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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
炎虐の王女
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 つい数分前から(みぞれ)が降り始めた。昼間だというのに部屋は薄暗く、窓際の黒檀(こくたん)(テーブル)に置かれた三枝の燭台(しょくだい)から伸びた蝋燭(ろうそく)の炎が、不安定に風に揺れている。ジグリットはアイギオン城の王の居室にいた。外は身を切るような寒さだったが、それでもジグリットは窓を開けたまま、窓枠に(もた)れて物思いに(ふけ)っていた。

 そんなジグリットの思考を断ち切るように、扉がとんとんと軽く叩かれ、返答を待たずにすぐに開いた。蝋燭の炎が激しく揺れ、部屋の中のすべての影が不気味に動く。入って来たのは、冬将の騎士ファン・ダルタだった。彼は大股(おおまた)でジグリットの側まで来ると、浮かない顔をしている少年を(こわ)い顔で見下ろした。

「陛下、マネスラー公がお呼びです」

 騎士はジグリットの背後から開いたままの鎧戸(よろいど)を閉めた。そして少年が何か言う前に、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 ――まだあいつは怒っているのか。

 ジグリットはハァ、と大きく溜め息を漏らした。

 ファン・ダルタと言い争いになったのは昨日の晩のことだ。今日になって初めて会ったというのに、彼の態度は(やわ)らぐどころか硬化したまま。むしろ昨日はまだ怒っているとわかる程度に眉が寄っていたのに比べると、今日は恐いぐらいに無表情だ。

 ジグリットは追いかけて謝るべきか思案したが、結局マネスラーの待つ謁見室を選んだ。

 ――なぜぼくが折れないといけないんだ。

 ――あれはあいつのワガママじゃないか。

 廊下を歩いて行くと、謁見室へ続く通路の途中に一人の男が壁に凭れて立っていた。無視して行こうとしたジグリットを男は低音の小声で呼び止めた。

「ジューヌ様」ジグリットはそれでも無視して通り過ぎようとした。それを騎士は強引に腕を掴んで引っ張った。「お願いです、ジューヌ様。話を聞いてください」

 ファン・ダルタとのその話はもう終わりにしたつもりだった。しかし騎士は痛いぐらいに強くジグリットの腕を掴んでいる。

「お願いです、わたしの話も聞いてください」

 ――昨日あれだけ聞いたのに、まだ言い足りないのか。

 ジグリットの(あき)れ顔を前にして、騎士は恐い顔で言い寄った。

「今までそうでなかった方がおかしいのですよ。あなたは一国の王で、常に何人かの護衛をつけているのが普通なんです。一人で城内を歩き回ったりなさるのは、本当に危険な事なんです」

 ジグリットは(さび)色の眸でまっすぐに騎士を見上げ、とりあえず彼の言い分を全部聞いた上で、適当に返事を(にご)して逃げてしまおうと考えていた。昨夜は結局、言い合いにまで発展して、ジグリットが部屋から騎士を追い出したのだ。冬将の騎士は怒ってジグリットの居室の扉に盛大な()りを入れ、兵舎へ去って行った。

 もちろんファン・ダルタが言っていることもわかる。前王のクレイトスも、就寝中を含め居室の前には騎士を常駐させていた。しかし、ジグリットは常に誰かに監視されているような身にはなりたくなかった。たとえそれが信頼している冬将の騎士であってもだ。

 ――それにぼくはそれほど(やわ)じゃないぞ。

 ――サンデルマン家に侵入したときだって、冬将の騎士ほどじゃないにしても、それなりに戦ったじゃないか。

「わたしのような騎士が口出しすべきでないことは、昨日も言った通りわかっていますが、それでも――」

「必要ない」ジグリットは口を(とが)らせて言い切り、騎士の腕を押し返した。

「ですが、他の者もそうした方がいいと思っています。グーヴァー騎士長もそうした方がいいと」

 予想だにしない名前が出てきて、ジグリットが眸を(みは)った。

「グーヴァーに言ったのか!」

「ええ、そうすべきだと言っておられました」

「余計なことをするな! おまえは他に仕事がないのか! 後継(こうけい)を育てるなり、自分の鍛練(たんれん)をするなり、やる事はたくさんあるだろう」

「あなたの警護をする以上に、重要な仕事は他にありません」

 ジグリットは話にならないとばかりに首を振り、騎士を置いて歩き出した。しかしまたすぐに捕まってしまった。

「待って下さい。確かにわたしの一方的な意見を押し付けているだけかもしれません」

「現にそうだろう」

「ええ、それは認めます。ですが・・・・・・」

 そこでファン・ダルタの眸がジグリットの背後、通路の先に向けられた。その表情に()られて振り返ったジグリットの眸に、謁見室の両開きの扉の前に立つ二人の近衛兵の姿が見えた。彼らの視線が突き刺さる。どうやらずっとこちらを(うかが)っていたようだ。

「と、とにかくちょっとこちらへ」冬将の騎士が慌てて隣りの会議室へ、ジグリットを引き()り込んだ。

 それには抵抗せず、ジグリットも会議室へ入る。二人は誰もいない広い会議室で向き合った。

「困りましたね。どう言えばわかっていただけるのか」

 本当に困惑している様子の騎士に、ジグリットも溜め息をつく。

「こっちだって困ってる。警護されるつもりもないのに、押しつけられてるんだからな」

「わたしはあなたが心配なんです。サンデルマン屋敷の襲撃だって、わたしが気づかなければ、あなたはたった一人であの屋敷に乗り込むおつもりだったのでしょう。二度とあのような思いをしたくないのです」

 確かにそれは悪かったと思っているジグリットは口を(つぐ)んだ。

「それに、あなたはまだ子供です。守られることは何も恥ずかしいことでは――」

「子供扱いするなッ!」騎士の言葉に、ジグリットは思わずカッとなって叫んだ。

 ファン・ダルタはそれを聞いて一瞬眸を見開き、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。

「子供を子供扱いして、何が悪いんです」さらにジグリットの頬を両手で挟むと、無理やり上向かせる。「自分の立場も理解できないようなら、子供扱いされても文句は言えないでしょう」黒い眼光に(さら)されてジグリットが(うめ)く。なんとか男の腕から逃れようとするのだが、しっかり掴まれた顔は、ぴくりとも動かせない。「わたしは大した力を出していませんよ。こんな非力なあなたでは、本当に簒奪者(さんだつしゃ)が来たら、あっという間に()られてしまうでしょうね」

 おもしろがるような騎士の態度に、ジグリットは口だけ動かした。

「貴様、これは無礼を通り越して悪質だぞ」

 そこでようやくファン・ダルタはジグリットから手を離した。

「これは失礼しました。陛下があまりにも駄々(だだ)をこねるものですから」

「だから子供扱いするなと言ってるだろう!」そこでジグリットは、ふと考えを変えてみた。「だったら警護をつけよう」

「え、いいのですか?」驚きながらも嬉しそうに騎士が言う。

「ただし、おまえは駄目(だめ)だ。別の騎士に頼む。そうだな、ドリスティあたりがいいだろう。彼なら口うるさくないし、おまえほどじゃなくても腕は立つしな」

「ちょ、ちょっと待って下さい」ファン・ダルタは(すが)るようにジグリットの肩を掴んだ。「わたしじゃないと意味がありません」

 冷たい眸でジグリットが問う。

「なぜ?」

「なぜって・・・・・・」

 騎士の言い(よど)んだ顔を見て、ジグリットは内心ほくそ笑んだ。このまま彼を諦めさせるのだ。

 ファン・ダルタは数秒考えた後、言った。

「ドリスティは射手です。剣士ではありません」

 すぐにジグリットも言い返す。

「ドリスティ以外にも騎士はいる。おまえの必要はない」

 しかしジグリットは忘れていた。ファン・ダルタが(まれ)に見る実直な男だということを。男は顔をしかめていたが、さらに強くジグリットの肩を握り締め言った。

「わたしでなければ駄目です。わたしが一番あなたに忠誠を誓っている。断言できます。他の騎士などより、わたしが一番あなたを命を()けて守る決意をしています」

 ジグリットは驚いて、ただその真正面から()らされることのない男の眸を見上げた。

「わたしにはあなた以上に大切な人はいないのです。だから、あなたを警護する人間として、わたし以上に相応しい者は――」

「わかった」

「――いないと」

「わかったから」ジグリットは騎士から眸を逸らして(うつむ)いた。男がまだ自分をあの真剣な眼差しで見つめているのを感じる。

 ――言った本人じゃなく、ぼくが()じらうのは間違っているだろう。

 ――何なんだ、コイツは。こんなに世話好きだったか・・・・・・?

 とにかく騎士の側から逃れようともがくと、ファン・ダルタはジグリットの顔を手で持ち上げた。

「本当によろしいのですか?」

 赤くなった顔を覗き込まれて、思わずジグリットは右手で男を()り飛ばした。それほど強くではなかったが、ファン・ダルタは手を離して眸を(まばた)かせた。

「好きにしろ!」ジグリットがそう怒鳴って、会議室を走り出て行く。

 ファン・ダルタは追っていかなかった。どうやら了承はされたようだが、どう見ても怒っているジグリットに、騎士は不思議そうな顔をして、その場に立ち尽くしていた。

 ファン・ダルタとしては、多少強引でもジグリットの側に四六時中いることで、彼の奔放(ほんぽう)なところを無理やり抑えつけるのではなく、援護できると思ったのだ。騎士はジグリットが(ひど)く疲れていることを知っていたし、その理由もわかっていた。しかし今のままでは、自分に出来ることは、彼の躰を気遣(きづか)うことぐらいだった。



 会議室を飛び出したジグリットは、半ば怒りながら謁見室へ向かった。国王になって数日、朝も夜もなく文字通り身を()にして彼は働いていた。タザリアの至宝である魔道具ニグレットフランマ(黒き炎)を胸に移植し、翌日からは謁見室で様々な国内の難題に取り組み、少し慣れてきたと思ったら、次に手を出した新法の制定に、ジグリットは困窮(こんきゅう)していた。

 法相(ほうしょう)であり蔵相(ぞうしょう)でもあるマネスラーは、ジグリットの提案に絶対に首を縦に振らなかったからだ。ジグリット自身、こうなる事は予想の範疇(はんちゅう)だった。ジグリットが制定しようとしている新法は貧困層を救済するためのもので、そのために貴族に犠牲を()いることを(じく)としている。貴族出身であるマネスラーにとって、これは受け()(がた)いものであって当然だったのだ。

 ウァッリス公国の一流貴族の出であるマネスラーは、貧困層に一切理解を示そうとはしなかった。ジグリットの必死の説得で、何とか話だけは聞いてもらえるようになってはいたが、それでも充分ではなかった。

 ――どうせまたあれやこれやと文句を言われるんだろうな。

 ジグリットは今のところ、一度もマネスラーに議論で勝ったことがなかった。どうすれば納得して受け容れてもらえるのか、そればかり考える毎日だったのだ。

 謁見室に着いたジグリットを待っていたのは案の定、不機嫌な面持(おもも)ちのマネスラーだった。ジグリットが玉座へ座ると同時に、かつての教師でもある男は無愛想に言った。

「昨夜のうちに陛下の書かれた資料を読ませていただきました」

 ジグリットはすでに、マネスラーの表情から答えを推察していた。

 ――やはり、気に食わなかったか。

 しかしマネスラーは胡乱(うろん)げな眸でじろじろとこちらを睨みながら、その資料の(たば)をジグリットの真横に置かれた袖机(そでづくえ)に放った。それは分厚い羊皮紙の束で、袖机に()り切らず床にも散らばった。

「いいでしょう」そう告げた後、マネスラーは腕を組み、くるりとジグリットに背を向けた。「とてもよく調べられています。それに、陛下の考えている国の近情(きんじょう)についても、わたしはあながち間違っているとは言えません。確かに陛下が言及(げんきゅう)されている通り、ウァッリスにはタザリアほどの規模の貧民窟(スラム)は存在しない。これはウァッリスの政治形態がタザリアより成熟しているからだと、わたしも思います。貧困がさらに大きな貧困を生み、それが連鎖していることに関しても、同じ見解です」

 そこでマネスラーがまた玉座に向き直ると、ジグリットは陰気(いんき)(くさ)い男の顔に浮かぶ、深い失意の表情に気づいた。

「しかし陛下の論旨(ろんし)に納得できても、貴族への課税を増やすことには反対です。それに家柄や血筋に関わらず、好きな職種につけるようにするというのも問題でしょう。あなたが貴族に対してどういう感情をお持ちになっているかは知りませんが、これだけはお忘れなきよう」

 マネスラーは近づいて来ると、玉座の上のジグリットに顔を寄せた。マネスラーの落ち(くぼ)んだ暗い眸が、不安そうな少年の姿を(とら)えている。

「貴族は自負の(かたまり)です。その自負を(しん)から折ってしまうおつもりなら、それ相応の報復をこちらも覚悟しなければなりません」

「・・・・・・報復とはなんだ?」ジグリットが訊ねる。

「相手に()ります」

 マネスラーがやっと離れ一定の距離が出来ると、ジグリットは肩の力が抜けて、自分が思いがけず緊張していたことを知った。もし本物のジューヌなら貴族に不利益な事を政策に入れたりはしないだろう。

「それでも陛下は敢行(かんこう)なさるのですね?」

 彼の疑惑に満ちた眸と冷徹なまでに押し殺した声に、ジグリットは尋問(じんもん)でもされている気分だったが、子供の頃のあばら屋での生活を、そしてジリス(とりで)で働く貧しい生まれの子供達を思い出すと、大きく頷いた。

「そうだ。誰が何と言おうと、ぼくは断行する」

 マネスラーは(しばら)く黙っていたが、ジグリットの姿勢が揺るがないことを見て言った。

「わかりました。陛下が思うようになさるといいでしょう。ただし上流階級(アルコンテス)から今まで以上の税収を考えるのでしたら、彼らとの話し合いは必至。わたしを説得できたからといって、彼らも同じように行くとは思わない方がいいですよ」

 ジグリットは首を傾げた。

「ということは、おまえは理解を示してくれたと思っていいのか?」

 驚いたように言うジグリットを、マネスラーはさらに深い(しわ)を額に刻んで()めつけた。そうだと答えるのが(しゃく)(さわ)るとでも思っているようだ。

「正直、感銘を受けたのは貧困層の解消に関してではなく、その余波でタザリアが現在よりも繁栄するというところにです」

「充分だ」ジグリットは破顔した。「ぼくはこれで第一関門は突破したわけだ」

 喜びを隠さないジグリットに、マネスラーは水を差すようにすげなく言った。

「ではすぐに第二の関門に参りましょう。上流階級の十家から、陛下に拝謁(はいえつ)の申し出がきています。ちょうどよろしいかと思われますが」

「ああ、本当にちょうど良い。今度はおまえの知恵も貸してくれ。ぼくの資料では、まだ不完全だからな」

「わかっております。ちゃんと添削(てんさく)しておきましたから眸を通しておいてください」

 それを聞いた瞬間、ジグリットはマネスラーが資料を読んだ段階から、反対する気がなかったことを知った。


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