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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
144/287

5-1

          5


 どこまでも広がる沼の底のように暗く青黒い曠野(あらの)の中を、二人の騎士は走っていた。鮮烈(せんれつ)な光を放つ白色の月は雲の合間を出たり隠れたりを繰り返し、月光が途絶(とだ)えると、眸を(つぶ)った果てのない(やみ)を方向もわからず走っているのと同じだった。

 ファン・ダルタは漆黒(しっこく)の中に溶け込んでいた。彼の黒髪も黒貂(くろてん)外衣(マント)もその夜の空気に擬態(ぎたい)した獣のようだった。逆にドリスティは月が見えないときは仄白(ほのじろ)く、月光の下では(まよ)い込んだ一匹の(ほたる)のように輝いていた。それは彼の着ている(たけ)の長い外套(コート)が雪のように白かったからで、ドリスティの金髪(ブロンド)も、彼の手袋も、同様に白く(きら)めいていた。

 二人の毛色の違う騎士達は駿馬(しゅんめ)がまもなく、牛に似た砂漠の駄馬(だば)に追いつくことを知っていた。しかし追いついた後のことを、ドリスティは懸念(けねん)していた。彼は背に長弓(ちょうきゅう)を背負っていたが、こう暗くては間違ってジューヌに当たるかもしれず、目標通りに射る自信がなかった。さらに彼らが乗って来た馬は、二頭とも(あぶみ)(くら)もついておらず、馬上から弓を射るには躰の固定が必要だが、それは望めなかった。

 しかしファン・ダルタは、そんな危惧(きぐ)すら(いだ)いていなかった。彼にあるのはジグリットを取り戻すこと。それ以外は死と等価値だった。追いついたらその場にいる敵を殲滅(せんめつ)し、ジグリットを生きたまま奪還(だっかん)する。彼の思考はそこで止まっていた。その方法など、どうにでもなることだった。

 二頭の馬は闇夜を走ることに慣れておらず、時折二人の距離はかなり離れた。そのとき、曠野の黒い潅木(かんぼく)と見(まが)うほど小さな点が、妙な動きを見せているのにファン・ダルタが気づいた。彼は馬をドリスティへと寄せ、彼の脇腹(わきばら)を剣の(つか)()いた。ドリスティが驚いて身じろぐと、ファン・ダルタは彼の馬の手綱(たづな)(うば)い取った。

「いいからドリスティ、弓を構えろ!」

 射手である騎士は耳を疑った。

「なんですって!?」

「弓を構えろと言ったんだ!」

 ドリスティはファン・ダルタの言っている意味が把握(はあく)できず、自分の馬の手綱が手にないことに不安を覚えた。いまや彼を馬体に(しば)りつけているのは両足の力のみだった。

莫迦(ばか)なこと言わないで! こんな暗くちゃ、誰に当たるかわからないわ!」

「俺が指示する。いいから構えろ! やつらはまだ気づいていない」

 二頭の馬は寄り()って走るのが窮屈(きゅうくつ)で、互いに離れようとしたが、ファン・ダルタは許さなかった。彼は二頭の手綱を片手で持ち、ドリスティの背中の弓を引っ張った。

「やめてッ、こんなところで無茶しないで! 落ちる! 落ちるからッ!!」

 ドリスティは馬から降りたかった。彼の華奢(きゃしゃ)な躰は疾走(しっそう)する馬上でぽんぽん()ね上がり、背中に(くく)りつけた長弓を騎士にぐいぐい引っ張られると、躰が彼の方へ(かたむ)くのがわかり、恐怖に青褪(あおざ)めた。

「本当に落ちるッ!」

「だったら早くしろ!」

 ファン・ダルタは冷徹(れいてつ)な態度で、ドリスティの弓を括りつけていた(ひも)を、右腰に(たずさ)えていた短剣(ダガー)で切った。ドリスティは自分の身長ほどもある長弓を渡され、震える手でそれを胸の前に立てた。

「いいか、おれが馬を支える。おまえは足でしっかりこいつの躰を(はさ)んでろ!」

 そんなことで本当に大丈夫なのか、ドリスティにはわからなかった。彼の脳は、これが命の危機だと告げていた。しかし反対することはできなかった。隣りにいる騎士の闇を写し取ったかのような黒い眸が、彼にさっさとそうしなければ、数分も生き延びる機会を与えないぞと悪辣(あくらつ)にぎらついていた。

「わかった、やるから。やるからちょっと待って」

 ドリスティは同じく背に括りつけていた矢筒(やづつ)から、ファン・ダルタに一本の矢を取ってもらい、息を整えた。

「本当に見えているの?」

 ドリスティが見る限り、この闇夜の曠野に敵の姿はないように思えた。何一つ動くものはなく、黒い岩のような潅木(かんぼく)が点在しているだけだ。

「いいから構えろ」騎士の声は落ち着いていた。

 長弓の本体を躰で押し出し、ドリスティは弓を引き(しぼ)った。不安定な馬上で弓を射るにはコツがいる。自分が(ねら)う場所がどこなのか、彼にはまだわからなかった。

「ねぇ、何に向かって射ればいいの?」

 漆黒の騎士は弓をつがえるドリスティの指先を(わず)かに補正した。

精一杯(せいいっぱい)遠くに飛ばせ。このまままっすぐだ」

 眸の前に広がる暗黒の空洞(くうどう)に向かって、ドリスティは息を止め放った。それは闇を切り裂く鋭い音を立てて、空へ飛び上がり、やがて放物線を(えが)いて落下した。


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