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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
127/287

2-2

 ジグリットは押し寄せてくる敵兵になんとか応酬(おうしゅう)していた。(よろい)()ぎ目を(ねら)って放たれる広刃(ひろは)の一撃を()け、相手の(のど)を叩き斬る。敵の歩兵は人数合わせのために集められた雑兵(ぞうひょう)とは違い、訓練を積んだ士官並みの手練(てだれ)ばかりだった。しかしこちらの部隊も五十人全員を腕の立つ者で固めてきている。互いに一歩も(ゆず)らず、ジグリットは仲間が敵を(たお)したかと思うと、すぐに別の敵に斃されるのを眸にした。

 冬将の騎士だけは別で、彼はジグリットを(かば)いつつも、敵を次々に斬りつけていた。黒貂(くろてん)外衣(マント)におびただしい血が飛び散っていたが、元が黒いため見た目にはわからなかった。騎士は敵兵が絶命するときには、すでに次の相手を斬り()せていた。そうして足元に倒れた兵士を邪魔(じゃま)なら蹴飛ばし、踏みつけ、次の兵士の渾身(こんしん)の一撃までをも軽々と受け流すと、相手の肩口(かたぐち)(やいば)を突き込んだ。

 ――ファン・ダルタを連れて来てよかった。

 ――これならこの部隊を完全に(つぶ)せる。

 しかしジグリットのその確信は長くは続かなかった。一人の騎兵が現れたからだ。男の(かお)を見た瞬間、ジグリットはぎょっとして後ずさった。潰れた鼻に(ただ)れた頭皮、(わず)かに残ったちぢれ髪の下に、薄笑いを浮かべた不気味な眸が光っている。すぐ後ろにいた冬将の騎士が、眼前の敵兵の喉仏(のどぼとけ)をまっぷたつに断ち斬ると振り返った。

 周りにいた兵士達は手を止め、敵味方の区別なくその巨体の男の馬から離れた。男がジグリットと冬将の騎士の前まで来ると、その空間だけ、ぽっかりと広く開いた。

 男は馬上から眸を(すが)めて、冬将の騎士を見ると言った。

「おまえがタザリアの黒い(おおかみ)か」その声は低く潰れて聞き取り(にく)かった。

 ファン・ダルタは(にら)みつけただけで(こた)えない。すると、巨体の男は馬から飛び降りた。その瞬間、辺りに鼻を(ふさ)ぎたくなるほどの酒の(にお)いが充満した。どうやらこの男の体臭(たいしゅう)らしい。

「おれはデザーネの番豹(ばんぴょう)ゴドイ・マリーノだ」

 ゴドイが名を告げた途端、ファン・ダルタはジグリットを引き寄せ、自分の背に隠した。そしてにやにやとしまりのない顔で二人を見ているゴドイに、冷淡な笑みを返した。

「名高い犯罪人、ゴドイ・マリーノなら、おれも知っている。ナフタバンナから追い出されたほどの極悪人だ」

「知って下さってるとは、有り(がた)いね」ゴドイは心底嬉しそうに、目尻(めじり)を下げた。

 ファン・ダルタはゴドイ・マリーノが女子供に暴力を振るう下衆(げす)な男だということを聞き(およ)んでいた。それは男の戦士としての腕と同じくらい広く知れ(わた)っていた。

 ゴドイはファン・ダルタの背後から自分を(うかが)う少年に眸を止めた。番豹はタザリア王の顔を知らなかった。ただ、別の意図(いと)を持ってジグリットを熱い眸で見つめた。

「男の戦いの場に、そんな可愛(かわい)い男の子を連れて来るとは、狼も(すみ)に置けねぇな」

 にやにやしているゴドイに、ファン・ダルタは剣を強く握り締め、怒鳴った。

「無礼な口を叩くな!」

「おまえを殺して、そいつを可愛がってやるよ」ゴドイはいやらしい眸でジグリットを見ながら、舌舐(したな)めずりをした。背筋が寒くなり、ジグリットは冬将の騎士の後ろに完全に隠れた。男の眸の届かない場所まで走って逃げたいほどだった。

「下がっていてください」騎士の声が瞬時に(するど)くなった。

 ジグリットは言われた通り彼から数歩下がった。その直後、冬将の騎士は黒い刀身を振りかざし、ゴドイの(かぶと)(かぶ)っていない(はだか)の頭部に斬りつけた。止まっていた周りでの戦闘も再び開始される。

 ゴドイはその躰に見合わず敏捷(びんしょう)だった。番豹は背負っていた武器を取り出し、冬将の騎士の長剣を片手で食い止めた。

 (スパイク)のついた戦鎚(ウォーハンマー)を軽々と振り、今度はゴドイが騎士に狙いをつけて振り下ろす。冬将の騎士は受けずに(かわ)して、流れるような動作で次の一撃を()り出した。ゴドイの(かわ)製の腕当てに深い(きず)が走る。しかしそれは男の太い腕に何の痛手も()わさなかった。

 逆にゴドイは腕当てから刃を退()こうとする冬将の騎士に、猛打(もうだ)をお見舞いした。右の二の腕を戦鎚で(なぐ)られ、冬将の騎士は横に吹っ飛んだ。ジグリットはファン・ダルタが倒れるのを初めて見た。それは(おそ)ろしい光景で、ジグリットは(くちびる)が震え、(まばた)きもせず騎士を見つめた。彼は起きてこない。

 下卑(げび)た笑いを()らし、番豹がジグリットに近づく。

「さぁ、これでおまえはおれのもんだ」丸太のような太い腕が伸びてくる。

 ジグリットが避けようとする前に、間近で戦っていた二人の兵士が間に飛び込んだ。

「陛下、逃げてください」「早くッ!」

 二人の兵に言われても、ジグリットは動けなかった。ファン・ダルタがこんな粗暴(そぼう)な男に負けるはずがなかった。

 ゴドイは兵士の言葉に初めて顔をしかめた。

「陛下だと!? この坊主(ガキ)がタザリア王だというのか!!」

 番豹は(やと)(ぬし)であるクストー・デザーネがなんと言っていたかを思い出そうとした。タザリア王に出くわしたら、殺してもいいと言われたかどうか・・・・・・。考えている間に二人の兵士が向かってきた。ゴドイは上を向いて思考しながら、まともに眸を向けることもなく、二人の兵士の頭を、ほぼ同時に戦鎚の一振(ひとふ)りで吹っ飛ばした。

 ジグリットはその瞬間の骨が(くだ)ける音に、怒りより先に恐怖が立った。長剣を握る手が汗ばみ、ゴドイ・マリーノの凶悪な笑みを前に躰が(すく)む。

「まぁいい。おまえをデザーネの(もと)に連れて行こう」

 ゴドイは今度こそジグリットを捕まえようと手を伸ばした。しかしまたしてもその手は届かなかった。ジグリットは歯を()み締め、力一杯ゴドイの腕を斬りつけた。ゴドイは華奢(きゃしゃ)な少年の一打ぐらい(よろい)はおろか、なめし革でも大した疵の心配は不要だと避けなかった。だがジグリットは狙いすましていた。冬将の騎士が疵つけた場所と同じ箇所(かしょ)にジグリットは刃を食い込ませた。

「う゛お゛お゛お゛ッ!!」ゴドイは(けもの)のように()え、血が噴出(ふんしゅつ)した腕を見下ろした。

 男の眸に憤怒(ふんぬ)(たた)えた獰猛(どうもう)な光が宿(やど)り、ジグリットは半歩下がった。そしてゴドイの戦鎚が今度は自分の頭を吹っ飛ばそうと持ち上げられた瞬間、ゴドイが再び絶叫した。

 冬将の騎士がいつの間にか起き上がり、ゴドイの膝裏(ひざうら)を突き刺していた。

「ぐああぁぁぁぁッッ!!」番豹は(うずくま)り、痛みに(もだ)えながら戦鎚を後ろに向かって振り回した。

 ファン・ダルタはそれを見極めて素早く避けた。そしてゴドイを挟んで立っているジグリットを見た。少年は無事だったが、ゴドイの左右に兵士が二人死んでいる。騎士の胸の内に怒りが()き上がった。

 番豹も同じくらい怒っていた。男はあまりの怒りに顔が黒ずみ、ジグリットのことなど忘れて、狼をなんとしても殺そうと、戦鎚を手に振り向きながら立ち上がろうとした。

「貴様、殺してやる! 殺してやるぞッッ!!」

 しかしそれが男の最後の言葉になった。ファン・ダルタは立ち上がる直前の男の首が、自分の折れた右腕がなんとか持ち上がる高さにまで来るのを見計(みはか)らっていた。そしてその一瞬の好機を逃さず、剣を()いだ。

 騎士を罵倒(ばとう)しようとしていたゴドイは喉の奥で、ごぼっと無様な音を立てるしかなかった。頸動脈(けいどうみゃく)が断ち切れ、鮮血(せんけつ)が飛び散った。ゴドイは冬将の騎士の前に盛大な音を立てて、仰向(あおむ)けに倒れると、急いで血を止めようと自ら手で首を押さえたが、やがてそのまま動かなくなった。

 番豹が死んだことを見届けたファン・ダルタは、すぐにジグリットに()け寄った。

「お怪我(けが)はありませんか?」

 ジグリットは安堵(あんど)と同時に、ゴドイが倒れると我先にと敵兵達が逃げ出すのを見ていた。名ばかりとはいえ、後衛軍の指揮官が()られたのだ。ジグリットの部隊と戦っていた多くの軽装歩兵が、チョザとは逆へアンバー湖沿いを逃げていく。

「・・・・・・ぼくは大丈夫だ。それよりファン、おまえの方が(ひど)いな」

 (まゆ)を寄せたジグリットに、騎士は右腕を隠すように躰を()らした。

「これぐらいはなんともありません」

「なんともないわけないだろう」

 ジグリットが右腕を掴むと、騎士は初めて顔を(ゆが)めた。

「そんなことより陛下」なんとか話題を変えようと騎士はチョザへの道を指した。「デザーネの用心棒がいたということは、このすぐ先にデザーネの当主もいるはずです」

「だろうな」ジグリットは彼らがすでに進んでいることから、番豹をよほど信頼していたのか、またはこちらの部隊を甘くみたのだろうと考えていた。「やつらがチョザの街にいる本隊と合流する前に、貴族を捕らえないと・・・・・・」

 しかし戦闘の(かなめ)である冬将の騎士の腕を取り、手近に落ちていた敵兵の剣の(さや)を拾い上げてジグリットは彼の腕に()()した。彼の右腕の肩当ては、鋼鉄(こうてつ)製にも関わらず無残にへしゃげていた。

「おまえはここにいろ。ぼくと怪我のない者だけで追いかける」

 騎士は言われて、それを一笑に付した。

「それはわたしへの侮辱(ぶじょく)ですよ、陛下。ろくに戦い方も知らない貴族連中相手に、わたしが負けるとお思いですか?」

「そうは思わないけど・・・」

 ファン・ダルタはまだ(あや)ぶんでいるジグリットを放って、さっさと生き残っていた三十人ほどの兵士を呼び集めた。その内の半数ほどが手酷い疵を負っている。それでも彼らは(みな)、少年王と共に行くことを躊躇(ためら)わなかった。おかげでジグリットは、ファン・ダルタの意志に反対することができなかった。どちらにせよ、この手負いの狼が行くと言えば、たとえジグリットでも(おさ)えられるはずがなかった。


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