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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
151/287

          5


 ジグリットが目覚めても、今度は側にリネアはいなかった。ジグリットは(なぐ)られた頭を擦りながら、寝台(ベッド)ではなく、冷たい床の上で起き上がった。

「くそっ!」ジグリットは床に向かって自分の(おろ)かな失態を吐き捨てた。

 忌々(いまいま)しい足枷(あしかせ)がまた()められ、荒縄(あらなわ)で両足が繋がれていた。今度はそれだけでなく、手首にも同じような枷がつけられていた。芋虫(いもむし)のように()いずって、ジグリットは寝台に行き、その箱の角で荒縄を(こす)った。無駄(むだ)なことは最初から知っていた。前の荒縄も同じように切ろうと試みたのだが、縄には細い(はがね)の線条が混ぜてあって切れなかったのだ。

 どうして失敗したのか、考えるまでもなかった。確かに自分が莫迦(ばか)莫迦しいことをしたという自覚があった。ゲルシュタインの血の城がどんな所なのか、知りもしないで、安易に逃げられると考えていた自分に腹が立った。

 ゲルシュタイン帝国は軍事国家だ。他国に碑金属(レブロイド)を決して渡さず、自国で使い切っているほどに、彼らは武装している。そんな国に魔道具使い(マグトゥール)が一人もいないなんてことは有り得ないことだ。魔道具使いは、敵の位置を探ることができる。そういう魔道具があるからだ。ジグリットは、だから少女はあそこにいたのだと思っていた。

 白金(プラチナ)の髪の少女、あの子はアリッキーノの妹だ。それは確信だった。白い肌に髪の色、眸の色は違ったが、それでも(へび)の血族に違いない。しかもあの不気味な蜥蜴(とかげ)の人形・・・・・・。

 ジグリットは教書で、魔道具使いが最初に与えられる試練について読んだことがあった。人形を自在に動かすことができる。まるで(たましい)ある物のように。

 あの蜥蜴がそうだとジグリットは思っていた。アリッキーノの妹のノナが、魔道具使いの一人なら、これほどアリッキーノにとって心強いことはないだろう。

 ――だからアリッキーノは妹だけ殺さなかったのか。

 兄弟や父王を殺した男が、妹にだけ情けをかけるとは思えない。有益だから生かしているのだ。

「魔道具使いを(あざむ)いて、ここから逃げ出すことなんてできるのか・・・・・・」

 ジグリットは手枷の荒縄を擦り続けながら、絶望に()まれないよう、懸命に方法を探っていた。

 そんな独房に、リネアがやって来たのは、彼が逃亡を実行しようとしてから三日目のことだった。すぐにリネアがやって来て、また自分を(なじ)るのだろうと思っていたジグリットは、三日間一人でいられたことを感謝していたが、それもその日までだった。

「今日は特別にお客様がいるのよ」リネアは入るなりそう言った。

 しかし彼女の後からは誰も入ってこない。ジグリットは薄暗い独房に慣れた眸で、扉を見つめた。

「あなたが騒ぎ立てないように、最初に話をしたいの」

 彼女は寝台に腰かけているジグリットに近づき、(おび)えたように彼が寝台に両足を乗せると微笑んだ。リネアは狭い木箱でしかない寝台に上がり、ジグリットの横に座った。そしてジグリットの肩に優しく手を置いた。

「大丈夫よ、ジグリット。でもあなたには自分がどれほどのことをしたのか、身を(もっ)て理解してもらうしかないの。(つら)い選択だわ。わたくしもアリッキーノに言ったのよ。そこまですることないって」

 ジグリットは段々、嫌な予感がしてきて、自分の手枷をじっと見つめた。

「アリッキーノは、あなたを殺せって」

 やっぱり、とジグリットは溜め息を()らした。今まで生かしていたこと自体、おかしかったのだ。

「あなたが(きず)つけた従兵ラドニクは、アリッキーノのお気に入りなのよ。アリッキーノは憤慨(ふんがい)しているわ。あなたを殺して、屍体(したい)を広間で(さら)し者にしたいのね」

 ジグリットは独房にいても死んでいるのと同じことだと、ずっと考えていた。しかし今は、違った。本当にこれから殺されるかもしれないと思うと、恐ろしくて躰が震えた。リネアはその肩をまだ()でていた。

「大丈夫って言ったでしょう、ジグリット」

 彼女の猫撫で声は、ジグリットにとって、逆の効果でしかなかった。ジグリットはさらに悪寒(おかん)に誘われ、リネアの手を払い除けたかった。しかし手枷のせいで、それは無理だった。

「アリッキーノはね、あなたを殺せって言ったけど、わたしはそうしたくないの」

 リネアの言葉にジグリットが彼女をまっすぐ見返したのは、これが初めてだった。不思議そうなジグリットの(さび)色の眸に見()えられ、リネアは胸が(かす)かに痛んだ。なぜかわからないその痛みに彼女は嫌悪(けんお)を感じ、ジグリットから手を離すと腹立たしげに立ち上がった。

「いい、ジグリット。あなたはこれから二度と逃げないように、足を切られるのよ」リネアは一気に言い放った。「切った足は、アリッキーノに渡すわ。(ばつ)を与えた証拠としてね。そこまですれば、あの男もきっとあなたを生かしておくことを許してくれるわ」

 振り返ったリネアは、ジグリットがまだ真摯(しんし)な眼差しを自分に向けたままなのを知った。

「聞いているの!?」

「・・・聞いてるよ」

「だったら何か言ったらどうなの!?」

 ジグリットはなぜ彼女が怒ったのかわからなかったが、とにかく()かれた通りに答えた。

「足を切るって、本気なのか?」

冗談(じょうだん)でこんなこと言うわけないでしょう!」

「だったら、断る。そんなこと、ぼくに訊く必要ないだろう。結局、君がしたいようにするだけなんだ」

「先に教えてあげてるんじゃない」

「知りたくなかったね」

 リネアはカッとなって、ジグリットの(ほお)を引っ(ぱた)いた。小気味良い音がして、ジグリットはようやくリネアから顔を()らした。彼女は怒り心頭といった様子で、大股(おおまた)で扉へ歩いて行くと、すぐに医師と侍女に入ってくるよう(うなが)した。

 ジグリットは一言だけ、彼女に言った。

「それが譲歩(じょうほ)だとか、優しさだと思ってるなら、それは君の間違いだ。ぼくをチョザへ帰してくれ。それがタザリアの王女たる君のすべきことだ。たとえぼくが本物のジューヌでないとしても、今のタザリアにぼくは必要なはずだ」

 リネアは答えなかった。背を向けたまま、ジグリットの言葉を聞いていた。タザリアにジグリットが必要なように、彼女にも彼が必要だった。閉じ込めて、逃げないように足を切断するほどに。その(おも)いの名前を、リネアは考えなかった。それが恐ろしい答えになることを、すでに彼女は気づいていた。しかしそれすら、気づいていないふりをした。

了承(りょうしょう)は取ったわ。彼の足を切ってちょうだい」リネアは医師に言った。それは苦しみに満ちた声だった。

 医師が寄ってきたとき、ジグリットはかつてチョザの王宮で、無理やり魔道具を躰に埋め込まれたことを思い出した。自分の躰なのに、なぜ他人の思惑(おもわく)通りにならなければならないのか。

 医師はジグリットが抵抗することを予期していたのだろう。ジグリットが手枷のついた腕を振り回して、遠ざけようとすると、(かばん)から黒い革の(むち)を取り出して、彼の顔を(たた)いた。そして鞭の先を掴もうとするジグリットを何度も叩き、ジグリットの気力が()えるまで、それを続けた。

 だが、易々(やすやす)とジグリットも諦めるわけにいかなかった。ジグリットはぐったりと倒れ()したふりをして、医師が近寄ると、手枷で中年の男の額を思い切り(なぐ)った。額が切れ、血が(あふ)れ出した。

 医師の手伝いに入っていた侍女が悲鳴を上げ、アウラとリネアが野蛮(やばん)な二人の戦いを独房の隅から茫然(ぼうぜん)と見ていた。

 しかしジグリットにそれを気にしている余裕はなかった。扉へ逃げようとしたジグリットを、医師が眸に流れてきた血を(ぬぐ)いながら、捕まえて長い針のついた注射器を肩に()し込んだ。それでもジグリットは抵抗した。それも懸命に。

 しかし徐々に麻酔(ますい)の効果で、力が抜け、ジグリットは床に倒れた。

 本当は抵抗に意味などなかった。すでに手も足も枷に繋がれている。それに、今度逃げ出したところを、兵士に見つかったら、さすがのアリッキーノも自分を公開処刑にするだろう。それに比べたら・・・・・・死ぬことに比べたら、足なんか安いものだ。

 しかしそれと覚悟は別問題だった。あまりの(くや)しさと、自分を待つ恐怖にジグリットは(うめ)いた。

 医師によって麻酔を(ほどこ)されたジグリットに、リネアが近づき、そっと(ささや)いた。

「あなたが手にしている命も時間も、わたしが与えたものだということを忘れないでちょうだい」

 ジグリットは夢うつつにそれを聞いた。

「あなたは私の温情によって生かされているのよ」

 起きていようとする意志が(くだ)け、どんどん眠りに引き()り込まれて行く。やがてジグリットは、完全に躰の自由と意識を奪われた。


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