表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
128/287

3-1

          3


 ジグリットがゴドイの馬に冬将の騎士と二人乗りして駆け出すと、怪我(けが)()っているはずの兵士まで追走し始めた。甲冑(かっちゅう)の重さはどんなに軽くとも四十五から五十五ポンド(およそ二十~二十五キロ)はある。怪我をしている者は後から来るよう言ったのだが、誰もジグリットの言うことを聞かなかった。彼らは冬将の騎士同様、今こそタザリア王のために命を()して戦うときだということを理解していた。

 ジグリットの眸に前方をいまだのんびりと行く騎兵(きへい)の頭が見えてきたのは、彼らにも凱旋門(がいせんもん)礎石(そせき)が見え始めた頃だった。チョザの街へ入られたら、ジグリットの少数の分遣(ぶんけん)隊では、サグニダやグーヴァーの軍との囲い込みはできないだろう。逆にたった四十人ばかりの兵では、あっという間に()られてしまう。そうなる前にとジグリットは馬をさらに急がせた。すでに人間の足で追いつける速度ではなくなっていた。後方に置いていかれた兵士達が全力で追いかけて来るが、それでも次第(しだい)に距離が開き始めていた。

 冬将の騎士はジグリットに手綱(たづな)を任せていた。その間に、騎士は自分の右腕を休めていた。こんなことなら王宮付きの医師に鎮痛剤(ちんつうざい)(もら)っておけばよかったと、騎士は思っていた。



 背後から近づく敵の気配を察知したのは、十家の一つであるヒヴァ夫人の夫、ヒヴァ公だった。黒髪をきれいに後ろへ()で上げた()せたこの男は、後衛軍の中でも最後尾を進んでいた。いつもは妻であるヒヴァ夫人に一族のことは任せっきりで、自分はウァッリスの愛人のところで暮らしているこの男にとって、タザリア王への反乱など、上流階級(アルコンテス)に対する義務としての共同歩調の意味しかなかった。当然のことながら、彼は裏ではタザリアから手を退き、完全にウァッリスへ拠点(きょてん)を移す算段を整えていた。

 上流階級との繋がりは大事だが、それ以上に命はもっと大切だ。タザリア王を倒したとして、すぐに彼らがタザリアを牛耳(ぎゅうじ)ることができるとは思えなかった。ヒヴァは臆病(おくびょう)だったが、その分慎重(しんちょう)洞察力(どうさつりょく)()けていた。

 ヒヴァは何度も何度も振り返り、敵ではなくデザーネの飼い犬である番豹が戻ってくるのを見ようとしていたのだが、彼の眸に映ったのはあの凶悪なゴドイ・マリーノではなく、一頭の馬が二人の人間を乗せて、猛然(もうぜん)と駆けてくるところだった。

 ヒヴァは声を上げなかった。敵が来たと口にする前に、彼はアンバー湖とは逆の、この時期はだだっ広い雪の原になっている小麦畑に向かって馬頭を(めぐ)らした。彼は一人、懸命に(あぜ)を下り、西へと逃げて行く。ヒヴァは王の分遣隊が行き過ぎるまで待ち、さっさとウァッリスの愛人の(もと)へ逃げようともう決めていた。もちろん彼の妻であるヒヴァ夫人など、男の頭にはすでになかった。

 しばらくして、フレッドはヒヴァ公の馬が、なぜか畑を突っ切って行くのに気づいた。彼はなぜ、その臆病者が西へ駆けて行くのかわからなかった。しかし前を行く兄にその事を告げようとした直後、背後で叫び声が上がった。

 フレッドは馬を止め、兄が振り返りすぐに驚愕(きょうがく)に眸を見開くのを見た。クストーは口の中で誰かの名前を(つぶや)いた。そして次にフレッドにも聞こえるほどの大声で叫んだ。

「そんなところにいたとはな、タザリア王ッ!!」

 驚いたフレッドも馬を反転させる。そこでは両脇を兵士に挟まれた一頭の馬がいた。乗っているのは右に剣を振りかざしながら手綱を握る少年と、左の兵士を斬りつけている頭一つ抜きん出た騎士だ。全身黒光りした漆黒(しっこく)の騎士の姿にフレッドは畏怖(いふ)した。

 ――あれは(おおかみ)じゃないか・・・・・・。

 兄のクストーがフレッドに並び、吐き捨てた。

(くそ)ったれのゴドイめ! 狼を仕留め(そこ)ねたな」

 しかしクストーは狼の存在を無視してタザリア王と(おぼ)しき少年に再び叫んだ。

「王が自ら来るとは見上げた度胸だッ! だがこんな街道(かいどう)で死ぬより、玉座で死んだ方がよかったろうに」

 兄が剣を抜くと、フレッドは続いて剣帯に触れた。剣戟(けんげき)稽古(けいこ)なら何度もしてきたが、本物の戦いで剣を抜くのは生まれて初めてだった。そして兄の激高した眸を見つめ、武者震(むしゃぶる)いしながら長剣(ちょうけん)を抜いた。それは彼の腕にはあまりに重く感じた。

 その間も次々と兵士を(たお)して一頭の馬がフレッドに近づいてくる。十家の内の一つであるベルゲン家の当主が、少年王に向かって剣を振り下ろす。しかし見た目にも、その剣技には差がありすぎた。ベルゲンの肩当(かたあ)てはそれは立派な銀の白鳥の装飾(そうしょく)物で(おお)われていた。男がもたもたと剣を持ち上げる間に、その(かぶと)(よろい)()ぎ目を少年王が突き、血飛沫(ちしぶき)と共に(やいば)を抜き取った。

 ベルゲンは断末魔(だんまつま)足掻(あが)きを見せる間もなく、馬上から落ち、地面に斃された兵士達の仲間入りを果たした。その光景は貴族も平民もなく、ただの屍体の山の一つだった。

 フレッドの全身から(あせ)が噴き出した。(おのの)きながら兄を見返すと、クストーはまだゴドイに対する不平を()らしていた。少年王が次の兵士を打ち斃す。さらに次も。その次も。同様に漆黒の鎧の狼が左側に押し寄せる兵士を難なく片腕で排除(はいじょ)していく。

 フレッドの(のど)に「兄上、逃げましょう」という言葉が浮き上がり、沈み、また浮き上がった。しかし兄は馬上で傍観(ぼうかん)しているだけだった。やがて兄が弟に言った。

「フレッド、王を殺せ! ()け!」

 剣で少年王を指した兄の姿を、フレッドは信じ(がた)い思いで見つめた。

「兄上、逃げましょう」やっと彼はその言葉を口にした。

莫迦(ばか)を言うな! ヤツを斃せばこの国はわれわれの物になるんだぞ!」

「しかし・・・・・・ッ」

 ぐずぐずしている弟をクストーは強引に、隣りから馬の(しり)を蹴って走り出させた。

()()けッ!」

「兄上ッ!!」

 勝手に走り出した馬に乗ったまま振り返ったフレッドを、クストーは剣を下げ見送っていた。その瞬間、フレッドは兄が自分を何の躊躇(ためら)いもなく恐怖の(ふち)に叩き込んだことを知った。兄に対する信愛が、(つゆ)のように掻き消えるのをフレッドは感じた。しかしすでに遅かった。



 ジグリットは誰が上流階級(アルコンテス)の当主かを、戦いながらも察知していた。ここにいるのは十家のうちの四家の当主だった。そのうちベルゲンをジグリットが、そしてレイズとボレーの当主をファン・ダルタがすでに打ち破っていた。ベルゲン以外は死んではいなかったが、彼らは深手を負って地面に倒れていた。それで充分(じゅうぶん)だった。

 戦っている間に、後ろから二人を追って来ていた四十人近くの仲間がようやく追いつき、ジグリットと騎士の馬の周りから敵が消えると、前方がよく見えるようになっていた。ジグリットはデザーネの当主であるクストー・デザーネと、その弟のフレッド・デザーネがただこの戦いを静観しているのを見て、すぐに馬をそちらへ向けた。

 冬将の騎士が背後からジグリットの(こし)を、折れた右腕でなんとか固定したまま言った。

「陛下、二人を相手にするのなら、わたしは馬から下ります。このままでは動きが取り(にく)い」

「わかった。だが・・・・・・ちょっと待ってくれ」

 その(こた)えにジグリットの視線を追って、騎士も眸を上げる。すると、デザーネ家の兄弟のフレッドの方がこちらへ全速力で駆けてきていた。すでにフレッドとの距離は、馬を止めて降りていられるような悠長(ゆうちょう)な時間を残していなかった。冬将の騎士はジグリットを馬から落ちないよう、さらに強く引き寄せた。

「お命頂戴(ちょうだい)!」フレッドはジグリットと剣を交えるため、左側へ馬を寄せた。

 互いの馬がすれ違う瞬間、ジグリットとフレッドの(やいば)がぶつかり、硬い音をたてて二人の剣が()ね上がった。フレッドは器用に馬を反転させ、再び向かってくる。ジグリットも同じように反転して、それを待つ。

 フレッドの心の内は混沌(こんとん)としていた。この少年王に対する(うら)みも怒りもない。なのになぜ剣を向けているのか。

 ――兄上が言ったからだ。デザーネが隆盛(りゅうせい)するために、兄上が喜ぶために、だから・・・・・・。

 ――だが兄上はおれのためとは一度も言わなかった。

 剣と剣を打ち合い、また馬を反転させる。

 ――兄上は(やさ)しい方だ。おれをゴドイから遠ざけてくれていた。だが、本当にそうだったのだろうか。

 剣は衝突(しょうとつ)を繰り返す。

 ――あの極悪人のゴドイをナフタバンナから連れて来てデザーネの用心棒に()えたのは、父上じゃない。

 ――兄上じゃないか!

 馬を駆り、少年が振り上げる刃に向かって行く。その眸に、ずっと先でこの戦いを見守っている兄の姿が映った。クストーの表情には何の感情も見受けられなかった。弟が死ぬかもしれないというのに、兄は淡々(たんたん)と見つめているだけだった。

 ――兄上が大事なのは、玉座だけ。

 ――おれのことなど・・・・・・。

 そのとき、フレッドの剣はジグリットの攻勢(こうせい)を受けて、力なく吹き飛んだ。手の中が軽くなり、フレッドは眸を見開いた。

「兄上ッ!!」フレッドは助けを求めて兄を見た。

 しかしクストーは馬を回しただけだった。弟に背を向け、クストーの馬はチョザの凱旋門へと走り出した。フレッドの首筋にジグリットの冷たい刃がぴたりと当てられる。

「降参しろ!」

 フレッドにはそれ以上、戦う理由がなかった。彼は頷いた。死の恐怖よりも、兄に見捨てられた失意に、フレッドは打ちのめされていた。

 冬将の騎士は馬から降り、フレッドにも降りるよう言うと、すでに戦いを終えていた兵士達と共に怪我を負っている貴族二人とフレッドを(なわ)(しば)った。

 クストーが去ると同時に、敵兵はそこかしこに逃げ去っていた。

「ファン、ぼくはクストー・デザーネを追う!」

 ジグリットが馬上から告げると、冬将の騎士は「わたしもご一緒します」とフレッドの馬を見つけて素早く飛び乗った。

「いや、おまえは手綱もまともに持てないだろう。一人で大丈夫だ」

「またそんなことを言って! あなたという人は、一体いつになれば――」

 小言(こごと)を言い始めた騎士に、ジグリットは思わず(ひる)んで(あわ)てて頷いた。

「わかったわかった、一緒に行こう」

 ジグリットがさっさと出発する。これ以上、騎士に口うるさくされたら、戦う気概(きがい)もなくなりそうだった。兵士に貴族を王宮まで連れて行くよう命じて走り出すと、冬将の騎士もようやく黙ってついてくる。

 彼らは馬をできるかぎり疾駆(しっく)させ、懸命にデザーネを追い始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ