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「羽のようであり、布のようであり、すべてを燃やし尽くした炎の色である」
誰かの声がそう言っているのが聞こえた。よく考えると、前王クレイトス・タザリアの声だったようにジグリットには思えた。
じりじりと左胸が痛んだ。心臓より少し上、肩より少し下。その場所が熱をもって疼いていた。ジグリットは眸を閉じたまま、ゆっくり右手を上げ、その箇所に触れてみた。触れた途端、激しい痛みに思わずジグリットは呻いた。
「・・・ううっ・・・・・・なんだ・・・これは」
痛みを堪えて、ジグリットは躰を起こした。寝台の足元に医師が座っていた。三人のうち、もっとも年老いたその医師は、ジグリットが起きてもまだ半分寝ぼけたような眸で彼を見るだけだった。
「ぼくに何をしたんだ!?」ジグリットは唸るように言った。声が掠れ、頭が酷く痛んだ。
「代々、黒き炎の一族は、その身に名の通りの物を埋め込んでいたのですよ」
「ニグレットフランマか。あれをぼくに植え付けたのか!」
「そうです、新たなタザリア国王。できればもう暫くお休みいただきたいところですが、この事は内密に行われたので、あなたには痛みを堪えて玉座についてもらわねばなりませんな」
ジグリットはその医師を睨みつけた。
「この魔道具はどんな働きをするんだ!? なぜ躰に――」
そのとき扉が叩かれ、ジグリットが返事をするまでもなく、グーヴァーが入って来た。代わりに老医師は椅子から立ち、二人は扉の前で小声で何か言葉を交わした。ジグリットは彼らが何を画策しているのか訊きたかったが、動こうとすると肩から胸にかけて鋭い痛みが走り、その場に蹲るよりなかった。
「ご機嫌はいかがです、陛下」グーヴァーが近寄り言った。
扉が閉まる音がして、医師が出て行ったことにジグリットは気づいた。
「最悪だ。本当に最悪だよ。痛いし腹が立つ。その上、誰も説明さえしない」
毒づくジグリットに、グーヴァーは寝台の横に直立したまま苦笑した。
「そうですね。わたしもこのしきたりには不満を感じていますが、タザリアの王になるということはそういう事なのですよ」
ジグリットは溜め息をつき、白い綿の上衣を脱ごうとした。しかし左肩が痛んで、腕を上げることができなかった。もがいていると、グーヴァーがそれを阻止した。
「お願いですから、そのまま上衣を着ていてください」
「・・・ぼくは自分の疵を見ることも赦されないのか?」
「どういう状態なのか、知りたいのなら、わたしにお聞きください」
ジグリットは半分脱いだものの、また苦労して服を着た。
「陛下の左胸にニグレットフランマを移植しました」グーヴァーが言った。
「それはわかっている!」
「その魔道具は・・・タザリアの王が身につける物なんです。魔道具には様々な種類のものがありますが、ニグレットフランマはあなたの感情の脈動によって始動します」
「・・・・・・感情? そんな魔道具、聞いたことがない」
驚いているジグリットに、グーヴァーは頷いた。
「ええ、わたしの知る限りでも、寄生させる性質の魔道具は元々数が少ないはずです。その上、ニグレットフランマのように世界に一つしかない珍種なものがほとんどなので、その機能がはっきりとわかっていないのが現状です」
「・・・・・・だけど、これは父上が躰に入れていたのだろう?」
「クレイトス様は魔道具そのものを嫌悪していました。なので、ニグレットフランマを使いこなしていたとは言えないでしょう。ただ、あの方は亡くなる前にわたしを呼んで、少しその作用について話しておられたので、あなたにそれをすべて話しておきます」
グーヴァーは医師が座っていた椅子を片手で軽々と運んでくると、寝台の横に置いた。
グーヴァーの話はジグリットには荒唐無稽な作り話のように思えた。
ニグレットフランマは、激しい感情の脈動によってのみ動き、それが負の感情であれ、正の感情であれ、爆発したような感情を伴ったとき、全身の感覚すべてを鋭敏にして、ある特異な増強効果を与える。それは恍惚感と浮遊感を伴い、クレイトスの表現では、自分を残してすべてが遅回しになったような感覚に陥ったというのだ。
「見た目は変わらないが、超人的な力を発揮することができる、とクレイトス様は言っていました。ただし、感情の波が治まると同時に、激しい疲労に苛まれ、時にその余波は何日も続くらしいです」
ジグリットは自分の躰を蝕む害毒のように、左胸を見下ろした。白い上衣の下は、包帯が巻かれていたが、触れただけでもそこに異物感があることは、さっき確認していた。
「感情って言うけど、それはだから・・・悲しいとか嬉しいとかってことだよね?」
ジグリットが訊ねると、グーヴァーはより深く説明した。
「そうですね。憎しみ・愛情・憐れみ・絶望・恐怖、そういったものです。それも、ただの憎しみではないのでしょう。クレイトス様は普通に生活している分には、魔道具が動くことはないだろうと仰っていました」
ジグリットは侍従のウェインが世話をしに部屋へ入って来るまで、グーヴァーがわかる範囲の事を訊ねた。しかし彼が知っている事は、その短い説明以外、取り立てて何もなかった。ニグレットフランマをどうやってクレイトスが扱っていたのかすら、ジグリットは知ることができなかった。わけのわからない物を体内に入れられたことは、王になったばかりのジグリットに重く圧し掛かり、これからの事も含めて、靄がかかった中にただ一人、取り残されたような気になった。
だが心細いと口にすることもできなかった。ジグリットはグーヴァーと共に謁見室へ行き、何事もなかったように公務を果たさなければならなかった。