表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
126/287

2-1

          2


 馬上のフレッド・デザーネの眸には、破壊された凱旋門(がいせんもん)(わず)かに残った上部が見えていた。それはまだずっと先にあったが、緩慢(かんまん)な進み方をしていた後尾と違い、三千人にもなる長い後衛軍の先鋒(せんぽう)はすでに門を(くぐ)っている頃合(ころあい)だった。

 フレッドのいる位置は、後衛軍の中でも最後尾で、彼の後ろにいるのは、兄のクストーと上流階級(アルコンテス)の中でも大してやる気のない三、四家の貴族達だけだった。

 彼らは全員、重装備で馬の上にいて、視野の高いその場所から、時折聴こえる戦闘のざわめきに耳を傾けていた。何度も先陣と後方とを行ったり来たりしている斥候(せっこう)の報告を受けながら、兄のクストーが指示を出している。

 その兄のすぐ側では、デザーネ家お(かか)えの番豹(ばんぴょう)ゴドイ・マリーノが、血の臭いを()ごうとするかのように、眸をきょろきょろさせて落ち着かなげに前方を(うかが)っていた。ゴドイは後衛軍の指揮官だったが、その野蛮(やばん)な男は今のところ、そうした仕事をすべて兄のクストーに任せっきりだった。興奮に赤らんだ眸で、ゴドイが敵の姿を(さが)すのを、フレッドは気分を悪くしながら見ていた。

 ――ゴドイは殺しても良い相手を捜している。

 フレッドはぞっとして、男の視界に自分が入らないよう、さらに馬の(あし)(ゆる)めて後方へ下がって行った。本当なら前線に立って戦いたいはずのゴドイが、兄の側にいるのには理由があった。兄のクストーはすでに前方にいた部隊までもを、先に凱旋門へ進攻させていた。そのため自分達の周りには少数の兵しか残っておらず、さらに凱旋門の手前まで行っているはずの味方の部隊との距離は、彼らの視界の届かないところにまで開いていた。

 傭兵(ようへい)(やと)い増強したおかげで、タザリア王の(ひき)いる軍との人員の開きは大きく、クストーは余裕を持ってこの戦いに(いど)んでいた。彼らは最初から戦闘に加わるつもりはなく、勝利を眸にし、悠々と馬で王宮へと上がって行くためだけに進攻していたので、本隊との距離は開くばかりなのも当然だった。

 しかしフレッドは今の自分達を守る(かなめ)がよりにもよって、この愚劣(ぐれつ)な番豹しかいないことに腹立たしい気分だった。彼はしんがりの旗騎士(バナレット)に並び、その兵士に八つ当たりした。

「おい、頂華(ちょうか)が下がってきているぞ。しっかり持て!」

 若い旗騎士は、(あわ)てて軍旗を持ち上げた。そのとき、風に揺れる吹き流しを振り返っていたフレッドの眸にある光景が飛びこんできた。

 最初は粉雪のようにしか見えなかった。自分達が通って来た街道(かいどう)の上に、まだ(ただよ)っている(きり)(まぎ)れて、ぽつぽつと白い点が動いていた。その中には一点の黒も混じっている。フレッドは首を傾げた。

 ――山から吹かれてきた雪か・・・・・・。

 特に気にもかけず、フレッドはまた前を向いた。旗騎士を含め、誰もそれ以降振り返りはしなかった。次にフレッドが振り返ったとき、若い旗騎士は馬上におらず、地面に転がって死んでいた。



 街道を進んでいたジグリットの眸に混合軍のしんがりが持つ軍旗が映ったとき、冬将の騎士が合図して、全員が街道の(わき)の草むらに瞬時に隠れた。五十人の兵は静寂(せいじゃく)を保ち、ジグリットが確認のため振り向くと、全員が何をすべきかを理解している顔で大きく頷いた。

 彼らは中腰(ちゅうごし)のまま()れた(すすき)の中を音を立てずに進んだ。前方の敵兵をジグリットはよく観察した。見たところその部隊は貴族と少数の兵士で構成され、傭兵や雑兵(ぞうひょう)の姿はない。上流階級の十家の出身だろう身なりの良い五人ほどの重装備の男達は全員騎乗(きじょう)していたが、その他に馬に乗っているのは十人ほどで、残りの四、五十人余りが軽装歩兵だった。

 ジグリットは最初の攻撃に備えて、剣を抜いた。隣りから冬将の騎士が耳元で(ささや)く。

「ジューヌ様、絶対にわたしから離れないでください」

「わかっている」

 ジグリットは背後の射手に左手を上げ合図した。射手の放った矢が勢いよく草むらから飛び出し、旗騎士の背中を(つらぬ)いた。馬から落ちる敵の姿を見ながら、すでに射手二人を残した全員の兵士が剣を手に立ち上がり、雄叫(おたけ)びと共に後衛軍へと突撃(とつげき)した。

 旗騎士が落ちる音を聞いて、上流階級の後衛軍は背後からの敵の急襲(きゅうしゅう)(あわ)てふためいた。フレッドは馬を()り、前方へと逃げて行く。兄のクストーの側が一番安全だと彼は知っていた。

 前方にいたクストーも、この後方からの攻撃は予期していなかった。おかげで共に行軍していた四人の十家出身者達は恐怖に(おび)え、見かけ倒しの装飾の(ほどこ)された剣を抜いたものの、急いで前方へと馬を進める。重装備である彼らは速駆けしようにも、躰中に着けた防具のおかげでまともに手綱(たづな)をさばくこともできなかった。重い甲冑(かっちゅう)の貴族を乗せた馬達は、首を振り走るのを嫌がった。

 クストーは唯一の頼りであるデザーネ家の用心棒、ゴドイを後方へ向かわせようとしたが、すでにその番豹は嬉々として馬を反転させ走り去っていた。頼もしい限りだ。クストーはにやりと笑った。敵に向かう歩兵とは逆走して、弟のフレッドが青白い顔で駆けてくる。

「兄上、敵襲です!」

 クストーは弟を(なだ)めるように微笑(ほほえ)んだ。

「大丈夫だ。ゴドイが向かった。人数を確認したか?」

 フレッドは激しく首を振った。そんな余裕はなかった。本当に敵だったのかも、彼は確認していなかった。

「ごめん」と謝った弟をクストーは(しか)らなかった。

「いや、背後から迅速に近づくことが可能な人数なら、たかが知れている。ゴドイが」いればなんとかできるだろう」

 不安を押し殺してフレッドは頷いた。兄がそう言うなら、きっと大丈夫なのだ。しかし背後ではすでに剣と剣がぶつかり合う音と、兵士達の絶叫(ぜっきょう)咆哮(ほうこう)が近づいていた。凱旋門の奥、チョザの街でも同じことが起こっているのだ。そのとき初めてフレッドはこれが死を()けた戦いであることに気づいた。その恐ろしさに彼は震えた。フレッドは自分が死ぬかもしれないなどと、今までに一度も考えたことすらなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ