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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
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第四章 立ち昇る戦塵の陽炎


          1


 山裾(やますそ)に沿って広がるアンバー湖は濃紺色の水を(たた)えて、吹きすさぶ風に時折激しい白波を立てていた。王宮、東南の角にある小塔(タレット)の細長く縦に開いた窓から、冬将の騎士はその湖を眺めていた。すでに騎士は黒く(みが)かれた(はがね)板金鎧(ばんきんよろい)をつけ、腕には(かぶと)を抱えていた。数分前に、チョザの凱旋門(がいせんもん)を貴族の軍が破壊して、侵入してきたとの報告は受けていた。(あせ)りはあったが、それよりも騎士の心を()めているのは、これからジグリットが無謀(むぼう)なことをしでかさないかという不安だった。

 ファン・ダルタは窓の下を五十人の()りすぐりの兵士達が準備を整えて、タザリア王を待ちわびているのを見下ろした。それから再び湖の表面をじっと見やり、(きり)(かす)んだ遠景に眸を()らした。そのとき、廊下の先から鉄鋲(スパイク)の足音が近づいて来て彼に声をかけた。

「ファン・ダルタ、待たせたな。そろそろ行こうか」

 振り返って騎士は、自分の主君の硬い表情を見た。緊張しているというよりは、自分の役目を果たすために集中している顔だ。それは良い兆候だった。

「すでに(みな)が待っていますよ」

「わかっている」

 ジグリットは石造りの螺旋(らせん)階段を先に降り始めた。小塔の階段を降りきり、小さな木製の扉から外へ出る。ファン・ダルタも続いて、二人はやっと一人が通れるほどの城壁と塔の外壁の間を通り抜け、さらに()びた鉄(わく)(はま)った扉を開いた。そこは城壁の外だった。

 城壁とアンバー湖に挟まれた岸の幅は五ヤールほどしかない。(がけ)になった真下に、凍りついたアンバー湖の水面が見えていた。湖岸は完全に硬い氷に覆われていたが、それは徐々に青みがかった薄氷(うすごおり)に変わり、数ヤール先からは氷水になっている。

 除雪されていない岸を、(すべ)らないよう二人は慎重に鉄鋲を食い込ませて歩いた。待っていた五十人の兵士達は、少年王が現れるとただちに整列した。

「長らく待たせてすまなかった」とジグリットは彼らに向かい言った。

 そしてアンバー湖に眸を移して、(くい)に繋がれた十ヤール下の七(そう)の舟を見下ろした。舟の周りだけ厚い氷が割られ、左右に人数分の(かい)が下がっている。そこへ降りるための梯子(はしご)もすでに用意されていた。

「くれぐれも慎重に行こう。今日は少し風が強いようだ」

 (おき)の方で、(とが)った波が白い筋になって湖を横切るのが見えていた。ジグリットの言葉に、全員わかっていると言いたげに大きく頷いた。誰も声を立てないので、その場は静かで、ずっと遠くのチョザの凱旋門からだと思われる人間の声とも、風の音とも取れる不鮮明なざわめきが聴こえていた。それはウワァーと長く尾を引いたり、ザアッと途切れたりしていた。冬将の騎士は騎士長やドリスティ、他の騎士達がチョザの街で奮戦(ふんせん)していることを思い、きつく(ほお)を引き締めた。

 兵士達は一艘の舟に五人から七人程度ずつ乗り込んだ。冬将の騎士はジグリットが乗った舟の船尾に立った。風向きは小塔から眺めて確認していたので、彼が先頭の指揮を()り、舟は進み始めた。

 ジグリットの舟を先頭に五十人の分遣(ぶんけん)隊は慎重に、そしてひっそりと進軍を始めた。彼らはアンバー湖を渡って街を通らずに、上流階級(アルコンテス)の後衛軍の背後に回ろうとしていた。

 首謀者である貴族の一群は最後尾を悠々と行軍して来るはずだ、というのがジグリットとマネスラーの共通の見解だった。さらに傭兵(ようへい)を多く含む混合軍は、ある意味大きな弱点を抱えている。それはたとえ炎帝騎士団の騎士十七人が指揮したとしても、傭兵達は元々無法者で後金を支払う貴族が捕まれば、もう戦う意味を失うということだった。彼らは金のためだけに戦うのだ。そして金を払う者がいなくなれば、散り散りになっていくことは簡単に予測できた。

 ジグリットはまず標的である貴族達を素早く捕らえることに主眼を置いた。そのため貴族の周りを手薄にする必要があったが、それは街へと混合軍を入れることで容易に果たせるだろう。南門の側面からサグニダの部隊が攻撃することになっているが、彼らは見るからに少数で劣弱(れつじゃく)だ。五千人もの混合軍にとっては()に刺されるぐらいのもの。街の中でも同じような波状攻撃が彼らを街の中へと(さそ)い込む。

 ただしこの作戦には何よりも見極めが必要だった。街の中へ入れる敵兵の数は常に一定に保たなければならない。多すぎれば勢いに乗って王宮まで突き進まれることも有り得る。貴族が調子づいて、自分達の周りから部隊を引き離し速度を上げ進撃させるだけでいいのだ。そうすれば背後から近づいたジグリットの少数精鋭(せいえい)の部隊で味方の軍と離れた貴族を捕らえることができる。

 冬将の騎士は最初にジグリットの話を聞いたとき、どうにも常識外れの無鉄砲(むてっぽう)な作戦にしか思えなかったが、それでも彼が行くと言うなら危険でもなんでも一緒に行動して、タザリア王を守るつもりだった。

 何も(さえぎ)る物がないアンバー湖上は強風が吹きすさび、進んで行くジグリット達の舟は激しく上下に揺れていた。それを王宮のアイギオン城から王女が見ていることに誰も気付かなかった。

 リネアは彼らが――特に二人が――戻って来ることを疑いもせず、不機嫌な様子で板金の耳飾りを(いじ)っていた。王宮の中にはみすぼらしい天幕(テント)が張られ、小汚い民衆共がうるさく歩き回っている。害虫のような彼らに神聖な自分の住まいを(けが)されるのが、彼女には()えられなかった。

 ジグリットが戻ってきたら彼の居室へ行って、好きなだけ責め立ててやろうと彼女は邪悪な笑みを浮かべた。しかし、それまで我慢(がまん)するにしても退屈すぎる。

 リネアは侍女のアウラを連れて、ジグリットの居室へ向かった。勝手に入ると彼は嫌な顔をするが、それもまた楽しかった。彼女はかつては父のものだった机の上に、ジグリットの筆跡(ひっせき)が残った書類を見つけると、それを一枚ずつ小さく指先で千切っていった。

「タザリア王がご帰還したら、これを門の上部から()きましょうね」とリネアは微笑(ほほえ)んだ。

 侍女は立派な緋毛氈(ひもうせん)絨毯(じゅうたん)に座って、次々と重要そうな書類を破る王女を手伝って、本棚からも書類の束を引き出していた。彼女達にとって、上流階級との戦闘など、(つゆ)ほども気にかけるべき事柄(ことがら)ではなかった。



 そうとは知らず、ジグリットは冬将の騎士と共に、背後に五十人の部下を引き連れてアンバー湖を渡っていた。湖は見通しの悪い白い霧に包まれていた。時折、頬を刺すような冷たい風が荒れ狂ったように吹き過ぎる以外には、彼らの櫂で水を切る音と、荒い呼吸だけが聞こえている。少しの時間の浪費(ろうひ)も戦いには敗因となる。ジグリット達は、徐々に速度を上げていた。

 湖の岸にようやく舟を寄せたときには、全員の息が上がっていた。しかしジグリットの部隊はアンバー湖から素早く岸へ上がると、霧の薄い街道(かいどう)沿いを見回した。雑多な足跡(あしあと)が何千人もの人間がそこを通った(あかし)に残されていた。しかし今は誰の姿も無く、ジグリットは上流階級の混合軍が、すでにチョザの街の近くまで進んでしまっていることに気づいた。

「急ごう。すでに後衛軍まで街へ着いているかもしれない。そうなったら、グーヴァーには押さえきれないぞ」

 ジグリットの言葉に冬将の騎士も同意した。

「そうですね。急いで追いつかないといけません。そろそろサグニダが西門から凱旋門へ向かっている頃合(ころあい)ですが、五百の兵では敵を分散させるのがやっとでしょう。(はさ)()ちにされたらひとたまりもありません」

「サグニダなら大丈夫だろう。彼には適度に押したり退()いたりするよう言ってある。危急の場合は外壁(がいへき)沿いに下がって、西門へ退くことも考えるはずだ」

 ジグリットは彼らが絶対に(たて)の陣を()くしかない凱旋門前では、横からの攻撃に弱いことを知っていた。マネスラーと共に考えた作戦では、サグニダの役割は横槍(よこやり)を入れることで、完全な交戦に入ることではない。

 問題はどれだけの兵をこちらの優位に(あやつ)ることができるかだった。凱旋門を通す敵の数は、グーヴァーの(ひき)いる前衛部隊より少ない方がいい。サグニダが南門に配備されたのは、そこで彼が門を通ろうとする敵の数を制御(せいぎょ)するためでもあった。しかしそうなると、街へ入れない敵兵はざっと見積もっても三千人にはなるだろう。彼らが引き返すことはあり得ないが、サグニダを追って西門から入ろうと外壁を回る可能性はあった。それだけは()けなければならない。

 そうなる前にジグリット達は貴族達に追いつく必要があるのだ。しかしジグリットには、貴族達がそんなに早く行軍しているとは考えられなかった。最後尾を務めるだろう彼らは、自分達が戦うことになるとは思ってもいないはずだ。そのために山ほど傭兵を金で(やと)ったのだから。

 ――だが、こちらの考え通りになるとは限らない。急いだ方がいいだろうな。

 ジグリットはしゃがんで長靴(ブーツ)(ひも)を締め直した。そして背後の兵士達にもそうするよう指示し、腰の剣帯(けんたい)を腕で押さえるとさらに速足になった。五十人の男達がそれについて、一斉に進み出す。朝の光は薄い霧を通して淡黄色(たんこうしょく)に輝き、彼らの()く手を明るく照らし始めていた。


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