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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
145/287

5-2

 彼らはその瞬間まで、誰か追ってきた者がいることなど、知る(よし)もなかった。先導するフツも、その後ろを屋根付き馬車で行くリネアも、ジグリットを乗せた粗末(そまつ)な荷馬車も、何の気配も感じていなかった。

 フツがひゅううう、という妙な音に気づいた途端、後ろで馬が(いなな)いた。さらにどさっと人間が落ちる音。

「背中に矢が!」

敵襲(てきしゅう)だ!!」

 慌てた兵の叫びに、フツは舌打ちした。

(さわ)ぐな、周りを確認しろ!」

 彼は真後ろの馬車の側面に近寄り、止まらせずに走らせながら扉を開いた。

「リネア様、何者かが追ってきたようです。この馬車なら追いつかれることはないでしょう。このまま、先に帝都(ていと)へお戻り下さい。われわれはしつこい(はえ)を追い払います」

 リネアは真っ暗な曠野(あらの)の景色に鼻白(はなじろ)んだ様子で、追って来た何者かよりも、闇を(にら)みながら言った。

「だったらタザリア王をこの馬車に乗せなさい」

「それはいけません、リネア様」フツは即座に答えた。「彼は気絶しているだけです。いつ意識を取り戻すかわかりません。この馬車にはご婦人方しかいない。危険です」

「大丈夫よ、御者(ぎょしゃ)がいるでしょう」

「御者は人間ではなく、馬と同じです。何かあってもすぐには動けません」

 リネアはジグリットをタザリアへ返すつもりはなかった。なんとしてもナウゼン・バグラーへ連れて行くのだ。しかしフツの言うことも(もっと)もで、彼女はそれ以上反論したい気持ちを(おさ)えるしかなかった。

「いいわ、わたくしは先に帝都へ戻ります。必ず敵を()ち取って、タザリア王を連れて来るのよ」

「承知しております」

 フツが御者である騎士に合図を送ると、馬車は今までの砂漠の馬に合わせていた歩調を速めて、暗闇でも見えるほどの土煙(つちけむり)を上げながら去って行った。

 それと共に、二本目の矢が宙を飛んできた。フツは驚くほど正確に自分の頭頂部へ落下してきた矢を長剣(ちょうけん)を抜き、払い()けた。

「なかなかの腕前だ」その表情には、残忍(ざんにん)な笑みが浮かんでいた。

 すぐにゲルシュタインの兵達の前に、二頭の駿馬(しゅんめ)の姿が現れた。彼らは存在を隠そうともせず、三十ヤールほど間近まで来ると馬を止めた。

「ふん、冬将の騎士と。そっちの若いのか、さっき弓を射ったのは」

 フツは月がまた雲から現れ()で、彼らの(みじ)めな姿を(さら)すのを、高笑いしたい気分で見つめた。冬将の騎士ファン・ダルタは、"タザリアの黒き(おおかみ)"の呼称通り()えた(けもの)のような暗い眸をしていた。そして長弓(ちょうきゅう)(たずさ)えた白い外套(コート)の騎士は、その脇で臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれたのか、不安そうに眉をひそめている。

 ファン・ダルタは馬上でゆっくりと剣を抜いた。眸だけはフツとその背後にいる十人近い兵に向けたまま、彼は兵のすべてが砂漠の鈍間(のろま)駄馬(だば)に乗っていることを知り、さらに一人の兵が屋根のない二頭立ての荷馬車の御者をしていることに気づいた。ジグリットがいるとすれば、そこしかない。だが、もう一台あるはずの馬車がなかった。それにはゲルシュタインに(とつ)いだリネア皇妃(こうひ)が乗っていたはずだった。

 ドリスティはファン・ダルタが剣を抜くのを真似(まね)て、急いで自分も剣帯を探った。しかしドリスティは剣の腕にまったく自信がなかった。

「ドリスティ」ファン・ダルタが言った。「おまえはここから援護(えんご)してくれ」

「で、でも・・・・・・」

 敵は見る限り、十人ほどいる。みんなそれなりに腕が立ちそうだ。冬将の騎士はゲルシュタインがタザリアを()とすのに、技量のない兵を派遣(はけん)するとは思えなかった。

「悪いが、おまえを(かば)って戦ってる(ひま)はない」

 冷淡な騎士の言葉に、ドリスティは剣の丸い(つか)(にぎ)るのをやめた。誰だって死にたくはない。

「わかったわ、ここからできるだけ援護する」

 二人が決断したちょうどそのとき、フツは自分の剣を抜きながら、背後の兵に命じた。

()け! ヤツを殺すんだ!」振り上げた剣先が青白く光った。そして十人ばかりの馬と人間が一体となり、押し寄せてくる。

 ファン・ダルタは彼らの(まと)う金属光沢(こうたく)に眸を(すが)めた。

碑金属(レブロイド)か」

 騎士の長剣はタザリア産の鍛造(たんぞう)された(はがね)だった。鉄では碑金属に勝てないことを、彼は経験して知っていた。

「頼む、ドリスティ。やつらの顔面を(ねら)うんだ。馬でもいい。あの金属には弩弓(いしゆみ)すら()かないぞ」

「わかったわ」

 栗毛(くりげ)駿馬(しゅんめ)がファン・ダルタの腰の下でぶるっと身震いした。(こわ)がる馬を騎士は長靴(ブーツ)の鋭い(かかと)()ることで血気づかせ、走り出させた。もはや敵は巨大な青白い波となって、(おそ)いかかってきていた。

 第一陣の二頭の馬が体当たりをするように、ファン・ダルタの馬の両脇に鼻面(はなづら)を突き込んだ。タザリアの炎帝騎士団の騎士でも、これほど素早く敵を(はさ)()ちすることは不可能だろう。

 冬将の騎士は二頭の馬の首が自分の横を通り過ぎるのを風で感じ、すぐに右手の剣を振り上げた。左手の敵に対し、彼の使える武器は一つしかなかった。それでも右で骨を(くだ)く音が、そして左に馬の腹の肉が裂ける音が同時に聞こえた。

 右の馬が(あご)に大穴を開け絶命した人間を乗せたまま、後方へと去って行く。騎士は左にだけ眸を向け、なんとかまだ立っている馬と、その上で(いき)り立っている兵士を見た。冬将の騎士の左足の長靴の裏からどす黒い血が(したた)っていた。馬の脇腹を鉄鋲(スパイク)のついた長靴で引き裂いたのだ。

 ドリスティが背後から放った、ひゅっという宙を()ける矢の音と共に、第二波が前方から(せま)っていた。背後からは、仕留め(そこ)ねた一頭が反転して近づいて来る。

 ――囲まれると厄介(やっかい)だ。

 しかし背後の兵に気を回す暇はなかった。冬将の騎士は頭上を過ぎる長弓の矢を、三人の兵が剣で振り払いながら向かってくるのに、全神経を集中させた。

 三頭のうち、一頭だけが足を(ゆる)め、彼らは瞬時に楔形(くさびがた)陣形(じんけい)を取った。

 ――よく訓練されている。

 ファン・ダルタはふっと笑った。本人はそのつもりもなかったろうが、その不気味な笑みは、兵士達の意気に影響した。中央奥の一頭が飛んできた矢を()退()けるのに、(わず)かに遅れて顔面に矢尻(やじり)が完全に()まった。(ほお)の矢を抜こうともがく人間を乗せた馬は、北へと向きを変え、曠野の闇へと首を振り立てながら消えて行った。ファン・ダルタはそれでも(ひる)まず再び挟み撃ちで来た二頭を、今度は強引に手綱(たづな)をさばいて、右の一頭と正面からぶつけた。

 栗毛の駿馬(しゅんめ)が華麗な敏捷(びんしょう)さで、左へ避ける。しかし砂漠の駄馬はその場で急激に立ち止まり、前足を高く上げると、悲鳴のような(いなな)きと共に乗り手を振り落とした。

 間を置かずに、左手と背後から同時に剣を広げて二人の兵が()め入る。すでに第三波が自分の方へ向かっているのが、騎士にも見えていた。ドリスティの援護はひっきりなしに続いていたが、それは彼らの足を止める脅威(きょうい)にはなっていなかった。ファン・ダルタは言葉にならない咆哮(ほうこう)を上げると、さらに馬を速め、並んで向かい来る四頭の馬と堅固(けんご)碑金属(レブロイド)の波へと(おど)()った。

 四人の兵はすぐに騎士を包囲しようと集まり、背後から二頭が加わると、それは逆巻く(うず)のごとくドリスティには見えた。彼は離れた場所から、まだ矢をしきりに放っていた。背中の矢筒(やづつ)はすでに背負っていないような軽さで、矢束は尽きかけていた。最後の一本を射れば、後は彼もそのとぐろを巻いた集合体へと飛び込まなくてはならなかった。ドリスティはここで自分が死ぬのだと、そのとき初めて確信した。すでに冬将の騎士は渦の中で死んでいるのかもしれない。次は自分の番だろう。

 その絶望を(いだ)きつつ、ドリスティは渦のさらに向こう側で、過去にタザリアで近衛隊の隊長として働いていたフツが、荷馬車だけを先に出発させるのを見た。彼は背に腕を回し矢を取ると、弓につがえた。それが最後の一本だった。

 荷馬車の御者になった兵士が、手綱を(むち)のように馬体へ振り下ろす。ドリスティは百ヤールは先にいる兵士に向かって矢を射った。それは月の僅かな光で狙った渾身(こんしん)一矢(いっし)だった。兵士は碑金属の(よろい)(おお)われていた。しかしドリスティの矢は、彼の小さな盲点(もうてん)を見事に(つらぬ)いた。それは鎧と(かぶと)の間の二インチにも満たない首筋という(まと)だった。

 フツは大きく舌打ちし、死んだ兵を馬車から引き()り下ろした。傭兵(ようへい)は目的が何なのか、それだけは忘れていなかった。冬将の騎士の首は確かに価値がある。しかし、狼を殺すことより、今はやるべきことがあった。彼は馬を降り、(みずか)ら荷馬車の御者台(ぎょしゃだい)(のぼ)った。そして二頭の馬へ合図をすると、西へと走り出した。

 ドリスティはフツを追うべきか、それとも冬将の騎士のいる渦へと向かうべきか、一瞬迷った。彼は手にしていた長弓を地面に捨て、剣を抜いた。タザリア王はすぐに殺されることはないだろう。彼は敵の(たか)った死地へと向かった。


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