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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
132/287

          3


 白帝月(はくていづき)十七日。その日は宮殿(きゅうでん)に、複数の街の貴族や村民の代表者達が集められていた。彼らはウィンガロス三世の嫡子(ちゃくし)であり、新王となったアリッキーノ一世王への挨拶(あいさつ)と今後の話し合いにやって来たのだった。

 謁見(えっけん)()の南側に備えられた真鍮(しんちゅう)鎖模様(くさりもよう)がついた玉座に着いたアリッキーノは、けだるげな様子で並べられた来訪者を眺めていた。彼の右側の肘掛(ひじか)けには鎖蛇(くさりへび)のドローンが巻きつき、ときに二手に割れた舌を出したり引っ込めたりしながら、主人の顔色を(うかが)っていた。同じように左手に立っている近臣(きんしん)のラドニクは、来訪者と君主を何度も見やった。

 来訪者達は前列が貴族で、後方が小さな村の村長やその代理のようだった。見た目にもはっきりと、彼らは分かれていた。貴族階級は高貴な衣服を着、大多数が腰に剣を()びていたが、貧しい村の男達は、薄汚れた上衣(シャツ)に穴の開いた靴を()いていた。

 貴族達はアリッキーノに即位(そくい)の祝辞と、持参品の碑金属(レブロイド)(ささ)げた。ゲルシュタイン帝国では、砂漠化した土壌(どじょう)は不毛の大地であり、農作物はほとんどできなかった。しかし代わりに碑金属と呼ばれる古代文明(オグドアス)の遺物が出土し、貴族はそれを採掘(さいくつ)することで富を得ていた。

 アリッキーノは碑金属を従兵に受け取らせ、自分は微塵(みじん)もその場を動かなかった。礼の一つも言わず、彼は口を閉ざしたまま、下がるように手を振った。

 貴族の後ろに並んでいた貧しい村人達が、今度は前に進み出た。その中から代表者らしい、一人の()り切れた茶色い(あさ)の上衣を着た男が、さらにアリッキーノの(もと)へ近づいた。

「皇帝陛下」と()せた男は(うやうや)しく頭を下げ、アリッキーノの無表情な顔に苦痛の眸を向けながら言った。男の目尻(めじり)には砂漠の熱風を受けた深い(しわ)が刻まれ、肌は焼けて黄土色の煉瓦(れんが)のようにひび割れていた。

「我々一同、前陛下の厳しい徴税(ちょうぜい)(あえ)いでおりました。どうか、陛下の治世においては、少ない作物で(しの)いでいる貧村の者達にも、お慈悲(じひ)を与えてくださいませ」

 アリッキーノは初めて背を浮かして、前屈(まえかが)みになった。そして男のくたびれた顔と向き合った。白金(プラチナ)の髪に(みが)き抜かれた大理石のような肌をした王と、その貧相な男とは、まるで別の生き物だった。隣りに立つラドニクは、村人の(すが)るような眼差しに不快感を抱いていた。治世が変われば、甘い(みつ)を吸えると勘違いしている(やから)は宮殿内には多数存在したが、外にまで波及(はきゅう)している上、堂々と王を前に意見するとは無礼にも(ほど)がある。ラドニクの腕は怒りにぶるぶる震えていた。今すぐ彼らの首を残らず()ね上げて、君主にこのような者達を宮殿に入れたことを()びたいぐらいだった。

 しかしアリッキーノは冷静に彼らの姿を見て、彼らの言葉を聞いていた。その上で、先ほどから謁見の間の両開きの扉に(もた)れて、こちらを楽しそうに見守っている男の存在に気づいた。アリッキーノはその男の名を呼んだ。

「ブザンソン、こっちへ来い」

 (あざ)やかな黄色の長髪(ちょうはつ)をした、(そで)の長い異国の衣服を着た男が、扉から玉座へ歩いてくる。ラドニクはさらに()まわしいものを発見したかのごとく、その商人を見た。それはバルダ大陸のどこにでも出入りしている貿易商人だった。彼はいつものように火のついていない巻煙草(シガー)(くわ)えていた。咥えられるものなら、何でもいいのか、草の(くき)や、子供が()める棒つきの砂糖菓子を咥えているときもあった。

 ブザンソンはアリッキーノの前で、胸に手を当て、適当な一礼をした。

「お久しぶりです、皇子。いえ、今は皇帝陛下であらせられますね」

 舐め(くさ)ったような言葉(づか)いに、ラドニクは尻を蹴り出して、二度とその顔を見せるなと叫びたかったが我慢(がまん)した。

「ああ、二年ぶりか、それぐらいだろうな」何の問題も感じていないかのように、アリッキーノは微笑(びしょう)しながら答えた。

「正確には一年と三月(みつき)でございますよ、陛下。それにしても、さすがに皇帝陛下ともなると、お(いそが)しそうですね。お時間があるときにまた寄らせていただきましょうか?」

「構わん。ちょうどいいところに来たぞ。金と下男の(あつか)いは、おまえに()くに限るからな」

 ブザンソンはそのとき、初めてといった顔でラドニクを見上げた。

「なるほど」と商人は頷いた。「ただの兵や侍従では、金の扱いは無理でしょう」

 自分が莫迦(ばか)にされていることに、ラドニクは気がつき、金茶の眸で商人を(にら)みつけた。しかし君主が口を()いてもいいと言ってくれない限りは、ラドニクは口出しできなかった。

 ――(おご)(たか)ぶった馬面(うまづら)め、下等な貧民のくせに。

 ブザンソンはゲルシュタインの南部地域にある、小さな村の出だという(うわさ)だった。ラドニクは父親が名将として名を()せた騎士である上、自らも貴族の血筋であり、騎兵としては一流だった。身分違いも(はなは)だしい男に、莫迦にされたとあっては、彼の怒りも簡単に収まりそうもなかった。

「それ以上は()めておけ。ラドニクの血管が切れる」アリッキーノは笑みを浮かべて、生真面目(きまじめ)な従兵を見上げていた。ラドニクは(ほお)を赤らめ、(うつむ)いた。「こいつは怒りを我慢すると眼球の毛細血管が切れるんだ。治るまで真っ赤な眸でいられると、おれが妹と間違えておやすみのくちづけをしそうだ」

 ブザンソンがハッと声を()らして笑った。

「それはそれで可愛らしいじゃないですか。おれっちも見てみたいもんですね」

 ラドニクは床にめり込んで消えてしまいたいぐらい()ずかしかった。アリッキーノは部下を揶揄(やゆ)するのに()きると、黙ってこちらを窺っていた村人達に視線を戻した。

「こいつらは南部の村の人間だ。徴税がキツいから、なんとかしてくれと泣きついてきたんだ」

「それはそれは・・・・・・」アリッキーノから聞かされたブザンソンは、小指を耳に突っ込んでほじりながら村人を見回した。「貧相な格好(なり)して、疲れた顔色じゃあ、同情も(さそ)うってな話ですねぇ」

 突如現れた商人に、村人達は困惑げだったが、やがて先ほどの痩せた男が再び言った。

「わたしたちはこのままでは、今年の白帝月(ふゆ)さえ越せません。そうすると、来年の今頃には村は死に絶えているでしょう」

 それが本当の話なのかどうか、ラドニクにはわからなかった。ラドニクは貧しさを知らなかった。彼らが痩せて不潔であることが、貧困の象徴に思えたが、それは擬装(ぎそう)できることでもあった。金を払うのを(しぶ)る人間は貴族にもたくさんいる。彼らはあれやこれやと理由をつけて、減税してもらおうとするのだ。

「ブザンソン、こいつらから物を買う商人として、この申し立てをどう思う?」アリッキーノが問うた。

「はい、陛下。おれっちは、こいつらは働きもせず、文句を並び立てるだけの無能な輩と考えますね」

 するとひとかたまりになっていた村人の中から、誰のものかわからない声が上がった。

「おまえ達は毎日、腹いっぱい良い物を食べ、そのような立派な躰になったんだろう。その躰はおまえ達がわたし達から(しぼ)り取った税でできているんだぞ」

 確かにブザンソンは身長が高く、謁見の間の中でいっても飛びぬけて大柄(おおがら)だった。ただしそれはまるまるとしているわけでもなく、遺伝のせいで(たて)に伸びただけの話だ。ブザンソンはくだらないとばかりに言い返した。

「おまえらは朝、太陽が昇ったら働き、月が輝く頃に眠るんだろう。でもおれっちは、朝まだ太陽が昇る前から働き、月が輝きを失うまで働いてるぞ。どちらがより食べる権利を有しているかは明らかだろう」

 それを聞いたアリッキーノは薄笑(うすわら)いを浮かべた。獲物(えもの)を見つけた(へび)のようなその顔に、ラドニクは身震いした。そして思った。(おそ)ろしい事が始まるぞ、と。

「正直、おれは面倒なのが嫌いだ」アリッキーノが皇帝の座所から言うと、全員が彼を注目した。「大切なのは、おれにとっての利害だ。貴様らが出し渋っているにしろ、本当にないにしろ、税を納めることができないというなら、今すぐ死ぬか()えて死ぬかだ」

 アリッキーノは彼らが本当に貧しい者であることを知っていた。ゲルシュタインでは首都から離れた小村はほとんどすべてが貧しかった。貧富の差は激しく、碑金属(レブロイド)莫大(ばくだい)(もう)けを得る貴族以外、(わず)かな商人と宮殿の人間だけが食べるのに不自由していなかった。だからといって税の軽減を(はか)るつもりなど、さらさらなかった。人間は(いく)らでもいるのだ。働けない者、すなわち支払えない者は死んで当然だと彼は考えていた。

 しかしアリッキーノは少し逡巡(しゅんじゅん)し、良い事を思いついて、男に訊ねた。

「それで貴様、子供がいるか?」

「いたらどうだというんだ!」男が怒鳴る。

「子供がいるなら、税ぐらい払えるだろう。人買いをブザンソンに紹介してもらえ。これで万事解決だ」アリッキーノは心底よかったとばかりに破顔した。

 しかし村人達は青白くなり、代表の痩せた男と、隣りにいた同じように痩せて()に焼けた男が叫んだ。

「ひ、ひとでなしの蛇め!」

無慈悲(むじひ)なところは父親そっくりだ!」

 アリッキーノはそれを聞くと、くっくっと笑った。そして一瞬にして眸を冷酷(れいこく)(すが)めると、鋭い声で命じた。

「いま口を利いた二人を薔薇(ばら)洞窟(どうくつ)へ連行しろ」

 その言葉に謁見の間全体が(こお)りついた。ラドニクは鳥肌が立った躰を理性で(しず)めながら、兵を呼んだ。村人が騒ぎ出し、全員がまとめて衛兵に追い出された。謁見の間の両開きの扉が閉まっても、まだ「横暴だ」と叫ぶ民衆の声が聞こえていた。

「ブザンソン」アリッキーノが後ろを眺めていた商人を呼んだ。

「なんですかい、陛下」

「碑金属の取引の話をしようじゃないか」

「それは願ったり(かな)ったりですね」

 向き直ったブザンソンも平然とした顔をしていたので、ラドニクだけが少し青褪(あおざ)めていた。もしかしたらこの商人は"薔薇の洞窟"を知らないのかもしれない、とラドニクは思った。ラドニクはそこがどんな場所なのか、その眸で見たことがあった。

 宮殿から馬で一日も南へ行くと、ムルムルの森と呼ばれる()れた森がある。その森の中には幾つも不気味な洞窟があり、そのうちの一つを宮殿では"薔薇の洞窟"と呼んでいた。

 薔薇の洞窟はアリッキーノが、拷問(ごうもん)のために作った場所で、無数の百足(むかで)毒蜘蛛(どくぐも)といった毒虫や、毒蛇などの爬虫類(はちゅうるい)を放し飼いにしている縦穴式の洞窟なのだ。ここへ罪人を放り込み、翌日回収する。そのときには罪人はすでに死んでいる。

 屍体(したい)はどれも恐ろしいほどに眸を見開き、苦痛に(ゆが)んだ顔をしているのだ。放り込まれた人間も災難だが、回収する方も、さらに屍体を引き取りに来た家族も、一生忘れられない恐怖を眸にすることとなる。

 アリッキーノとブザンソンは、今起こったこともこれから二人の村人に起こることも、もう忘れたかのように、碑金属の(あたい)の交渉を始めていた。ラドニクは自分の弱さを恥じた。薔薇の洞窟に村人が入れられようと、惨殺(ざんさつ)されようと、自分には関係のない話だ。恐れを感じるなど、間違っている。しかし(のど)の奥には苦いものがわだかまっていた。それが罪悪感であることに、ラドニクは気づかなかった。


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