 ナターシの訊き返す声に、アンブロシアーナは再び叫んだ。

「そうよ! あたしの家族があそこにいるの!」

 馬上のアンブロシアーナを見上げたナターシは、喜びに上気している彼女の頬と、その頬を流れる感(きわ)まった涙を見た。アンブロシアーナはまだ空の一点をじっと見つめていた。ナターシは黙って馬に乗り、自分の胸までが熱く震えているのを感じた。アンブロシアーナが家族と会えることは、一緒にここまで来たナターシにとっても言葉にできないほど嬉しいことだった。その内にほんの少し、彼女を(うらや)む気持ちが(ひそ)んでいるとしても、アンブロシアーナの手を取り、微笑みかけるナターシの心に何の(いつわ)りもなかった。



 遊牧民達の宿営地はオパルス湖から北西に上がったところにあった。(おそ)らくあの発火矢がなかったら、彼らと接触することは不可能だったろう。発火矢を見たときには、ニ、三時間もあれば辿(たど)り着くと思われていた宿営地まで、結局二人は馬に昼夜乗り続けて、丸一日かかったのだ。

 ナターシは距離感もだが、このパスハリッツァ草原の様々な顔を知りつつあった。草しかない大地の広さも驚異(きょうい)(あたい)するが、それ以上に(わず)かに盛り上がった土や小高い丘陵(きゅうりょう)を草や潅木(かんぼく)で覆うことによって、大地はどこまでも平坦に見えるようになっていた。遊牧民の天幕や羊の群れは外から来た人間にはおいそれと見つけられないに違いない。彼らが発火矢を使う理由が、ナターシにもようやく理解できたのだ。

 宿営地には、少なくとも三十人の遊牧民が集まって暮らしていた。複数の家族が同時に移動するのは、昔からの(なら)わしらしい。移動用円蓋天幕(ホロ)は二人ほどしか入れそうにない小さなものから、十人程度まで入れそうな大きなものまで複数が一定の距離を開けて張られていた。

 ナターシは着いて早々に、アンブロシアーナと離され、一人、与えられた小さな天幕で横になっていた。しかし眠ってはいなかった。確かに疲労は限界にまで達していたが、アンブロシアーナが家族と会えたことを思うと、興奮(こうふん)して眠れなかったのだ。

 温かい布団(ふとん)の中で、ナターシは眸を閉じたまま考えていた。アンブロシアーナと家族の再会は、思っていたより淡々としていた。ナターシはついさっきの彼女を思い出すと、眉間(みけん)を寄せた。

 ――抱き合うでもなく、お互い変な顔をしていたけど、家族との再会ってあんなものなのかしら?

 アンブロシアーナは抱き合うつもりだったはずだ。だが、家族は立ち(すく)んでいた。特に父親のウラキの顔は(かた)強張(こわば)り、母親のサジスは不安そうに微笑んでいた。兄とその妻の若い二人、そしてアンブロシアーナよりも年下の真っ赤な頬をした妹らしき少女。全員が黙って突っ立っていた。

 ウラキがやがてアンブロシアーナを家族用の天幕に誘い、ナターシはサジスに連れられてこの天幕に入れられた。

 ――喜んでいるようには見えなかったわ。

 なんだかナターシは胸がざわざわしていた。アンブロシアーナは大丈夫なのだろうか。ふとそんな思いに()られ、ナターシは布団から起き上がった。

「様子を見に行くだけならいいわよね」

 そのとき、天幕の入口の厚い布が押し開けられた。

「ジャサス・・・・・・」

 入って来たアンブロシアーナを見て呟くと、彼女の方も驚いたように言った。

「寝てなかったの?」

 赤茶色の薄い上衣(チュニック)を頭から被って、アンブロシアーナが着替えているのを、ナターシは何気なく見ていた。そして言うべきか言わずにおくべきか、迷っていた。アンブロシアーナの家族は、彼女が来たことを喜んでいるようには見えなかった。しかし、それを訊くまでもなく、アンブロシアーナは、ナターシの隣りの布団に座って話し始めた。

「みんな元気そうでよかったわ。ウラキには、久しぶりに怒られたけど・・・・・・。少女神は主に(とつ)いだ娘なのに、出戻ってくるヤツがいるかって」

「他の・・・・・・人達は?」(おそ)る恐るナターシが訊ねる。

「サジスは、困ってる。死んだも同然の娘がいきなり帰って来たんだもの、当然よね」

 ナターシはアンブロシアーナが自分の両親のことを、名前で呼び捨てにすることに違和感を感じたが黙っていた。

「それにお兄さんとお義姉(ねえ)さんはウラキが険悪な雰囲気(ふんいき)だから、さっさと自分達の天幕に行ってしまったし、四つ下の妹は・・・・・・」アンブロシアーナの言葉が途切れた。そして彼女は気を取り直すように言った。「もう寝ましょう。あたし達、ずっと休まず来たから疲れているはずよ。ね、ナターシ」

 そこにはこれ以上、詮索(せんさく)できない強い悲哀(ひあい)があった。

「ええ、おやすみ、ジャサス」ナターシはそれだけ言うと、布団に(もぐ)り込んだ。

「おやすみなさい」とアンブロシアーナが小さく答えるのが聞こえたが、ナターシはもう聞いていなかった。

 わかったことは一つだけだ。彼女はここへ帰るべきではなかったということ。彼女の望んだ再会は得られなかったのだ。ナターシはふと、フランチェサイズにいるバルメトラを思い出していた。

 ――バルメトラは家族じゃないけど、あたし達はわかりあえていた。

 ――ジャサスと家族の間には、妙な(へだ)たりがあるんだわ。

 ――血が繋がっているのに、どうしてなのかしら。

 時間や距離が家族を家族でなくしてしまったのかもしれない。そんなことを考えている間に、ナターシは眠りに引き込まれていった。


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