第二章 双炎の策動
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硬く凍った白雪の湖岸に囲まれたアンバー湖。その湖に面した広大な邸宅で、その日一人の青年が祝福を受けていた。彼の名はクストー・デザーネ。タザリアの上流階級の十家の内、どの一族よりも長きに渡る伝統を維持し、いまだ権勢衰えないデザーネ一族の青年だ。
実質、十家の頂点に立つその一族の当主が、息子に跡目を譲ると公表したのは、つい先日の事になる。家督を継ぐにあたり、前当主の老人は年老いてできた二人の息子の内の長子を後継者に据え、上流階級の敵でもあり仲間でもある他家の面々にお披露目するため、宴席を設けたのだった。
しかし実際のところ、誰もがこの交替劇の真の意味を理解していた。昨日、タザリア王国では新たな王が即位したばかりだ。新王ジューヌ・タザリアへの評価は誰もが口を閉じるとしても、彼の即位は上流階級にとっては何ら喜ばしいことではなかった。それよりも重大なことは、十家に対しジューヌが最初に与えた贈り物が、死者の指であることの方が彼らにとっては危惧すべき点だった。
十一家の一つ、新興貴族だった高利貸しのサンデルマン家がジューヌの指図により壊滅させられ、そのサンデルマン本人の指が、黒き炎の紋章付きで送られてきたのだ。謀反の意図を見抜かれたばかりか、これでは今後の上流階級の発展にも支障をきたしかねない。彼らはその決着を首を挿げ替えるという方法で、ジューヌに謝罪の意志を示すしかなかった。
デザーネはすでに年老いていた。彼は豪奢な広間の隅で二人の屈強な男に挟まれ、さらにその身を小さくし、黙ってちびちびと年代物の葡萄酒を口にしていた。彼に近づく者は少なく、招かれた九家の貴族達は一様に、新しいデザーネの顔に媚び諂っている。時代が変わったようには、彼には思えなかった。なぜなら、デザーネが当主になった四十年前の光景そのままが、今また眸の前で繰り広げられていたからだ。彼は立ち上がりその場を去ろうとしたが、その躰だけは四十年の時を刻み、引き攣るような関節の痛みを齎した。二人の護衛に抱えられ、広間を出て行く老人の姿を誰も気に止めなかった。ただ一人を除いては。
クストーは終始笑顔を絶やさなかった。自分の年老いた父親が、萎れた花瓶の花のように退場して行くときでさえ、若いクストーの唇は温和で上品な笑みを浮かべていた。
――人生の転機で失敗は許されない。
――ここからはわたしの舞台だ。
二十四になったばかりのクストーは、生まれながらにして貴族であり、ほんの些細な挫折すら知らない青年だった。そんな彼の弟、十九歳のフレッドは少し離れた場所で、集まってきた婦女子を相手に貴公子然と振る舞っている。フレッドは上流階級の中でも、軽薄な女たらしとして名を馳せていたが、それでも輝かしい美貌を持った彼を取り巻く女性の輪は、時間を増すごとに大きくなるばかりだった。
夜会は夜更けを過ぎて続き、クストーは最初から、獰猛な野心とそれを補うほどの余りある才気を隠すことをしなかった。今後の上流階級の方針について、年嵩の貴族達との歓談に講じながらも、決して発した自分の意見を引くことはなく、常に強気の姿勢を貫いた。デザーネ家の前当主を知る者は、すでにクストーの内に潜む血筋を感じ取っていた。それは他者の上に君臨しようとする異常なほどの権力欲と大胆さ、貴公子が持つ優雅さという絶妙の均衡で成り立った、世故に長けた狡猾な一人の権謀家だった。
そんなクストーだからこそ、貴族達の話は退屈極まりないものだった。九家のどの一族も、ジューヌのたった一度の贈り物に恐れを成し、しばらくは静観しようと苦笑いで防戦を告げるばかりだったのだ。その保守的な態度は、クストーのひたすら飛躍を望む精神とは大きく懸け離れ、ただ彼の不快を増大させていた。
弟のフレッドは、兄のそんな変化に気づいていた。彼は柔らかいくせっ毛を、着飾った女性達に撫で回されながら、野心家である兄が今の立場に生涯満足できるとは思っていなかった。そして兄が自分を呼ぶと、周りの女性陣に艶やかな微笑を残して、輪の中心から離れて行った。
デザーネの当主が代替わりしたことで、タザリアは王家と同様に上流階級も新たな時代へ入ろうとしていた。




