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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
135/287

2-1

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 雪も消え、テュランノス山脈から暖かい風が流れてくるようになった頃、ゲルシュタインの急使が書簡を持ってやって来た。ジグリットはその文面を見て驚愕(きょうがく)した。来るはずのない男が来るという内容だったからだ。

「グーヴァー! グーヴァー!!」ジグリットは、謁見(えっけん)室の隣りの会議室で炎帝騎士団の騎士達と話し合いをしていた騎士長を急いで呼んだ。

「ゲルシュタインからの書簡ですか」グーヴァーはそれだけですでに(まゆ)を寄せていたが、ジグリットの話に飛び上がるほど驚いた。

「アリッキーノが来るんですか!? 本当に!?」

 さすがのジグリットも他人の驚く様を()()たりにすると、少し冷静になった。

「ああ・・・・・・」そして壁際(かべぎわ)に立っていた一人の兵に近衛隊(このえたい)の隊長を呼ぶよう命じた。「フツと・・・・・・そうだな、ちょうど冬将の騎士や他の騎士も会議室にいるんだろう。彼らとも相談しなければならないな」

 しかしグーヴァーはまだ困惑していた。

「ジューヌ様、お願いですからこの王宮に他国の王を入れるなどという、莫迦(ばか)げた事は言わないで下さい。しかもアリッキーノは父王だけではなく、六人の兄弟を殺したという恐ろしい(へび)なんですよ!」

 呼ばれたフツが謁見室に入って来た。

「何の騒ぎだ、一体!」

「フツ!! 聞いてくれ!」いつもは仲の悪いはずのグーヴァーがフツの(もと)へ歩み寄り、両手を振り回して(わめ)いた。「陛下はこの王宮にゲルシュタインの蛇王を入れるおつもりだぞ!」

 フツは話が見えないとばかりに顔をしかめた。

「ゲルシュタインの蛇王? アリッキーノ一世王のことか? なんでまた!?」

「リネア様が婚姻(こんいん)されるからだ!」

 リネアがアリッキーノと婚姻するかもしれないという話は、すでにフツも知っていたので、彼は驚かなかった。

「それで、陛下はどうされるおつもりなんです?」うるさいグーヴァーからジグリットに視線を移して、フツが訊ねた。

「ぼくは彼を招いた。今さら、どうしようもないだろう。確かにアリッキーノ王が本気でタザリアに来るとは思っていなかったが、こちらから呼んだのだし、礼儀(れいぎ)知らずなことはできないよ」

 グーヴァーがようやく黙り、フツがぼりぼりと頭を()いて「そりゃそうだ」と(つぶや)いた。

「だったらできるだけのことはしますよ。近衛隊はね」

 騎士長にわざとらしくフツが言うと、グーヴァーはうなだれていたが、一言だけ言い返した。

「騎士団は国境沿いからチョザまで、彼らを警護する」

 それでもう話は決まったようなものだった。ジグリットはしばらくの間、アリッキーノを迎え入れるための雑事に忙殺(ぼうさつ)されることとなった。



 紫暁月(しぎょうづき)中旬、ゲルシュタインからアリッキーノ一世王と随員(ずいいん)三百人が、礫砂漠(れきさばく)の帝都ナウゼン・バグラーからおよそ三百リーグ(約一四四〇キロ)を三十六日かけてタザリアのチョザへやって来た。

 騎士長のグーヴァーを含め、炎帝騎士団の騎士二十名がゲルシュタインとの国境へ(おもむ)き、彼らの先導を務めながら、ゆっくりと引き連れてきた。ゲルシュタインの一行は軍隊そのものだった。護衛の騎士に随員を合わせて三百人、そして儀式に必要な道具を運ぶ騾馬(らば)が百頭余り。砂漠の民である彼らは馬車を使わないらしく、荷台のついたものはすべて(あし)の遅い騾馬が()いてきた。そこには多量の碑金属(レブロイド)と高額の結納金(ゆいのうきん)、それに豪奢(ごうしゃ)な衣装や調度品を詰めた長櫃(ながびつ)まであり、リネアではなくアリッキーノの方が婿(むこ)に来たかのような有様だった。

 ジグリットはアイギオン城の謁見室で、フツとリネア、それに冬将の騎士ファン・ダルタと共に歓待(かんたい)(うたげ)の準備の指示や、王宮の内外の警護の手配と、やるべきことがまだ山積していた。しかし時は無情に過ぎていき、ジグリットがアリッキーノと()わすべき書類に眸を通していると、一人の兵士が広間に駆け込んできた。

「陛下、ゲルシュタイン皇帝、ただいまチョザの正門を通過致しました」

 その直後、王宮にまで街の群衆達の浮かれ騒ぐ声が聴こえてきた。高い口笛の音、女達の歓声、そして荒れ狂う風のような音が(こだま)した。

「陛下」冬将の騎士が(むらさき)外衣(マント)を手にして、ジグリットを(うなが)した。「そろそろ参りましょう」

 騎士は今朝は一段とピリピリしていた。ファン・ダルタはゲルシュタインとタザリアの国交改善にこの婚姻が役立つにしろ、蛇を信用する気は毛頭なかった。蛇が生来邪悪(じゃあく)な気質だと、彼は王宮の誰より理解していた。ゲルシュタインは父を、そしてその後、母と弟を殺した(にく)仇国(きゅうこく)でしかない。蛇の王がタザリアから出て行くまで、ファン・ダルタはジグリットの側について少年王を守ると決めていた。

 ジグリットは玉座から立ち上がり、隣りに置かれた(かし)椅子(いす)にかけたままのリネアに眸を向けた。彼女はすでに白い清楚(せいそ)正装(ドレス)に身を整え、(さび)色の髪を両耳の側から流れる二本の金鎖(きんさ)のように()らして()い上げていた。そして今は無表情に、白い(きぬ)に包まれた細い腕をジグリットに差し出した。

 紫の外衣を冬将の騎士に掛けてもらい、ジグリットはリネアの手を取って彼女を立たせた。その手は氷のように冷たく、ジグリットは彼女が緊張していることを知った。

 フツがリネアの横に、ジグリットの側には冬将の騎士が立ち、背後に数人の兵を従えて、彼らはアイギオン城を出た。外に出ると、さすがに街から聞こえる歓声は、割れんばかりになっていた。その上、街の礼拝堂の(かね)まで、ひっきりなしに鳴っていた。ジグリットは王宮内の礼拝堂の鐘が鳴っていないことに安堵(あんど)した。これ以上の騒音(そうおん)は欲しくなかった。今でさえ、ジグリットは、これでは馬の(ひづめ)の音さえ聴こえないと顔をしかめていたからだ。事実、冬将の騎士はジグリットに声をかけるとき、彼の耳元に大声で話さなければならなかった。

 彼らが正門へ近づくと、大小二つの()(ばし)は両方とも降りていた。鋼鉄(こうてつ)製の先の(とが)った落とし格子(ごうし)巻揚機(ウインチ)で上部に留められ、恐ろしいことにどんな大男でも、今は入ってこれそうなほどに開かれていた。門兵はすでに所定の位置に立ち、歩哨(ほしょう)も城壁の巡視路(じゅんしろ)や三つの城の周りに彫像のように(おごそ)かな顔つきで、百人以上が並んでいた。

 ジグリットはリネアの隣りにいる近衛隊の隊長が、鋭い眸で不備がないか確認しているのを見た。フツの真剣な顔をジグリットは久しぶりに見た気がした。彼はいつも、適当で粗雑(そざつ)だからだ。しかし彼の服装はいつもと変わりなかった。暗緑色の制服の襟元(えりもと)はくしゃくしゃで開いたままだった。ジグリットがフツを見ていることに気づいたファン・ダルタも、彼の制服を指差した。

「フツ隊長、襟元を正して下さい。そのような身嗜(みだしな)みでは、我がタザリアの規律(きりつ)が疑われます」

 フツは周りを気にしていたが、ようやく渋々といった様子で首の(ボタン)()めた。しかし文句を言うのは忘れなかった。

「この制服小せぇみたいだ。苦しい・・・」

 それからジグリットは、騒がしい街の声が徐々に近づいてきたので、門の外に向いていた。紫暁月の中旬ともなると、木々に咲いた花の香りや、服を通して感じる陽射(ひざ)しが心地良い。ジグリットは肩の力を抜いて、大きく息を吐き出した。やって来る方が不安に決まっている。自分がいるのは自国だ。大丈夫だ、とジグリットは自分に言い聞かせた。

 街の礼拝堂の鐘がまだ鳴っていた。そして、正門が見える城壁の巡視路から、一人の衛兵が叫んだ。

「ゲルシュタイン皇帝陛下、及びその御一行様、御成(おなり)ィ!!」

 正門の前の坂から、炎帝騎士団の騎士が(かか)げる黒き炎の旗印と並んで、白い馬に乗った銀色の甲冑(かっちゅう)の騎士が掲げた、不気味に(ねじ)れた鎖蛇(くさりへび)の軍旗が見えた。そして続いて炎帝騎士団のよく見知った二十人の騎士がグーヴァーを先頭に門へと向かってくる。

 跳ね橋を渡った真紅(しんく)の外衣を背にした騎士達は、ジグリットの両脇に綺麗に分かれるように移動して、騎乗したまま止まった。彼らはみな一様に、武器を手にしていた。グーヴァーは五ヤールはある長槍(ランス)を、他の騎士も剣や(やり)をそれぞれ持っていた。それはゲルシュタインを威圧しているのではなく、単なる儀礼(ぎれい)的なものだった。

 そして続いて大柄(おおがら)な黒毛や鹿毛(かげ)の馬に乗った人々が続々と入ってきた。それはタザリアで騎乗される馬とは肢の先から頭のてっぺんまで違っていた。太い肢に重量感のありそうな馬体は、少なくともタザリアでは農耕用に使われる馬に思えた。

「変わった馬に乗っている」とジグリットは呟いた。

 それを聞いた冬将の騎士が、そっと耳打ちした。

「砂漠の民は、速い馬よりも丈夫な馬を好むと聞いたことがあります」

「へぇ、丈夫か。確かに丈夫そうだ」ジグリットは納得しながらも、自分がそれに乗るのはちょっと嫌だな、と思っていた。曠野(あらの)()ける馬は、できるだけ速い馬がいい。風を切って走るのが、ジグリットは好きだった。農耕馬にどたどたと土を()み鳴らしながら走られたら、がっかりするだろう。

 そうしている間にも、続々と馬が入って来ていた。随員三百人のうち、百人が馬に乗っていると聞いていたジグリットは、後ろの方を背伸びして見てみたが、終わりは坂の曲がり角で見えなかった。きっとまだ街を行進しているのだろう。

 綺麗に並んだ騎乗者の中から、一頭が、そして連なるように二頭が、ジグリットの方へ出てきた。先頭の鹿毛の馬は、他のものよりもさらに立派な体格で、頭部には銀の(かぶと)がついていた。乗っている男も同じ銀の甲冑で、外衣(マント)は雪のように白かった。男はジグリットの三十ヤールほど手前に来て、馬から降り、背後に二人の騎士を連れて残りを歩いてきた。

「はじめまして、タザリア王。お会いできて光栄です」男は兜を脱ぎ、太陽に白金(プラチナ)の髪を輝かせて口元を(ゆる)めた。それがゲルシュタイン皇帝、アリッキーノ一世王だった。


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