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どこまでも広がる沼の底のように暗く青黒い曠野の中を、二人の騎士は走っていた。鮮烈な光を放つ白色の月は雲の合間を出たり隠れたりを繰り返し、月光が途絶えると、眸を瞑った果てのない闇を方向もわからず走っているのと同じだった。
ファン・ダルタは漆黒の中に溶け込んでいた。彼の黒髪も黒貂の外衣もその夜の空気に擬態した獣のようだった。逆にドリスティは月が見えないときは仄白く、月光の下では迷い込んだ一匹の蛍のように輝いていた。それは彼の着ている丈の長い外套が雪のように白かったからで、ドリスティの金髪も、彼の手袋も、同様に白く煌めいていた。
二人の毛色の違う騎士達は駿馬がまもなく、牛に似た砂漠の駄馬に追いつくことを知っていた。しかし追いついた後のことを、ドリスティは懸念していた。彼は背に長弓を背負っていたが、こう暗くては間違ってジューヌに当たるかもしれず、目標通りに射る自信がなかった。さらに彼らが乗って来た馬は、二頭とも鐙も鞍もついておらず、馬上から弓を射るには躰の固定が必要だが、それは望めなかった。
しかしファン・ダルタは、そんな危惧すら抱いていなかった。彼にあるのはジグリットを取り戻すこと。それ以外は死と等価値だった。追いついたらその場にいる敵を殲滅し、ジグリットを生きたまま奪還する。彼の思考はそこで止まっていた。その方法など、どうにでもなることだった。
二頭の馬は闇夜を走ることに慣れておらず、時折二人の距離はかなり離れた。そのとき、曠野の黒い潅木と見紛うほど小さな点が、妙な動きを見せているのにファン・ダルタが気づいた。彼は馬をドリスティへと寄せ、彼の脇腹を剣の柄で突いた。ドリスティが驚いて身じろぐと、ファン・ダルタは彼の馬の手綱を奪い取った。
「いいからドリスティ、弓を構えろ!」
射手である騎士は耳を疑った。
「なんですって!?」
「弓を構えろと言ったんだ!」
ドリスティはファン・ダルタの言っている意味が把握できず、自分の馬の手綱が手にないことに不安を覚えた。いまや彼を馬体に縛りつけているのは両足の力のみだった。
「莫迦なこと言わないで! こんな暗くちゃ、誰に当たるかわからないわ!」
「俺が指示する。いいから構えろ! やつらはまだ気づいていない」
二頭の馬は寄り添って走るのが窮屈で、互いに離れようとしたが、ファン・ダルタは許さなかった。彼は二頭の手綱を片手で持ち、ドリスティの背中の弓を引っ張った。
「やめてッ、こんなところで無茶しないで! 落ちる! 落ちるからッ!!」
ドリスティは馬から降りたかった。彼の華奢な躰は疾走する馬上でぽんぽん跳ね上がり、背中に括りつけた長弓を騎士にぐいぐい引っ張られると、躰が彼の方へ傾くのがわかり、恐怖に青褪めた。
「本当に落ちるッ!」
「だったら早くしろ!」
ファン・ダルタは冷徹な態度で、ドリスティの弓を括りつけていた紐を、右腰に携えていた短剣で切った。ドリスティは自分の身長ほどもある長弓を渡され、震える手でそれを胸の前に立てた。
「いいか、おれが馬を支える。おまえは足でしっかりこいつの躰を挟んでろ!」
そんなことで本当に大丈夫なのか、ドリスティにはわからなかった。彼の脳は、これが命の危機だと告げていた。しかし反対することはできなかった。隣りにいる騎士の闇を写し取ったかのような黒い眸が、彼にさっさとそうしなければ、数分も生き延びる機会を与えないぞと悪辣にぎらついていた。
「わかった、やるから。やるからちょっと待って」
ドリスティは同じく背に括りつけていた矢筒から、ファン・ダルタに一本の矢を取ってもらい、息を整えた。
「本当に見えているの?」
ドリスティが見る限り、この闇夜の曠野に敵の姿はないように思えた。何一つ動くものはなく、黒い岩のような潅木が点在しているだけだ。
「いいから構えろ」騎士の声は落ち着いていた。
長弓の本体を躰で押し出し、ドリスティは弓を引き絞った。不安定な馬上で弓を射るにはコツがいる。自分が狙う場所がどこなのか、彼にはまだわからなかった。
「ねぇ、何に向かって射ればいいの?」
漆黒の騎士は弓をつがえるドリスティの指先を僅かに補正した。
「精一杯遠くに飛ばせ。このまままっすぐだ」
眸の前に広がる暗黒の空洞に向かって、ドリスティは息を止め放った。それは闇を切り裂く鋭い音を立てて、空へ飛び上がり、やがて放物線を描いて落下した。