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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
136/287

2-2

 歓待(かんたい)挨拶(あいさつ)もそこそこに、王族と付き従う騎士達は、アイギオン城へ入った。すでに給仕頭(きゅうじがしら)が一階の大広間に饗宴(きょうえん)の用意を進めている。ジグリットは自分より少し長身のアリッキーノと用意された席に並んで座った。リネアは少し離れて、一段低い場所に座っている。

「長旅でお疲れでしょう。まずは(のど)(かわ)きを(うるお)して下さい」

 ジグリットが葡萄酒(ワイン)(グラス)を満たして、アリッキーノに渡すと、彼は薄い灰色の眸で微笑んだ。

(かたじけな)い。砂漠から来たとはいえ、水がなければ生きられないのは、人間誰しも同じでしてね」

 ジグリットはアリッキーノのにこやかな笑みに、なぜか背筋が冷たくなった。本物の毒蛇(どくへび)対峙(たいじ)しているような錯覚(さっかく)がして、ジグリットは眸を(まばた)かせてゲルシュタインの王を見つめた。しかしアリッキーノはもう一度、にっこりと微笑(びしょう)しただけだった。

 ジグリットは気を取り直して彼に言った。

「王宮からもアンバー湖が望めるように、タザリアは水の豊富な土地です。ゲルシュタインとタザリアは文化の違いと同じように、持っている資源も違う。わたし達は手を取り合うことによって、さらなる発展を()げるでしょう」

 アリッキーノは賛同するように、杯を口に当てて(かたむ)けた。そして一気に飲み干すと、血のように赤い葡萄酒を喉まで(したた)らせながら答えた。

「その通り。われわれは(おぎな)い合える。そのためにわたし達はやって来た」

 広間にはすでに、入りきらないほどの騎士や兵士が(あふ)れていた。席の見つからない者は通廊(つうろう)にまで座り込み、ジグリットの目算だけでも五百人はいた。その間を()って料理を運ぶ給仕達は額を(あせ)で光らせ、あちらこちらで麦酒(エール)や葡萄酒が足りないと叫ぶ兵の声が上がっていた。

 ジグリットは警戒心(けいかいしん)(あら)わにして側に立っていた冬将の騎士を呼び、彼に和睦(わぼく)のための証書を取ってもらうと、アリッキーノに差し出した。

「これがタザリアとゲルシュタインの国交樹立の証明書です」

「もちろん署名(サイン)しよう」アリッキーノは受け取り微笑んだ。「それから、わたしの姫君とはいつ話しをさせてもらえるのかな?」

 ジグリットはぎょっとして、リネアの方を見た。彼女は宴会の始まる前の広間を、退屈(たいくつ)そうに眺めていた。それは思わず見惚(みと)れそうになるほど美しい横顔だった。すっと通った鼻梁(びりょう)は白く、薄化粧(うすげしょう)された(ほお)は桃色に、淡紅(たんこう)色の(くちびる)は閉じた(つぼみ)のように(はな)やいでいた。リネアをそんな風に思ったことがなかったジグリットは、自分の眸がどうかしたのかと小さく頭を振った。そしてアリッキーノに言った。

「もちろん、あなたが話したいときに、彼女に声をかけて下さい」そのとき、ジグリットの心に一瞬、意地悪な感情が芽生えた。彼は余計なことも口にした。「ですが、リネアはちょっと気分屋なところがありますから、お気をつけた方がいいですよ」

 アリッキーノは破顔した。「女性はみんなそういうものです。むしろそういうところが可愛いと、わたしは思っているんですよ」それは余裕(よゆう)の笑みだった。

 広間の料理が(そろ)い、準備が整うと、ジグリットはアリッキーノと共に立ち上がり、(うたげ)の始まりの杯を上げた。ジグリットが思った以上に、その細身の男はよく(しゃべ)り、よく食べた。静かな眼差しに、時折不気味な(かげ)りのようなものが走ったが、ジグリットは気づかないふりをした。鎖蛇(くさりへび)がどういう蛇なのか、よく知らないうちに判断すべきではないと思ったからだ。だが、話せば話すほど、この男が父親と兄弟を殺したのだと本気で思えるようになっていた。

 アリッキーノは物静かで頭の切れる男だった。そして驚くほどよく微笑(ほほえ)む。穏和(おんわ)な外見に一ヶ所だけ落とし穴があるとすれば、それは眸だった。男の眸は、微笑んでも微笑むことができない肉食獣の眸をしていた。一瞬先には、()い付かれそうな鋭さが宿っていた。

 ジグリットが少し席を外した後、戻ってみると、隣りにいたはずのアリッキーノがいなくなっていた。周りを(うかが)うと、彼はリネアの横に座って歓談(かんだん)していた。二人の会話は騒ぐ兵士の声で聞こえなかった。

 リネアはアリッキーノの杯に、侍女のように葡萄酒を何度も()いでいた。彼女は()っていなかったが、酔っていたとしても態度は同じだっただろう。

「わたくしの(きら)いな男を教えてあげる。自信家な男と、役に立たない男よ」

 アリッキーノは水のように葡萄酒を飲んだ。彼もまた酔っていなかった。

「なら、わたしはそのどちらにも当てはまらない。わたしなら君のために何でも手に入れる力があるし、その実、自分が君のその美しさの前に(おと)っていると感じているのだから」

 アリッキーノはリネアの(さび)色の眸が(けわ)しく(ゆが)むのを、上機嫌で見つめていた。

 リネアは怒ったように言った。「もう一つ付け加えるのを忘れていたわ。わたしは口の上手(うま)い男も嫌いなの」

 彼女の孤高(ここう)の精神は、アリッキーノを心地良くした。嘘偽(うそいつわ)りなく、彼は彼女に好意を抱いていた。二年前、二人はフランチェサイズで初めて会った。リネアはタザリア王の代理として、アリッキーノも父王の代理として、バスカニオン教の繁栄の儀(プロスフェストゥム)のためにアルケナシュ公国を(おとず)れていた。外交政策の一環(いっかん)で、彼らの協議に大きな意味はなかったが、アリッキーノはリネアの理知的で(ほこ)り高い、その超然(ちょうぜん)とした様に()かれた。ただし、それが恋愛感情だとは思っていなかった。女だてらに、なかなか鋭い思量の持ち主だと感心したのだ。そして(おろ)かな女よりは、知性のある女の方が、自分の横にいるのに邪魔ではないだろうと考えていた。それだけのことだった。



 広間での饗宴が空が白む頃に終わりを迎えると、アリッキーノはアイギオン城のニ階の一室へ、リネアはソレシ城へ、そしてジグリットも自分の居室へと戻って行った。

 ジグリットが居室に戻ると、すでに騎士長のグーヴァーと冬将の騎士が王を待っていた。

「うまくいったと思うか?」

 ジグリットが重い外衣(マント)から開放され、(くつ)()ぎ捨てながら訊ねると、グーヴァーが(しぶ)い顔で(うな)った。

「どうでしょうね。わたしは、うまくいくべきか、いかない方がいいのか、もうわかりませんが」グーヴァーは今でも、蛇は信頼できないと心底思っているようだ。

「それでも、今回はうまくいっていただかないと困るでしょう」冬将の騎士が、ジグリットの放り出した靴を拾い、部屋の(すみ)に置いた。「どんな話をしたのか、詳細(しょうさい)に聞かせていただけますね、陛下」

 ジグリットは頷いた。「わかっている。会話の内容はすべて覚えているさ」

 おかげで宴会だというのに、ジグリットはほとんど酒を口にしなかった。酔っ払うと頭がぼうっとして使い物にならなくなるからだ。

「ヤツが何をいい、何を言わなかったのか。そして言ったことのどれほどが嘘偽りであったのかを、わたし達は見(きわ)めねばなりません」騎士が再び言った。

 騎士長は部下の言葉に深く同意し、二人の騎士は話を聞こうとジグリットを金襴(きんらん)張りの長椅子(ソファ)に座らせた。彼らの一日は始まったばかりだった。



 その頃、リネアもアウラと部屋で今夜のことを(なげ)いていた。彼女は髪留(かみど)めを外して、首を振り、錆色の髪を流しながら、アウラがすべての装飾品と衣服を脱がすのを突っ立って待っていた。

「アイツの何が(いや)って、とにかく眸がイヤ! あの爬虫類(はちゅうるい)特有のいやらしい眸も、白髪(はくはつ)だか、銀色だかはっきりしない髪の色もイヤ! ()れ馴れしい口調も、(えら)ぶった態度もイヤ! たまに老人と話しているみたいな気にさせる老成しきったところもイヤ! あの男が側にいると、虫唾(むしず)が走るわ」

 一気に言い放ったリネアに、アウラは眸を(まばた)いた。

「ですがリネア様、婚姻(こんいん)の件はリネア様が承諾(しょうだく)なさったことですよ」

「わかってるわよ、そんなこと!」

 だったら、アリッキーノとの婚姻の話など受けなければ良かったのに、とアウラは思った。もちろん口にはしなかったが。

今宵(こよい)はさぞお疲れになられたでしょう。朝はゆっくりなされますか?」

 アウラの心(づか)いに、リネアは溜め息を()らした。

「いいえ。いつもの時間でいいわ。あの蛇が王宮にいる間、よく眠れるわけがないもの」

「・・・・・・わかりました。何かありましたら、お呼び下さい」

 アウラは一礼して、リネアが着ていたものすべてを手に、寝所(しんじょ)を出て行った。リネアはそれを見届けて、豪奢(ごうしゃ)花蓋(かがい)のついた寝台(ベッド)に腰かけた。

 彼女の表情は暗く、しばらくしてそっと立ち上がると、リネアは窓へ近づいて、アイギオン城のまだ煌々(こうこう)(とも)った明かりを見つめた。ジグリットの居室がある辺りは、すべて明かりが()いていた。彼はまだ起きているのだ。

 ――わたしは蛇と結婚する。

 彼女はぶるっと躰を(ふる)わせた。

 ――でもこれでいいんだわ。こうするしか方法はないんですもの。

 ――ゲルシュタインなんかに、タザリアを渡すわけにはいかない。

 それは正統なタザリアの王女としての気持ちだった。だが、リネアは自分がそれほどまでに、祖国を愛しているのかわからなかった。そんな風に国を思ったことはなかったからだ。所詮(しょせん)は、一時の治世に過ぎない。時代が変われば、タザリア王家も(すた)れ、やがては別の勢力が世界を牛耳(ぎゅうじ)るだろう。

 ――それでもわたしが生きている間は、わたしの価値を(おとし)めるわけにはいかない。

 ――蛇の妻になれば、蛇のものはわたしのもの。わたしの価値が高まるのよ。喜ばしいことだわ。

 しかしそう考える自分の心に、かすかに(うず)巻く黒い陰鬱(いんうつ)(おも)いを彼女は感じていた。それが何を示しているのか彼女にはわからなかった。

 ――わたしは、一体何を(おそ)れているのだろう。

 ――蛇の妻にされることを? まさか。わたしは変わらず黒き炎だわ。蛇に炎は消せない。

 ――だとしたら、タザリアを去ることを?

 ――それともジグリットと・・・・・・。

 考え続けると、恐ろしい答えに行き着きそうで、リネアはそこで思考を止めた。

 ――いずれわかることだわ。あの(いつわ)りの王をどう処分するかも、ゆっくりと決めればいい。

 ジグリットをこのままタザリアの王として、自分の弟の身代わりとして置いておくつもりはなかった。だが、まだリネアは考えついていなかった。このときはまだ。


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