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何も遮る物のない街道は、緩斜で直線的に道が続いている。そのずっと前方にクストー・デザーネの馬が一頭、全速力で駆けているのが見えたのは、すでに破壊された凱旋門の間近だった。
ジグリットは焦っていた。デザーネが市街に逃げ込んでしまえば、敵の数に圧倒され、危機に陥るのは自分の方だとわかっていた。グーヴァーとサグニダが幾ら敵を蹴散らしていたとしても、最初から戦員では劣っている。デザーネに新たな味方と活力を与える前に、ジグリットは彼を捕らえたかった。
同じ気持ちで冬将の騎士もデザーネを追っていた。しかし全力で走る馬の激しい振動は、彼の疵ついた右腕に断続的な激痛をもたらしていた。力を抜いてできるだけ痛みを忘れようとしたが、ファン・ダルタの手綱を握る手は汗ばみ、疲れ始めた鹿毛の馬は左右にふらふらと振れていた。
ジグリットは遅れ始めた騎士を待たなかった。中腰になると馬はさらに肢を速めた。重い鎧を着込んだデザーネと違い、ジグリットは軽装備の上、体重も軽かった。みるみる距離を縮めていくジグリットをデザーネは数回にわたって振り返り、何度も馬を急き立てた。
二人の距離は二百ヤールから百五十ヤール、百ヤール、さらに五十ヤールにまで狭まっていた。それと同時に防備塔の片割れを失った凱旋門が、見上げるほどに大きくなっていく。クストー・デザーネの馬が僅か二十ヤールにまで差し迫ったとき、ジグリットは彼の名を叫んだ。
デザーネはその声に振り返ったが、顔には狡賢い笑みが浮かんでいた。彼にはすでに凱旋門の前に仲間の兵士が見えていた。後は合流するだけでいい。追ってきたタザリア王を殺すことはわけないことだと彼は勝利すら確信していた。
しかし、クストーの馬は仲間と合流する前に立ち止まってしまった。続いてたくさんの混合軍の歩兵が門の下からこちらへ走り出て来る。ジグリットにはクストー・デザーネが何か喚いているのが聴こえたが、何を言っているのかまではわからなかった。ただ歩兵はその声に耳を貸さず、恐怖に歪んだ表情のまま、一目散にこちらへ押し寄せてくる。
ジグリットは先頭を走ってくる貴族側の歩兵とすれ違いざまに、馬を緩めて大声で訊ねた。
「おい、おまえたち、なぜこっちへ来る!?」
歩兵たちは相手がタザリア王とは思わず、荒い息でなんとか応えた。
「な、なんでって、もう無理だよ・・・・・・ほとんど消耗戦だ。おれたちゃ矢の的になりてぇわけじゃねぇ。弓隊が街の上から射ってくるし、王宮の前には騎士団の騎士長が陣取ってるし、見えるだろう、門の真横から槍兵と騎兵が・・・・・・あんなの勝てるわけねぇよ」歩兵はがなり立てながら後方へ逃げて行く。
ジグリットは眸を上げて、前方の兵士の群れのずっと向こう側を見た。確かに抜きん出た高さの人間が数十人見えていた。馬上にいる一人が片腕なのを確認したジグリットは、それがサグニダだと悟った。
門前にいた貴族側の兵士が散らばり始め、それに続いて何百人もの歩兵が、門から溢れ出てきた。彼らは一斉にチョザから敗走して行くところだった。クストー・デザーネはまだ門前で歩兵を押し留めようとしていたが、ジグリットと冬将の騎士が近づいて来るのに気づくと、街へ逃げ込もうとした。
しかしそれは無理だった。出ようとする歩兵達に押されて、馬が進むことができなかったのだ。クストーは馬上で喚くほか」なかった。そして冬将の騎士がジグリットを抜いて、先に彼の許に辿り着き、剣を突きつけると、ようやくうなだれ、戦う前に負けを認めた。
それ以降の上流階級の敗走は、ほんの小一時間の出来事だった。凱旋門前でサグニダと合流後、ジグリットは街へ入って行き、残った十家の貴族をグーヴァーの前衛部隊と挟み撃ちにして捕らえることに成功した。
貴族に雇われていた傭兵達は、雇い主が掴まったと知るや否や、あっという間に街から姿を消していた。それに追従して他の兵まで逃げ出し、街の中は生きた人間の方が少なくなったほどだった。
ジグリットは戦意を喪失して逃げる兵まで追わず、貴族を全員、王宮へ連れて行った。当然ながら、兵は残って屍体の処理に当たらなければならなかったが、ドリスティとサグニダ、それにグーヴァーも共に王宮へ戻って行った。
翌朝、屍体は街の外へ出したものの、戦闘の色を残したままの街の広場で公開裁判が行われた。ジグリットは一人で彼らを裁定することは避け、市民代表者の意見も取り入れて十家の貴族を審判した。
「デザーネ兄弟は極刑とする。デザーネ家の財産は国庫に没収。ただちに街の復興に救与することとする」ジグリットがそう告げると、街中から歓声が上がった。
それは事実上デザーネ一族の崩壊を示唆していた。しかし首謀者であるデザーネ以外の貴族は、なるべく軽罰に留められた。タザリア王家といえど、一度に上流階級を失うことは避けたかったためだ。上流階級はこれまでも、タザリアを支える重要な一端を担っていた。それを失うわけにはいかなかった。
ジグリットにはこれで充分だった。上流階級が力を失わずとも、これで少しは国政をやりやすくなるはずだ。
処刑はその日のうちに行われ、上流階級は少年王に対する畏怖を、そしてチョザの街の人々は、彼の冷徹さと共に寛大さをも知った。
季節は紫暁月に入ろうとしていた。アンバー湖の氷が融け、花の季節がやって来る。それでもジグリットは、新たな問題が湧き上がる予兆を感じていた。なぜなら、問題の起こらない季節など、今までに一度もなかった。