4
4
翌日、ラドニクは別の屍体の後始末をしていた。それはナウゼン・バグラーでも指折りの遊女で、昨夜、初めて宮殿に呼ばれてアリッキーノの相手をしていたはずの女だった。
ラドニクはわざと少なく灯された明かりの中で、飛び散った血を拭き取るよう侍従に告げた。そして寝台に乗ったままの、切り刻まれた女性の屍体を見つめた。その寝台はアリッキーノのお気に入りの一品だったが、それを使うと必ず死者が出るので、ラドニクはあまり好きではなかった。
寝台は厚めの白い貂の毛皮の敷布が被せてあったが、今はそれも血みどろで毛はべっとりと伏せ、縦に深い切れ目が幾筋も入っていた。その下から銀に光る鋭い刃が見え隠れしていた。ラドニク達、宮殿の者は、その寝台を"剃刀の寝台"と呼んでいた。縦に敷き詰められた剃刀の上で彼らは情事を行ったのだ。もちろん、遊女は知らなかったのだろう。知っていたら、誰も寝台に上ることはない。
アリッキーノは女を騙して寝台に乗せ、後は上から重なるだけでいい。自分の躰に疵がつくようなへまはしていないはずだ。アリッキーノが上から激しく被されば被さるほど、女の背中に刃が喰い込んでいく。
ラドニクが寝台から裸の女を引き摺り下ろすと、かつては美しかったはずの背中の肉がべろべろと波打った。遊女は魚の鱗のようになった背中を照り輝かせていた。ただし、それはいまだ乾いていない血が溢れ出した効果に過ぎなかった。
「ラドニク様、遊里の主人から、その女のことで連絡がありましたが、どう致しましょう?」侍従頭が部屋に入ってきて訊ねた。
ラドニクは溜め息をつきながら、いつものように答えた。
「金を渡しておけ。女は王宮付きになったとでも言っておけばいいだろう」
「了解しました」
侍従頭は女の屍体をちらっと見たが、顔色一つ変えなかった。彼もまた慣れているのだ。
ラドニクは女を汚れた敷布で包むときに、そっと胸の衣嚢から白い貝殻細工の浮彫りの入った装飾貝を取り出して胸元に置いた。少女神の横顔が描かれたもので、ラドニクは自分が死者を弔うときにそれを用いた。単なる気休めに過ぎなかったが、蛇が戯れに殺した者への哀悼の気持ちだけは忘れずにいたかった。それを父や自分の主君が弱さと呼ぶことを知っていたので、これは誰にも言えない秘密の儀式だった。
後は侍従の一人に始末するよう言いつけ、ラドニクは血の臭いの染み付いた部屋を出て、謁見の間へ向かった。昨日、薔薇の洞窟へ連れられた村人はすでに死んでいるだろう。その報告を受けるために。
ラドニクが謁見の間に行くと、今日は珍しくアリッキーノの妹のノナが、真鍮の鎖模様がついた玉座で、兄の膝上にちょこんと乗っていた。同じ白銀の髪の二人は、眸の色を除けばそっくりだった。ラドニクは壁際に配された兵を無視して、玉座に近づいた。アリッキーノの前には、昨日の無作法な貿易商人ブザンソンが、碑金属を脇に積み上げて王と話していた。
ラドニクは二人の重要な会話に分け入ることもできず、少し手前で立ち止まった。それをノナが気づいて、彼女は兄の許からラドニクのところへ駆けてきた。
「おはよう、ラドニク」手に異様な八本足の爬虫類の人形を手にしている。
ラドニクは膝をついて皇女の真紅の眸と視線を合わせた。
「おはようございます、皇女様。それにドゥエ様も。ご機嫌いかがですか?」
蜥蜴にまで挨拶され、ノナは満面の笑みを浮かべた。
「あたしたち、とってもげんきよ」しかしその笑みはすぐに翳った。「でもね、おにいさまはいそがしくて、あそんでくれないの」
ラドニクは自分が少女とまったく同じ思いを抱いていることに気がついて、頬を赤らめた。そして苦笑しながら言った。
「それは仕方ありません。陛下はこの国の大変な問題を片付けようと、日々努めていらっしゃるのですから」
すると、ブザンソンと話していたアリッキーノがラドニクに声をかけた。
「ラドニク、しばらくの間、ノナの相手をしていてくれ。少し込み入った話になりそうだ」
「はい、陛下」ラドニクは一礼して、ノナが人形を抱いているのとは違う方の手で彼の指を掴んできたのを、しっかりと握り直した。「それでは皇女様、わたくし達はお部屋に行きましょう」
「つまらないの」ノナは膨れっ面になる。しかし彼女も聞き分けはよかった。「いいわ。おにいさま、あそんでくれないのなら、ラドニクをとっちゃうから」
アリッキーノはハハッと笑いながら「それは困るな」と冗談混じりに返した。
ラドニクとノナは謁見の間を出て、通廊を歩いて行った。通り過ぎる壁龕に置かれている様々な彫像は、どれも不気味な影を造って赤茶色の床に伸びていた。それらは伝説上の生き物、女海鳥であったり、砂蟲だったり、七頭蛇だったりしたが、顔つきは不快な悪感情を誘うものばかりだった。
ラドニクは主君と同じくらい、ノナをよく知っていた。彼は壁龕に置かれたそれらを指差して、楽しそうに話しているノナに相槌を打ちながら、彼女が殺した人々の事を思った。いつもはこれほど感傷的になることはなかったのだが、今日は朝から女の屍体を始末しなければならなかったからだろう。
ノナはすでに兄と同じように、何人もの人間を殺めていた。しかし兄と違うのは、ノナの殺した人はすべて自分に仕えている侍女であり、しかもその死因がまったくわからないということだった。実際、首の骨が捩れた屍体から、躰中に小さな穴が開いた屍体、果てには原型を完全に留めていないものまで、ノナの殺害方法は疑問が多かった。ノナが魔道具使いツザーの教え子になってからというもの、宮殿で死んだ女の数はすでに五十を超えていた。
ラドニクはだからといって、自分がこの兄妹に殺されるかもしれないとは考えていなかった。なぜなら自分ほど彼らのために身を尽くし、忠誠を捧げている臣下はいないと自負していたからだ。しかし恐れていないわけでもなかった。この砂漠の地に棲む蛇に仕える限り、ラドニクは背後に根深い闇を背負うことになる。そしてその暗黒の闇こそが、ラドニクを忘我させる最良の麻薬でもあった。彼は自らその苦痛を望んでいた。吐き気を催すほどの血の臭いも、悪戯に失われる生命も、身の毛がよだつほど彼を苦しめたが、その心痛こそが自分が善良であり、いまだ純真である証だと信じていた。