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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
122/287

5-2

 それから二時間も()たない内に、ジグリットは凱旋門(がいせんもん)の上部で監視している兵からアンバー湖周辺の動きが(あわただ)しくなってきていると告げられ、最初の作戦に取り掛かっていた。

 すでに凱旋門や主要な街への門は閉じてある。集められた三千人近い兵士は兵舎とその前庭、それに王宮の内郭(ないかく)(あふ)れ返っていた。重々しい甲冑(かっちゅう)がぶつかり合う音や、鉄鋲(スパイク)のついた長靴(ブーツ)が土を荒らす音、そして何よりそれだけの人間の立てる声は、まだ()も昇らぬ紫紺(しこん)の夜明け前を騒がしていた。

 ジグリットのいるアイギオン城にもその喧騒(けんそう)は届いていた。しかし謁見室にはそれ以上に性急な命令の声と士官や兵士にぶつける怒号が飛び()い、ジグリットのいる長机の周りには五十人ほどの騎士、近衛隊員、そして士官候補生だった兵士など(よろい)(まと)った男達が入れ替わり立ち替わり走り回っていた。

 ジグリットは平民出身の騎士ラスナルを呼び、小柄ながらも剛健(ごうけん)な彼に二百名余りの隊を指揮させて街へ送り出した。その分遣(ぶんけん)隊は戦闘目的ではなく、すでにアンバー湖畔(こはん)から上流階級(アルコンテス)の軍が押し寄せると(うわさ)され、戦々恐々(せんせんきょうきょう)としているチョザの街の人々の(もと)へ向かったのだった。

 ジグリットは街での戦闘を予期して、民衆を王宮の内郭へ入れるつもりでいた。戦闘が始まれば、さすがに街の通りに出るような(おろ)か者はいないだろうが、それでも家に(こも)っていれば絶対に安心だとはいえない。貴族の軍は傭兵(ようへい)との混合軍だと聞いている。傭兵、すなわち金を目的としかしない(やから)は、ときに侵攻する道すがら非道を働くこともある。それは盗みだったり女子供への暴力だったり、または無意味な殺戮(さつりく)だったりする。それらから民衆を守るためにも、ジグリットはできるだけチョザの街に一般人を(とど)めておきたくなかった。

 騎士ラスナルが市民代表者(プラエコー)を説得し、民衆を連れて王宮へ戻るには、かなりの時間を要するだろう。もしかすれば説得に失敗することも有り得る。街の人間には全員が王宮へ上がれば、火事場(かじば)泥棒(どろぼう)的な犯罪の被害に()うのではないかと(おそ)れる者もいるはずだ。その他にもあれやこれやと文句をつけて街から動こうとしない人達も大勢いるだろう。

 だが、ジグリットが思っていた以上に早く、市民代表者を名乗る人物がアイギオン城を(おとず)れた。それは騎士ラスナルが出立(しゅったつ)して一時間ほど経った、東の空が明るくテュランノスの稜線(りょうせん)が白く光り始めたときだった。

 ジグリットは市民代表者が女だと言うことは聞き(およ)んでいたのだが、その人物が謁見室に現れるとその若さに驚いた。彼女、ティーカ・ランドギフは褐色(かっしょく)の巻き毛の(あご)(とが)った人物で、口を開くまでもなくきつい性格の持ち主だとわかった。ランドギフはジグリットを見ると挨拶(あいさつ)もそこそこにすげない態度で言った。

「このような早朝にどのようなご用件でしょう、陛下」

 ジグリットはランドギフが両腕を組んだ後、その指先が絶え間なく小刻みに動いているのを見ていた。彼女は(ひど)苛立(いらだ)っている。そのため、ジグリットはゆっくり間を取ってから答えた。

「・・・・・・急を要する話があって、あなたに来てもらったんだ」

 ランドギフは眸を(すが)めて、ジグリットとその両脇に立っているマネスラーと冬将の騎士を無遠慮(ぶえんりょ)に眺めた。

「最初に断わっておきますが、陛下」彼女はそこにいるすべての人間が気に食わないといったように顔を(ゆが)めた。「わたしどもチョザの街に暮らす者は、あなたやあなたの身の回りに起こっていることに、これっぽっちも関与したくありません」

 それを聞いてマネスラーが鼻を鳴らした。彼が無礼だと口にして話をややこしくする前に、ジグリットはランドギフに言った。

「そうとも言っていられなくなったので、あなたを呼んだ。数時間後には上流階級の軍が王宮へ侵攻を始める」

 今度はランドギフが鼻を鳴らす番だった。彼女はさらに苛立ち、靴底で御影石(みかげいし)の床をカツカツと(たた)いた。

「陛下、われわれチョザの民衆は誰一人として、あなたと貴族との(いさか)いに巻き込まれるつもりはありません」

 ジグリットは表面上は落ち着いていたが、ランドギフを説得するのは一苦労だと内心(あせ)った。時間は少ない。チョザの街の人間は王の言葉より、この市民代表者の女性に耳を傾けるだろう。彼女の協力がなければ、民衆に死者が出ることは容易に考えられた。

 ランドギフはジグリットを(にら)()えた。

「われわれは誰も戦うつもりはありません。たとえチョザの街に貴族の軍隊が入ってこようと、あなたのこの城が攻撃されようと、わたし達は傍観者(ぼうかんしゃ)としてしか存在しません」

 ジグリットは自分と彼女の考えの違いに気づいた。

「ランドギフ、わたしは一度もあなた方のような武器を持ったことのない人間に武器を持てとは言わない。むしろ、戦って欲しくないからこそ、ここへ来てもらったんだ」

「・・・・・・どういうことですか?」ランドギフはようやく睨むのを()めた。

「わたしはあなた方、チョザの街の人達を王宮に一時保護したい」

「保護ですって!?」

「ああ。上流階級の軍は凱旋門を破壊して、チョザへ侵入するだろう。そのとき、わたしの軍は彼らを街から追い出すために戦わなくてはならない。街に戒厳令(かいげんれい)()いて家から出ないように命じたとしても、民衆に犠牲者(ぎせいしゃ)が出る可能性はある。そんなことは極力()けたいんだ」

「・・・・・・王宮に避難しろって(おっしゃ)るの?」

「そうだ」ジグリットが頷く。

 ランドギフは呆気(あっけ)に取られたように眸を(まばた)いた。そして言った。

「それはあなたがお考えになったのですか、陛下?」

 予想外の質問にジグリットは首を傾げて「そうだけど、何か?」と訊き返した。

「ふぅん、新王はウァッリス出身の貴族の(あやつ)り人形だって聞いていたんですが・・・・・・」

 ランドギフのその発言に今度はジグリットが驚いて、隣りにいるマネスラーを見上げた。

「知っていたか?」

 ()かれてマネスラーはしれっと答えた。

「ええ。存しておりました」

 ジグリットは苦いものでも口にしたように、顔を歪めた。

「陛下、そんな顔しないでください。わたしは大人なんですよ、誹謗(ひぼう)中傷の一つや二つなんとも思いません」

 マネスラーがなんとも思わなくとも、ジグリットはそんな噂が街に流れているのを想像するだけでも嫌だった。

 ランドギフはまだ興味深そうに二人を見ていたが、やがて先ほどのジグリットの提案に対しての答えを返した。

「陛下、わたしはあなたが何を申されようと、このくだらない諍いにみんなを巻き込むわけにはいきません。被害者となるのは、どちらが勝つにしろわたし達なのですから」彼女は薄灰色の眸をジグリットに見据えたまま続けた。「陛下はチョザの街で貴族の軍を食い止めるおつもりでしょうが、それはつまり街で戦闘を行うということに他なりません。そんなことになったら、わたし達の家はどうなるでしょう? わたし達の店は? 陛下がすべて補償(ほしょう)してくださるならまだしも、あなた方は貴族軍と共に街を破壊して、わたし達の質素で穏やかな生活を奪い去るだけです」

「・・・・・・」

「街での戦闘はあなたや貴族軍にとって、瑣末(さまつ)なことでしょう。このような立派な王宮。アンバー湖畔の見事な貴族の豪邸。あなた方にとって街の破壊は何の痛手にもならない。ですが、チョザの街はわたしやわたしの家族、そして街の人々が積み上げてきた財産です。それをぶち壊さんとしながら、口先ではわたし達を守りたいのだと仰るあなたを、わたしが信用しないのも当たり前でしょう」

 鼻息も荒く言い(つの)ったランドギフにジグリットは暗い面持(おもも)ちで(うつむ)いた。

「あなたの言う通りだ」肯定する他なかった。「故意(こい)に街を破壊するつもりはないが、貴族軍が凱旋門を越えて街へ侵入すれば、少なからずこの王宮へ至る通りで両者が交戦し、あなた方の店や家屋に被害が出るだろう」

 ランドギフがそれみたことかと眸を細めた。しかしジグリットは、そこで彼女に一番この問題で重要な部分を()きつけた。

「だが、これだけは知っておいて欲しい。わたしが勝てばあなた方の財産は迅速(じんそく)に修復され、また元通りの生活ができるようになるだろうが、彼らが勝てばその補償は見込めないどころか、今以上に厳しい徴税(ちょうぜい)と貧富の格差が待っているのだと」

「やっぱりあなたにつけと仰るのね」再び彼女は王を睨んだ。

 ジグリットは否定も肯定もしなかった。ただ慎重に彼女に現実を告げることのみに徹した。

「わたしが言いたいのは、あなた方の財産は取り戻せても、死から人間を生き返らせることはできないということだ。街の人達をいますぐ王宮へ避難させて欲しい。それはあなたにしかできない」

 ランドギフの鋭い視線から眸を()らさず、ジグリットは彼女の答えを待った。ランドギフにはジグリットの言葉はこう聞こえていた。

『命より大切なものはない。そしてそれを救うことができるのは、今はあなただけだ』と。


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