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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
124/287

          7


 西門の指揮官であるサグニダにも、南の凱旋門(がいせんもん)が破壊された瞬間、(にぶ)い地響きが鉄靴(サバトン)を通じて感じ取れた。彼はしっかりと閉じられた西門の向こうに、人っ子一人いないことを知っていた。門を壊すにはそれなりに人員がいる。そのための兵を混合軍は()かなかったのだ。これはタザリア王の指摘通りだった。サグニダは門を開くよう部下に命じた。西門が静かに開き、二百の騎兵と三百の槍兵(そうへい)が街から外へ出た。彼らは即座に恐ろしい速度で進軍を始め、戦線へ加わるため、街を囲う外壁沿いに南へと向かった。

 その頃、ドリスティは凱旋門前で両者が激突した瞬間を、高い場所から眺めていた。血気盛んな男達が剣と槍で相手を斬り、突き、押し(たお)すのを見て、彼は恐怖に(おのの)きながら自分の番を待っていた。侵略者達は味方の死に無頓着(むとんちゃく)で、まだ息のある兵士を踏みつけながら進軍を続けている。それに向かうタザリア軍の前衛部隊は押されつつあった。

 青灰色(せいかいしょく)鉛瓦(なまりがわら)は積もっていた硬い雪の層を()けてなお、冷たく凍りついていた。腹這(はらば)いになって屋根の上に()せているドリスティにとって、時間は残酷なほどゆっくり過ぎた。凱旋門を破壊した破城槌(はじょうづち)は、見たこともないほど立派な(すぎ)の巨木に先端だけ(はがね)(かぶ)せて造られていた。しかしその破城槌はいまや敵兵達の(すさ)まじい力によって鋼がへこみ、無残な姿で防備塔の脇に転がっていた。

 防備塔で戦っていた仲間の射手達を思い、ドリスティは胸が詰まった。門が倒れると同時に右の防備塔は粉砕(ふんさい)され、いまは瓦礫(がれき)だけが散らばっていた。

「ドリスティ様、もうぼく腹が凍りそうです」隣りで同じようにうつ伏せている十代半ばの少年兵が情けない声で言った。

「もう少しよ」ドリスティも同じ気持ちだったが、それは真下を()けずり回っている兵士達に比べると、楽な仕事に違いなかった。「くれぐれもお(なか)が凍ったからって、立ち上がったりするんじゃないわよ。そんなことしたら、地上から串刺(くしざ)しにされるわ」

 ドリスティの(おど)しに少年はごくりと(のど)を上下に動かした。敵兵の中には確かに弩弓(いしゆみ)を背負った射手も混じっていた。

 二人の他にも街の大通りに面して建つ、中高層の建物の屋根にタザリア軍の弓兵が弩弓を構えて待機していた。いまはまだ敵味方入り乱れて戦っている。ドリスティの合図がなければ誰一人として矢を射ることはない。

「まだですか、ドリスティ様」少年兵は()れて叫んだ。

「下手に加勢すると味方に当たるわ。全員が退()くまで待つのよ!」

 眼下では何百人もの人間が、無数の(あり)の集団のように(うごめ)き、戦っていた。野卑(やひ)な怒号と絶叫と雄叫(おたけ)びが入り混じり、人間の声とは思えない地鳴りのような轟音(ごうおん)が大通りを埋め尽くす。屋根の()り出した部分から、下を(のぞ)いていた少年兵は、味方の兵士が傭兵(ようへい)残虐(ざんぎゃく)に斬り殺されるのを見て、小さく(うめ)き声を()らした。ドリスティはその兵士だけでなく、同じようにあちらこちらで苦悶(くもん)の悲鳴が上がるのを、彼らの命が尽きる瞬間と共にじっと注視していた。

 一人、また一人と味方の板金鎧(ばんきんよろい)の兵が(たお)れる。背負った長弓(ちょうきゅう)に手を伸ばし、何度もドリスティは即座に攻撃すべきだと考えた。しかし命令は絶対だ。前衛の総指揮官でもあるグーヴァー騎士長が合図をするまで、ドリスティの部隊は動けない。

 屋根(がわら)に寝そべった二人は、互いに手が届かない距離まで離れてはいたが、少年兵の歯ががちがちと()み合う音はドリスティにもはっきりと聞こえていた。それは恐怖より寒さから来るものだった。この場所は比較的良い防具をつけているドリスティにも、寒さを(しの)ぐには不充分(ふじゅうぶん)だった。他の射手達は全員、(あし)防具と詰め物をした灰色の胴着の上に軽い鎖帷子(くさりかたびら)(サレット)といった出立(いでた)ちで、テュランノスの連峰(れんぽう)を吹き降りてくる粉雪混じりの風には対処できなかった。ドリスティは一刻も早い合図を待っていた。

 十分も()たない内に、徐々にチョザの一番広い大通りを黒い炎の軍旗が王宮へと下がり始めた。ドリスティの眸が(ねずみ)一匹逃さないかのように、真剣な眼差しでそれを見つめる。彼は騎士長を捜していた。グーヴァーは前衛部隊の指揮官だ。最後に上がってくるのがグーヴァーだ。隣りの少年兵ももう寒さを忘れたかのように、大通りに眸を()らしている。

 そこで始めてドリスティは静かに腕を上げた。白い彼の長手袋が朝陽(あさひ)の中に輝く。手首を回して騎士は全員に弓を構えるよう指示した。チョザの大通りに連なる建物の上で、射手達が一斉(いっせい)に、だが物音一つ立てずに、自分の弩弓や長弓を準備する。

 大通りではタザリア軍の部隊が、王宮への坂を(すみ)やかに駆け(のぼ)って行く。逆流する川の流れのようにドリスティには見えていた。それを勢いに乗った混合軍が猛攻撃を仕掛けようと追ってくる。

「追えええぇぇぇぇぇッッ!!」

「逃がすな! 攻め込めッ!」

 黄金の旗と共に、雪崩(なだ)れのように人間が押し寄せるのが見えた。大通りの王宮へ至る(ゆる)い坂道を一気に駆け上ってくる。ほとんどが雑兵(ぞうひょう)らしく、その身なりは古びた鎖帷子だったが、中には自由騎士も混じっているのか、真新しい板金鎧もちらほらと見受けられた。

 その混合軍の先頭には、軍旗の旗棹(はたざお)のように長い(やり)を持った男がいて、時折振り返って戦いながらこちらへ上がってくる。

 ドリスティは弩弓を掴んで硬直している少年兵を鋭く一瞥(いちべつ)して叫んだ。

「前衛部隊が下がったら、一斉射撃(しゃげき)ッ!」

 同時に騎士長が、驚くほど通りの良い声で叫びながら通り過ぎた。

()てぇぇぇッッ!!」

 その背後を、追いついて斬りつけようとする敵の傭兵や雑兵といった、統一性のない格好をした男達が攻め寄せる。

 ドリスティは誰より先に立ち上がり、背負った矢筒(やづつ)から一本の矢を抜き取り構えた。隣りで少年兵が(あわ)てて自分の弩弓に、返しのついた矢をつがえる。

 ドリスティは迷うことなく最初の矢を放った。高い射出音と共に矢は一直線に飛んで行き、百ヤール先の(ねら)った人間の板金鎧の胸を(つらぬ)いた。ドリスティは百ヤール先の、五インチ(およそ12.7センチ)に満たない(まと)にでも正確に当てることができる名射手だった。

 しかし倒れ込むその人間の背を乗り越えて、先陣はなおも速度を変えず、(ひる)まず突き進んで来る。その(さま)にドリスティは戦慄(せんりつ)しながら次々と矢を放った。

 敵兵はまだ息がある仲間の兵ですら踏みつけて、無情に王宮へと駆け上ってくる。少年兵もドリスティに遅れながら、弩弓の矢を連射した。辺りの屋根全体から大通りに向かって多量の矢が降り注いでいた。矢尻(やじり)が人間に突き刺さり、鎖帷子や板金鎧に穴を穿(うが)つ音がそこかしこで響いていた。すでにタザリア軍の前衛は、王宮手前の大通りの(はし)にまで退いている。射手にとっては、眼下の敵を躊躇(ちゅうちょ)なく射ることができる絶好の機会だった。

 家々の屋根から矢を()らう混合軍は、初めのうちこそ士気も(そこ)なわず、勇猛に突き進んでいたが、大通りの中ほどまで来ると、さすがに舗道脇(ほどうわき)に逃げ込んだり、的となって割れた木の(たて)を放り出して逃げようとし始めた。中には瀕死(ひんし)の重傷者を盾にして後退する雑兵もいた。

 ドリスティは自分の背丈(せたけ)とほぼ同じ丈の長弓を休むことなく躰で押し出すようにして、矢を放っていた。あまりに素早い動作で矢を射るドリスティに、少年兵は隣りでその倍以上の時間をかけて矢をつがえながら驚嘆(きょうたん)していた。およそ十秒に一本を狙いを定めた上で放つことができるその速さと正確さは、並みの熟練(じゅくれん)兵では到底追いつくことのできないものだった。格好や言動で不真面目(ふまじめ)に見られることの多いドリスティだが、その腕前は才能よりも日々の鍛練(たんれん)賜物(たまもの)といえた。

 次々と矢を射ながら、的が次第に減って行くのにドリスティは気づいていた。後はタザリア王の采配(さいはい)にかかっていた。戦いはまだ始まったばかりだった。


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