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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
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 白帝月(はくていづき)84日。風のない曇天(どんてん)の早朝だった。フレッドは着慣れない環鎧(リングメイル)を着て邸内を歩いていた。そろそろ第一陣の出立(しゅったつ)の時間だ。屋敷の二階窓から小さく見える正門のさらに向こう側で、野卑(やひ)な男達が雄叫(おたけ)びを上げている。フレッドは最初に出て行く者達が、もっとも身分が低い貧民の雑兵(ぞうひょう)であることを知っていた。彼は(しわ)一つない陶器のような白い眉間(みけん)を寄せて、小さく(なじ)った。それは「さっさと死んぢまえ」だったかもしれないし、もしくは「戻ってくるなよ」だったかもしれないが、どちらにせよ廊下の突き当たりにある会議室で兄のクストーの鎧姿(よろいすがた)を眸にしたときには、忘れ去っていた。

 クストー・デザーネは会議室にいる十家の貴族の(いか)めしい連中の中で、唯一異彩(いさい)を放ち、堂々たる風格でそこにいた。彼は真珠(しんじゅ)のごとく光沢のある白い板金(ばんきん)鎧を着て、腰には滅多(めった)に手に入らない碑金属(レブロイド)の銀青色の長剣(ちょうけん)を下げていた。片腕に抱えた可動式面頬(ヴァイザー)(あぶら)(みが)かれ照り輝き、足には重厚な鉄靴(サバトン)()いていた。クストーの黄金色の外衣(マント)は背中に大きくデザーネの紋章である二本の(やり)を交差させた半人半馬(ケンタウロス)が描かれ、雄々(おお)しく後ろ足で立ち上がったその人物の顔は、フレッドには兄そのものに見えた。

(おそ)かったな、弟よ」兄が重い甲冑(かっちゅう)を物ともせずに軽やかな足取りで近づいて来る。

 フレッドは見惚(みと)れていた眸を(まばた)いた。

「すみません、ちゃんとした装備に時間がかかってしまって」

「別に構わないさ」クストーはフレッドの耳に口を寄せると彼にだけ聞こえる声で(ささや)いた。「こちらも戦ったことなんかないご老体ばかりで、いちいち時間がかかる」

 フレッドは兄の(ほが)らかな笑みに、ほっとした。クストーはまるでこれから夜宴(やえん)に出るかのように楽しげな様子だった。むしろそれは本当のことで、彼にとって王宮への軍の進撃は、盤上(ばんじょう)の遊びと変わりがなかった。たとえそれが五千人規模の傭兵(ようへい)との混合軍を(あやつ)ることでも、眸に見える盤が広くなり、チョザという街とその上部に(そび)える王宮を()とす目的は、いつもの遊びと同じだった。兄弟はよくその遊びをしたし、すでに事前に敵の(こま)()いである。何の問題もそこには見当たらなかった。

「準備が整っているに越したことはないが、わたし達が出立するまでにまだ随分(ずいぶん)時間がかかりそうだ」

 兄の言葉は本当だろう。フレッドが見たところでも、五千人がチョザへ向かうため、順々に出陣するだけでかなりの時間を費やすことになりそうだ。戦闘意欲など最初からないに等しかったが、長時間の待機を聞くだけで気分が(ゆる)む。兄は時間をかけてじっくり相手を陥落(かんらく)させる性質だが、フレッドはなんでも素早く行うのが好きだった。事前に策略を(めぐ)らしたり、一番最後に出陣するなどというのは、すべて兄の考えだ。こと今回の戦略に関しては、グラキーレ一族の騎士が()んでいるため、フレッドの役目などあってないようなものだった。

 クストーが机上(きじょう)の地図を見ながら、上流階級(アルコンテス)の十家の面々と最後の調整をしている間、フレッドはぼんやりと窓(わく)に寄りかかって外を眺めていた。すると、数分も()たない内に、会議室の開いたままの扉を誰かが強く二度ほど(たた)いた。一番近くにいたフレッドは振り返り、男が誰かを認識して顔を(そむ)けた。

 それはデザーネ家の用心棒でもあるゴドイ・マリーノだった。デザーネ家の番豹(ばんぴょう)とも呼ばれているゴドイは、(つぶ)れた鼻と、(ただ)れた頭皮に(わず)かにちぢれ毛の残った巨体の男だった。その外見だけでも凶悪だというのに、ゴドイの性格はそれを上回る残忍(ざんにん)さで、その番豹がもっとも好む小綺麗(こぎれい)な少年や(やわ)らかそうな少女達の範囲内に、自分が入っていることをフレッドは知っていた。男はその少年少女を()きるまで(もてあそ)ぶと、遊里でも使いものにならなくされた彼らを、結局は自分の飼っているこれまた(おそ)ろしげな()げ茶の猟犬(ハウンド)()わせるのだった。

 フレッドが青褪(あおざ)めて兄の方へ逃げようとする前に、クストーの方から弟に用事を言いつけた。

「フレッド、一階の厨房(ちゅうぼう)へ行って、香辛料入りの葡萄酒(ヒポクラス)を持ってくるよう頼んできてくれ。(のど)(かわ)いた。他の方々の分もだぞ」

 フレッドは一もニもなく引き受けた。自分を()めるように見ているゴドイから逃げられるなら、彼はどんなくだらない用事でも受けただろう。出て行くフレッドの耳に、兄がゴドイを呼び、細かく命令するのが聞こえた。

「できるだけ街を破壊するなよ。すぐにわたしのものになるんだからな」

「了解しております」ゴドイの声はその顔同様、(みにく)くひしゃげていた。

「貧民の家などは焼き払っても構わん。とにかく玉座の間でジューヌを殺し、王宮を掌握(しょうあく)するんだ」

「お任せください」

 ゴドイを後衛の指揮官に指名したのは、兄だとフレッドは聞いていた。あんな残忍(きわ)まりない男だが、腕は立つのだ。そして前衛の指揮は王宮からやって来たばかりのバスキオ・グラキーレに一任された。逆だったらよかったのに、とフレッドは溜め息をつきながら思った。廊下の(はし)まで来ても、まだ兄の声がかすかに聞こえた。

「敵兵は殲滅(せんめつ)しろ。どうせ平民と裏切り者の劣等貴族だ。容赦(ようしゃ)なく()ちかかれ!」

 フレッドは窓の外をまた長い隊列がチョザへ向かって進軍するのを見た。ぬかるんだ雪道を行く兵士達の装備は槍と剣、そしてそのほとんどが鎧ではなく、くすんだ灰色をした鎖帷子(くさりかたびら)の姿だった。彼らの命は金で買える程度のものだ。傭兵の内、半数以上は国内で(やと)われた貧民で、彼らは前金で五万ルバントしか(もら)っていない。死にに行くために進軍しているのだ、とフレッドは思った。それは可哀相(かわいそう)なことだが、そうと気づかないほどやつらは(おろ)かなのだから仕方がない。

「せいぜい敵の駒を(たお)せばいいさ――」

 ――そしてさっさと死ねばいい。しかし後半は胸の内に(とど)めて、彼はいつも兄とする遊びが始まったときと同じように、胸の高鳴りを愉悦(ゆえつ)()みに変えて一階へと下りて行った。


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