表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
137/287

          3


 紫暁月(しぎょうづき)59日。ジグリットはゲルシュタイン帝国のアリッキーノ一世王と、タザリア王国王女リネアとの婚礼の儀に(のぞ)んだ。ジグリットは王宮の礼拝堂の中で、少女神(コレツェオス)の像を前に(むらさき)外衣(マント)(まと)い、タザリア王として祝辞を述べた。しかし胸の内は複雑だった。自分の心に(うず)巻く感情に、彼は苛立(いらだ)った。ジグリットはリネアに対する今までの嫌悪感(けんおかん)以上に、アリッキーノの底知れない不気味さを畏怖(いふ)していた。

 純白の衣装(いしょう)に身を包んだ王女と、黒の軍服を着たゲルシュタイン王は、互いに派手に着飾るのが嫌だったらしく、それは同じ仕立屋が見繕(みつくろ)ったかのように、ぴったりと調和していた。白金(プラチナ)の髪と薄墨(うすずみ)色の眸をしたアリッキーノが黒を着ると、より一層、彼自身の白さが目立ち、リネアよりもアリッキーノの方が(けが)れない神の()使いのようだった。

 二人は前日に申し合わせた通り、寸分の狂いもなく儀式を()り行った。リネアの(さび)色の髪は小冠(ティアラ)についた様々な宝石よりも、琥珀(こはく)色に(あざ)やかに輝き、隣りのゲルシュタイン皇帝と並ぶと、出席者は二人の美しさに思わず溜め息を()らすほどだった。

 式が終わり、夕陽に照らされた礼拝堂を出たリネアとアリッキーノは、誰よりも早くアイギオン城へ戻った。彼らは二人きりだった。

「今日の君の美しい姿を、妹に見せられないのは残念だな」

 王宮に来たときから与えられている、アリッキーノの居室に入ると彼が言った。そこは続き部屋で、奥の扉の先に寝所(しんじょ)があった。リネアはそちらを見ずに、純白の衣装の(すそ)を持ち上げ、手近な椅子に腰かけた。

「そう言えば妹が一人、生き残っていたのよね」

 彼女の大胆(だいたん)嫌味(いやみ)に、アリッキーノは声を上げて笑った。

「ハッ、なるほど。おれのお姫様は、本当におれが兄弟達を殺したと思っているらしい」

「違うの? とてもそうは思えないけど」

 アリッキーノも長椅子(ソファ)の一つに腰かけた。彼は首を()めていた白い帯を外して、笑うのを()めた。冷淡な(へび)の眸になり、彼はリネアを見()えた。

「質問なら、答えよう。おれは愛妻にまだ嫌われたくはないからな。だが代わりに一つ、質問させてくれ」

「何かしら?」リネアも錆色の輝きを増すほどの炎を宿して、男を見返した。

「なぜおれと結婚した?」

「あなたが美形だからよ」

 アリッキーノは(まゆ)一つ動かさなかった。

「あなたこそ、なぜわたしと結婚したの?」今度はリネアが()く番だった。

「タザリアが肥沃(ひよく)な土地だからだ」

 それは確かに真実を突いているようにも思えたが、リネアは(だま)されなかった。それは答えになっていなかった。

「タザリアを自分のものにするつもりってことかしら?」

 アリッキーノは立ち上がり、部屋の(すみ)に置いてあった(ふた)つきの陶器(とうき)の箱を手に取った。

「今のところ、その気はない。おれが(おそ)いたい国は、まだ(いく)つも残っている」彼は言って、蓋を取った。

 リネアが見ている前で、アリッキーノは箱からドローンの躰を鷲掴(わしづか)んで引き出した。その鎖蛇(くさりへび)は、女よりも(みだ)らに躰をくねらせて、男の手で愛撫(あいぶ)されるのを待っていた。アリッキーノは一度だけそれに(こた)え、蛇の頭を()でた後、ドローンをリネアの方へ放り投げた。

 蛇はリネアの手の届く位置に落ちた。彼女は動かなかった。確かに毒蛇は恐ろしかったが、アリッキーノが初日に妻を殺すとは思えなかったからだ。しかもここはタザリアだ。

 ドローンは首を持ち上げ、その場で初めて見る女を検分している。それはリネアには一時間にも二時間にも思えるほど長い時間だった。実際には数分も、蛇はその場にいなかっただろう。ドローンは興味を失ったように、のろのろと躰を左右に振りながら、アリッキーノの方へ戻って行った。

「怖くないのか?」男がおもしろそうに(たず)ねた。

「怖かったわ」

「それにしては、叫びもしなかった」

 リネアは恐れが退()くと、怒気で(はらわた)(にえ)え繰り返りそうになっていた。彼女は(けわ)しい眸つきで、アリッキーノを(にら)んだ。

「一度だけ言っておいてあげる」彼女は立ち上がり、アリッキーノが蛇を箱に戻して、また部屋の隅に置くと近づいた。そして男を見上げて(なぐ)りつけるような眼差しのまま言った。「炎は蛇を恐れない。あなたが兄弟を殺しても、父王を殺しても、わたしを殺すことは絶対にできないわよ。わたしは黒き炎の血を持つ女。おまえごとき蛇に、炎を消すことはできない」

 アリッキーノは彼女を見下ろし、薄笑(うすわら)いを浮かべた。「おれの(きさき)にふさわしい女だ。蛇を恐れる女に価値はない」そしていまだに怒り心頭といった様子のリネアの前に(ひざまず)いた。「おれはでき得る限り、君に敬意を表しよう。その激昂(げきこう)した姿が、君を一段と美しく輝かせるが、それでも極力、君にそういう顔をさせないように努力しよう。済まなかった、我が姫君。(おど)かしたことを(ゆる)してくれるか?」

 アリッキーノがそっとリネアの手を取り、(こう)にくちづけた。リネアはその冷たい感触に、払い()けたい気分だったが、甘んじて受け容れた。

「いいわ、初日から仲違(なかたが)いしたくはないもの」

 それは本心ではなかった。リネアは今すぐに、この薄気味悪い蛇の臭いが染み付いた部屋から出て行って、自分のソレシ城の居室へ()け込みたかった。

 だがすでに、この王宮は彼女の手を離れてしまっていた。リネアはアリッキーノの妻となったのだ。明日になれば、半月かけてゲルシュタインの帝都ナウゼン・バグラーへ旅立たなければならない。

「最初の質問だが」アリッキーノが立ち上がりながら言った。「おれは不必要なものを始末しただけだ。おれにとって、無用なものを」

 それが彼の兄弟と父親を指すことは、言われなくてもわかった。リネアは嫌悪を(いだ)きながら、日々この男と過ごすのかと思うと、しばらくは作り笑いの練習をしなければならないと(さと)った。

 窓の鎧戸(よろいど)は閉められ、部屋は薄暗かった。松明(たいまつ)の火が壁際に幾つか並んでいたが、それはいつ消えてもおかしくないほど、熾火(おきび)のように(くすぶ)っていた。糸杉(いとすぎ)円卓(テーブル)の上には、水と果実酒(かじつしゅ)、それに麺麭(パン)乾酪(チーズ)といった軽い食事が一式置いてあった。しかしリネアもアリッキーノも手をつけなかった。

 無意識に続き部屋の方を眸にしたリネアに、アリッキーノは彼女の肩を押すようにして、そちらへ連れて行き、扉を開いた。寝所はさらに暗く、中央に置かれた天蓋(てんがい)付きの寝台(ベッド)(わき)だけが、ぼうっと明るかった。アリッキーノの手に押されて部屋に入ったリネアは、それが角灯(ランプ)の火だと気づいた。その直後だった。

 アリッキーノは強引にリネアの(うで)を引き寄せ、()みつくように彼女の(くちびる)(うば)った。押しつけられた唇は、いだことのない薬の臭いがして、リネアは閉じた眸を開いた。そこには灰色の眸をした白い蛇が自分を()い殺さんと(のぞ)き込んでいた。

「おまえは熱いな」唇を離し、アリッキーノが言った。

「あなたは冷たいわ」

 リネアは血の通っていない死者とのくちづけのようだと思った。何の感慨(かんがい)もない、ただの石像との接吻(せっぷん)だ。ただそれと違うのは、唇が相手の唾液(だえき)()れたことだった。彼女は肉が()げ落ちるまで、自分の唇を(こす)りたかったが我慢(がまん)した。

「おれは蛇だからな」アリッキーノは上衣(シャツ)を脱ぎ捨て、砂漠の民とは思えぬ白い肌を露出(ろしゅつ)した。「悪いがおれはしばらく寝る。少し疲れた。一緒に寝たいなら寝てもいいが、おれが夢うつつにおまえを殺すかもしれないから、別室にいた方が安全だぞ」

 リネアは驚いて問いかけた。「わたしとするんじゃないの?」

 それに対する男の言葉は、彼女に吐き気を(もよお)させた。

「おれは性交と殺しを同時にするのが好きだ。死んでもいいなら、抱いてやろう」

「・・・結構よ」

「だろうな。どちらにしろ、おれ達にはまだ信頼関係がない。同じ寝台に入るには、信用か死が必要だ。おまえだって、敵と寝るのは怖いだろう」

 感謝しろとでも言いたげな傲慢(ごうまん)な態度だったが、リネアは答えることができなかった。男が言うように、彼女は(おび)えていた。アリッキーノが自分を抱くつもりもないのに、寝室へ連れて来たのは、怖がる様を見たかっただけなのだと気付き、リネアはさらに男に対する嫌悪を深めた。

 アリッキーノが寝台に上がるのを見ず、リネアは隣りの部屋へと戻った。長椅子(ソファ)にかけると、彼女は(くや)しいのか情けないのか、そのどちらでもあるのか、とにかく泣きたくなって唇を噛み締めた。彼女は同じアイギオン城のどこかにいる一人の少年のことを思った。

 ――わたしがどんな目に()っているのか、ジグリットが知ればいいのに。

 ――今この瞬間、あの子が微笑(ほほえ)んでいるのなら、どんな方法を使っても今日という日を後悔(こうかい)させてやる。

 リネアの内に(ひそ)憤怒(ふんぬ)は、夜になり空が白む朝方まで彼女を眠らせなかった。やがて疲れて長椅子で眠ってしまうと、目覚めたときには昼前で、彼女は寝台に横になっていた。

 代わりに自分がいたはずの部屋から、ぼそぼそと何度かアリッキーノの低く冷静な声が聞こえた。帰還の準備を指示しているのだろう。男が自分を寝室に運んだとは、とても思えなかった。彼の従者にさせたのだろう。

 リネアはうとうとしながら、(にぶ)った頭で思った。働き者の蛇なら、それはそれで悪くない。気に食わない蛇でも、あの男が手にしているすべてが、今はわたしの手にもあるのだ、と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ