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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
148/287

3-1

          3


 チョザがゲルシュタインの統制下に置かれてから、どれだけの時が流れたのか、ジグリットは知らなかった。彼はまだ独房(どくぼう)にいた。白帝月(はくていづき)の帝都ナウゼン・バグラーは、昼間は暖かかったが、夜間になると(しも)が降りるほど寒かった。唯一取り替えてもらった寝台(ベッド)(わら)も、すでにしっとりと湿気(しっけ)(ふく)み、ジグリットは松明(たいまつ)さえない独房で、扉の下部から()れてくる廊下(ろうか)の明かりで一日を(はか)っていた。

 一方、謁見(えっけん)()では、ゲルシュタイン皇帝、アリッキーノが新たな領土の指揮(しき)権を部下に与え、民衆にゲルシュタインを受け()れるよう()し進めていた。タザリアの肥沃(ひよく)な大地と湖、それに働き者の民衆にアリッキーノは満足していた。だから許していたのだ。リネアの我儘(わがまま)を。

「一体、いつになったら、リネア様はタザリア王の処刑に同意して下さるんでしょう」

 ラドニクがそれを口にするのは、すでに何度目かだった。アリッキーノは不満そうな従兵に笑いかけた。

「いいじゃないか。アレの暇潰(ひまつぶ)しの玩具(おもちゃ)になっているようだからな」

 しかしラドニクは顔をしかめたままだった。

(いく)ら姉と弟の間柄(あいだがら)とはいえ、タザリア王はタザリア王ですよ。まだ生きていることが民衆に知られたら、暴動でも起きかねません」

 アリッキーノは玉座の肘掛(ひじか)けに腕を置き、頬杖(ほおづえ)をついた。

「ジューヌ・タザリアがどんな人物なのか、おまえも知っているだろう」彼は皮肉めいた笑みで言った。「弱者がおれの弊害(へいがい)になることはない。所詮(しょせん)は毒にも薬にもならん存在だ。しばらく放っておけ」

 アリッキーノの自信に満ちた態度に、ラドニクも渋々(しぶしぶ)(うなず)いた。もちろんラドニクも知っていた。わが主君なら殺そうと思えば、いつでも誰でもすぐに殺すことができるのだ。敵が敵だとわかってからでも、それは遅くはなかった。

 実際、ジグリットとアリッキーノは同じ血の城に暮らしていた。ナウゼン・バグラーの宮殿(きゅうでん)は、チョザの王宮とは違い、複数の城から成るものではなかった。血の城は一つで宮殿そのものなのだ。巨大で複雑に入り組んだ一つの城。そこには皇帝の座所もあれば、端女(はしため)の宿舎も、武器庫も、もちろん監獄(かんごく)もあった。

 ゲルシュタインの代々の皇帝にとって、監獄に閉じ込められた敵は、本当の脅威(きょうい)ではなかったのだ。彼らの脅威は常に身近にあって当然だからだ。現に、アリッキーノの兄弟も父王も身近な者に殺された。鎖蛇(くさりへび)の血族は、そうした中で作られたのだった。その皇帝であるアリッキーノが、独房にいるジグリットを(おそ)れることはまずなかった。



 そんなこととは(つゆ)知らず、ジグリットは独房の中で、他人の心配ばかりしていた。チョザがゲルシュタインに統合されたというのなら、そこにいた人々がどうなったのか、ジグリットは気がかりで(たま)らなかった。

 グーヴァーのように、みんなが殺されてしまったかもしれないと思うと、ジグリットの胸は(えぐ)られたように痛んだ。幾日(いくにち)もを、そんなことを思い悩んで過ごしているうちに、ジグリットはそれが自分のせいだと思い込むようになり、(ふさ)ぎ込み、リネアが独房を(おとず)れても、まともに相手すらできなくなっていた。

 リネアはほぼ毎日、ジグリットの(もと)を訪れていた。彼女は元気のなくなってきたジグリットを、わざと(なじ)ったり、血気づかせようとしたりしたが、何の意味もなかった。

 そんなある日、リネアは臭い(わら)寝台(ベッド)の上で、(ひざ)(かか)えて座り込んでいるジグリットに()()ねて声をかけた。

「ねぇ、ジグリット。最近、大人しすぎてつまらないわ。もっとキャンキャン()えたり、芸をして見せてくれなくては、生かしている意味がないでしょう」

 ジグリットは顔も上げずに低く答えた。

「だったら、殺せばいいだろ」

(いや)よ、そんなの。おまえが死にたいなら、絶対に殺さないわ」ふふっとリネアは微笑(びしょう)した。

 彼女はどうすれば彼の気を()くことができるか考えていた。そして言った。

遊戯(ゲーム)をしましょう。おまえが勝ったら、一時間だけその足枷(あしかせ)を外してあげる」

 ジグリットはいまだに()められたままの、木製の枷を見下ろした。それは確かに魅惑(みわく)的な申し出だった。枷と荒縄(あらなわ)のおかげで、ジグリットは両足が(つな)がれ、(はば)が五インチ(およそ12.7センチ)ほどしか開かなかったのだ。腕は自由だったが、何度(ため)しても、枷も縄も解くことができなかった。

 ジグリットはようやく頭を上げ、リネアの不遜(ふそん)な笑みを見返した。

「いいよ、どんな遊戯?」

 彼女は機嫌よく答えた。

「わたくしが蛇の子を身篭(みごも)っているかどうか、当ててみて」

 ジグリットは驚いて、眸を(みは)った。

「さあ、当ててみてよ」リネアが寝台に近づいてきた。

 ジグリットは後ずさり、冷たい漆喰壁(しっくいかべ)に背を押しつけた。

「何言ってるんだ!?」

「あら、わたしは蛇の女になったのよ。知らないわけじゃないでしょう。皇帝の妻だもの。その可能性はあるわ」

 彼女は湿(しめ)った(わら)片膝(かたひざ)を乗せてきた。ジグリットはさらに下がろうとしたが、それ以上は下がれなかった。ジグリットの背中は、壁に沿って上下に動いただけだった。それはまさしく、毒蛇の眼前にいるような気分だった。

「蛇がわたしに何をしたのか、考えてみたことある?」

 ジグリットの(くちびる)が震えているのを、リネアは間近で見て取った。そして楽しげにふふっと笑った。

「怖いの? 蛇がわたしに何をしたのか、考えるのが怖いのかしら? それとも、わたしが怖いのかしら?」

 ジグリットはこの状況に恐怖を感じていた。彼女が一体何を言っているのか、意味がわからない。何を言わせたいのか、何を望んでいるのか、わかるはずもなかった。

 リネアの左手がジグリットの顔の真横の壁に(たた)きつけるように置かれた。ジグリットは、彼女に()み殺されるのではないかと思ったが、リネアはもう片方の手で彼の腕を掴み、自分の(きぬ)腰布(こしぬの)に押し当てた。それは彼女の腹部だった。

「当ててみて」()れそうなほど顔を寄せて、リネアがにやりと笑って言った。

「わ、わからない・・・・・・。もうやめてくれ」

二者(にしゃ)択一(たくいつ)でしょう。簡単だわ。どっち?」

 リネアはリネアで、ジグリットが引き()った顔で自分を見つめているのが、可笑(おか)しくて(たま)らなかった。そしてそれをいい気味だと思っていた。

 ジグリットは首を振った。

「ち、違う、身篭ってない!」

 どちらでもよかった。早く彼女から解放されたくて、ジグリットはそう叫んだ。

 リネアはくすくす笑っていたが、ようやく彼の腕を離して、寝台から降りた。ジグリットは漆喰の壁に背中をつけたまま、ずるずるとへたり込んだ。

「当たりよ。ゲルシュタインって変わった国だわ。というより、あの男が変なんでしょうけど。自分の妻ですら信用できないんですもの」

 それはジグリットの耳に入っていなかった。それほどジグリットはリネアの態度が怖かったのだ。リネアは寝台でぐったりとうなだれているジグリットに近づいて、腰布の(ベルト)に隠していた短刀(ナイフ)を取り出し、彼の足枷の荒縄を切った。

「これでいいでしょう。約束は果たしたわ」

 リネアはおもしろいものを見れたことに満足して、独房を立ち去ろうとジグリットに背を向けた。そのときだった。ジグリットは俊敏(しゅんびん)に寝台の上に立ち上がり、リネアの首に後ろから手を回した。

「・・・クッ・・・・・・」リネアが苦しげな声を()らした。

 ジグリットは容赦(ようしゃ)しなかった。それは殺意のように、彼の心にずっと以前から、どす黒く染み込んだ(にく)しみだった。頭の奥が怒りで燃え上がり、全身の力を込めて首を掴んでいた。しかしリネアの力が抜け、彼女がだらりと崩折(くずお)れた瞬間、ジグリットは正常な意識を取り戻し、(あわ)てて手を離した。

 リネアはぱたりと床に倒れた。

「リネア・・・・・・!」

 ジグリットは彼女を殺すつもりなどなかった。それは一瞬、()き上がった怒りの発露(はつろ)に過ぎなかった。

「リネア、大丈夫か?」

 肩を掴んで起こそうとしたが、彼女は小さく睫毛(まつげ)を震わせただけだった。

 ――生きている。よかった・・・・・・。

 それと同時に、ジグリットはこの機会が何を(もたら)すのかを知り、急いでリネアの腰から短刀を奪い取り、扉へ向かった。

 ――逃げるんだ、ここから・・・・・・そしてチョザへ戻るんだ。

 ジグリットはいつもリネアがしているように、合図となっている拍子(リズム)を思い出しながら扉を叩いた。それは正しい合図だった。内側へと扉が開き始める。ジグリットは明るい松明(たいまつ)の光に眸を細めながら、アウラの顔が(のぞ)いたと同時に、彼女の首に短刀を押しつけた。

「声を出すな」(ささや)くような声にも関わらず、アウラは驚愕(きょうがく)で眸を見開き、唖然(あぜん)とした表情で急いで首を上下した。「(かぎ)を寄越せ」

 アウラから独房の鍵を受け取ると、ジグリットはアウラも室内へ引き()り入れた。

「リネア様っ!!」

 倒れているリネアを見て、アウラがうろたえながら()け寄った。

 ジグリットは二人を置いて独房を出た。廊下には誰もいない。両側を見渡したジグリットは、急いで独房の鍵を閉めた。

 ――これでしばらくは、二人とも出てこれない。

 ジグリットは鍵を廊下の窓から外へ向かって投げ捨てた。窓の外は宮殿の中庭のようだった。砂漠地帯とは思えないほど、豊かに木々が(しげ)っている。鍵はその青々とした葉の中に吸い込まれるように消えていった。

 しかしぼうっとそれを(なが)めているわけにもいかない。ジグリットは廊下を走り出した。

 ――チョザへ帰るんだ。

 それは途方(とほう)もない遠い道のりだとわかっていても、今のジグリットの心には、それだけしかなかった。その思いだけが、彼を走らせていた。


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