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その日は予測された最初の一日目だった。チョザの南門からアンバー湖沿いの雪道を長い兵士の行列が進んで行くのを、陽の落ちた夕刻に放牧から街へ戻って行く羊飼いの子供達がすれ違いながら、何事かと見つめていた。
クストー・デザーネは、グラキーレ一族の次男坊であり炎帝騎士団の中堅騎士であるバスキオ・グラキーレが自分の邸宅にやって来る前から、すでに彼の今後の身分と地位についてその場を空けていた。
上流階級の中ではいまだにタザリアへの決起を早すぎると言う者もいたが、十家の内で筆頭貴族であるデザーネ一族が起つというときに、座っている者はさすがにいなかった。そんな不義理は許されなかった。自分の一族を守るためにも、彼らはデザーネに賛同しなければならなかったのだ。しかしもちろんデザーネ一族と共に反乱への意欲を顕わにしている貴族もいた。カタソルド家や、マウンティ家などは俄然やる気になっていた。
マウンティは警備事業をやっていることもあり、彼は諸外国から傭兵を集めるのに一役買っていた。他にも貴族はそれぞれお抱えの騎士を含めた自警団を持っている。それに合わせて上流階級の十家が連合で保有する兵団を入れると、彼らの軍勢はすでに五千人を下らなかった。
グラキーレが自分に与した百五十二名を連れて王宮からデザーネの邸宅を訪れる頃には、アンバー湖周辺は路上にさえ天幕が張られ、騒然とした雰囲気になっていた。ごろつきのような傭兵の集団から、身なりの良い雇われの自由騎士まで、様々な甲冑を身につけた男達が、貴族の屋敷が連なる湖畔の周りを我が物顔でうろついていた。グラキーレは騒がしく落ち着きのない彼らを用心深く眺めながら、どの屋敷よりも立派な門構えを持つデザーネ家へと向かった。
グラキーレはデザーネが自分を快く受け容れることを知っていた。彼は王宮の人間であり、タザリア軍の指揮や戦術について熟知していたからだ。彼が連れてきた十七人の騎士もすべて貴族出身者で、グラキーレほど身分は高くなかったが、騎士全員が戦闘経験があり、部隊の統率者として申し分のない訓練を受けていた。
彼は騎士だけを連れてデザーネの屋敷へと入り、首謀者であるクストーとの久々の対面を果たした。グラキーレとクストーは幼い頃からの知り合いだった。彼らは共に上流階級の十家の集まりで何度も出会う機会があったからだ。とはいえ、グラキーレが次男ということで家督を継ぐ必要がないため、騎士として王宮入りした後は疎遠になっていたので、彼がクストーと会うのは二十年ぶりのことだった。
グラキーレの記憶の中で、クストー・デザーネはほんの小さな四歳の子供だった。まだ弟のフレッドは生まれてもおらず、デザーネといえば老獪で恐ろしい彼らの父親を指していた。だがいまや、クストー・デザーネは落ち着いた感じのする会議室で、他の上流階級の面々と栴檀のどっしりとした机を囲んで、地図を広げていた。彼は見るからに若々しく知的な面持ちで、口からはそれに見合った明晰な声を発していた。
その隣りにいる美麗の青年が、弟のフレッドであることは聞かずともわかった。ふわふわとした柔らかそうなくせっ毛の金髪の下から、くるくるとよく動く晴れた空のような青い眸が覗いていた。彼は父親よりも母親の美貌を受け継いだらしく、その眸は懸命に兄を追っている。
グラキーレが入って行くと、全員が彼を注視した。その鋭い視線の中で、もっとも冷たい眸をした青年が言った。
「よく来てくれました。バスキオ・グラキーレ公。お待ちしていましたよ」
クストーの声には媚びとはまた違った、無邪気ともいえる喜びが含まれていた。グラキーレは一瞬、眉をひそめたが、すぐに微笑んだ。
「こちらこそ、遅ればせながらではありますが、皆々様のお仲間に入れていただけますか?」
「もちろんだ」
「さあ、こちらへ」
上流階級の見知った貴族達に手招きされ、グラキーレは机の方へ近づいた。運輸業を営んでいるマルタ兄弟は、グラキーレ家によく客としてやって来るので、一番の顔見知りだった。グラキーレは父のためにも家督を継いだ兄のためにも、そして何より自分のこれからのために彼らに愛想良く頷いた。
「他の騎士の方々にも、ぜひ意見を聞かせていただきたいですな」鷲鼻のカタソルド公が扉口で不安そうに立っている十七人の騎士も中へ招き入れる。騎士達は全員がほっとしたような笑みを浮かべた。
グラキーレは王宮とチョザの街を写した地図を前に、まずは貴族達が考えた戦略に向かうことから始めた。タザリア王家を裏切ったことより、いまだ定まらない自分の未来に彼は戦いを挑もうとしていた。




