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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
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第八章 炎虐の誓い


          1


 (かわ)いた強風がジグリットの(ほお)(かす)めるようになったのは、ついこの数日のことだ。曠野(あらの)の少ない木々すらも、今は大地に根付いていなかった。(わず)かな草がところどころに生え、赤土に転がった石を時折、馬車が乗り上げる以外に、ジグリットを揺り動かすものはなかった。

 チョザからどれだけ離れたのか、もはやジグリットには想像すらつかなかった。彼が目覚めたとき、馬車は南に森を従え、それに沿うようにして走っていた。それがチョザのアンバー湖より流れるディタース川が、海へ行き着く前に分かれるもう一筋の川、カミース川に沿って生育している森であることをジグリットは知っていた。ムルムルの森はゲルシュタインの領土だ。彼は自分がどこへ連れて行かれるのかを、そのときに知った。

 ジグリットは、自分がかなり長い間、眠り続けていたらしいことに気づいた。ムルムルの森はチョザから遠く離れている。しかし眠っていたにしては、全身の疲労(ひろう)倦怠感(けんたいかん)(いちじる)しく、最初は起き上がることすらできなかった。それが魔道具ニグレットフランマ(黒き炎)を使ったことによる後遺症(こういしょう)であることを、ジグリットはまだ知らなかった。

 屋根もなく木製の荷台でしかない馬車には、ジグリット以外に、王宮から奪ってきたのだろう金品が入った麻袋(あさぶくろ)が積み上げられていた。御者(ぎょしゃ)は一人で、ジグリットと彼の間にその袋が積んであった。

 馬車はタザリアの馬よりも大分ゆっくりと走っていたが、飛び降りるには速すぎた。しかもジグリットは馬車の車輪が礫砂漠(れきさばく)の手頃に大きな石を踏むので、揺れて立ち上がることも()いずることもできなかった。

 眸を覚ましたその日のうちに、ジグリットは荷馬車しかないことに気がついた。他の騎兵(きへい)の姿はなく、振り返った御者がフツだったことに彼は驚愕(きょうがく)した。逃げ出せたのがフツだけだったのか、それとも自分だけ何らかの理由で連行されているのか、ジグリットにはわからなかった。

 とにかく野営するごとに、ジグリットは日にちを数えた。しかし意味はなかった。ここまで来たら、もう誰もジグリットを助けには来ないだろう。騎士団の騎士長グーヴァーが死に、近衛隊の隊長は腰抜けのグイマールだ。統制の取れない騎士と兵が何を()すかなど、ジグリットは考えたくもなかった。唯一、彼に希望を与えたのは冬将の騎士の存在だったが、彼一人で騎士団と近衛隊、それにその他の兵達をまとめることは不可能だ。

 ジグリットに疑念を(いだ)かせるものは、他にもあった。それは自分がまだ生きていることだった。ゲルシュタインがタザリアを手に入れるためには、ジグリットを殺す必要がある。自分が生きていることを、ジグリットはゲルシュタインに着くまでの、執行猶予(しっこうゆうよ)だと考えていた。

 それはフツも同じようで、彼は野営しているときにジグリットに近づくと、いつもゲルシュタインの拷問(ごうもん)方法や、ジグリットが行き着く先を好き勝手に想像して話した。

「アリッキーノは、おまえを必ず公開処刑にするだろう。おれはその日を待っていたんだ」

 フツの発言に、ジグリットは最初から無言で通した。彼とは口を()きたくもなかった。

 ジグリットは両足に(かせ)()められ、腕は後ろ手に、太い木切れを(はさ)んで()わえられていた。そんな状態だったので、ジグリットは与えられる食事を犬や猫のように、地面に顔をつけて食べなければならなかった。彼が(みじ)めな格好で食事をしていると、フツはそれを嘲笑(あざわら)ったが、すでに自負心(プライド)など考えることもできなかった。グーヴァーのことを思うと、ジグリットは苦痛で胸がいっぱいになり、何も考えられなかった。

 フツは彼が荷台の(かた)い板の上で丸まって眠るときも、邪魔(じゃま)するようにジグリットに話しかけた。もちろん、それは嫌がらせだった。ジグリットは耳に入る言葉を、聞いていないふりで通した。

「おまえがジューヌだと、おれは信じていない。今もな。だがおまえは、タザリアの王として処刑されるだろう。まぁ、いい。それでも、おまえの不浄(ふじょう)の血が()き散らされれば、おれは満足するだろう。ゲルシュタインの公開処刑は見物だぞ。四頭の馬がそれぞれ十字路でおまえの四肢(しし)を引っ張るんだ。そしてお粗末(そまつ)に熟しきった蕃茄(トマト)のように、おまえは裂ける」フツは耳障(みみざわ)りな野卑(げび)た笑い声を上げた。「その後は、千切れた躰を広場で見世物にする。(くぎ)で打ちつけてな」

 しかし、どんな無情な言葉でさえ、今のジグリットをそれ以上に(さいな)むことはできなかった。彼はすでに人形のように、ただそこに存在するだけのモノだった。心と躰からジグリットであるはずの何かが()け落ちていた。

 グーヴァーの死が、心に重く()し掛かっていた。それはエスタークで仲間を失ったときと同等、もしかすると、それ以上の悲しみだった。

 ジグリットはフツに逆らうことは一度もなかった。彼が腕の木切れを(つか)み、立たせようとすると、(あらが)うでもなく人形のように立った。腕を引かれると歩き、穀物(こくもつ)を差し出されると口に入れた。ジグリットが目覚めてから十日が過ぎると、やがてフツもジグリットに声をかけなくなった。荷台の上で、ジグリットは死んだように倒れて、ただ空ばかりを見上げた。

 馬は岩だらけの礫砂漠を走り続け、ジグリットは森が見えなくなって二日、その眸に帝都ナウゼン・バグラーの血()られた宮殿(きゅうでん)を見ることとなった。それは砂漠に咲く薔薇(ばら)のごとく、赤くおぞましい迫力(はくりょく)(そび)え建っていた。



 曠野(あらの)でジグリットを取り戻すことができなかったファン・ダルタとドリスティは、その夜、互いに人殺し以外の何者でもなかった。元々、冬将の騎士であるファン・ダルタは、これまでも何十人、何百人という敵を殺して生き延びてきたが、ドリスティは剣で人を殺すのは初めてだった。

 六人の兵に囲まれた冬将の騎士は、剣の間合いに入るすべての敵の(よろい)の接合部に短剣(ダガー)を突き立て、彼らの乗る馬を長剣(ちょうけん)で殺した。そして一旦(いったん)敵の碑金属(レブロイド)の剣を奪うと、今度はそれを振りかざし、次々と兵士を殺していった。あっという間の出来事だった。

 ドリスティは逃げようとした一人の兵を、ファン・ダルタが碑金属の剣を投げて寄越したおかげで、そいつを殺すはめになった。このとき、彼が冷静であったなら、逃げようとする人間まで殺すことはないと言っただろう。しかし、ドリスティは完全に錯乱(さくらん)状態だった。金切り声を上げて馬から落ちた兵士を、ドリスティはぶるぶる震えながら、碑金属の剣のひと()ぎで、首と胴に分断した。それは祝宴(しゅくえん)葡萄酒(ワイン)のように真紅(しんく)の液体を()き、ドリスティの正常な意識を粉砕(ふんさい)した。

 ファン・ダルタはすぐにでも、(さら)われた少年を救い出しに行きたかった。しかしフツが去ってから、随分(ずいぶん)時間が過ぎていた。その上、ドリスティは一人で馬に乗れないほどに、衝撃(ショック)を受けていた。彼には仲間の騎士をこの場に置き去りにすることも、ゲルシュタインの領土にまでジグリットを追って行くこともできなかった。なぜなら、彼は王宮へ戻らなければならないと知っていたからだ。グーヴァーが死んだ今、彼こそが騎士団の長だった。戻ってやらなければならないことがあった。そしてジグリットはそれを望むだろうと、彼は確信していた。


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